江渡 聡徳(えと あきのり、1955年10月12日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。父・江渡誠一は社会福祉法人至誠会設立者・初代理事長。議員会館では元女優で姪の梅宮万紗子が秘書として勤務している。自由民主党副幹事長、衆議院安全保障委員長、内閣府大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、防衛副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣・第2次安倍内閣)、防衛大臣(第13代)などを歴任した。青森県十和田市生まれ。青森県立青森東高等学校、日本大学法学部法律学科卒業。日本大学大学院法学研究科修士課程(公法学専攻)修了。1984年から、父・江渡誠一が設立して当時初代理事長を務めていた社会福祉法人至誠会に勤務し、同法人が運営するあけぼの学園園長等を歴任する。また1984年から光星学院八戸短期大学講師を務める(~1995年)。1988年より至誠会副理事長(~1996年)。1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で青森2区から出馬し、新進党公認の三村申吾を破り初当選。しかし、2000年の第42回衆議院議員総選挙では、前回下した三村(無所属の会公認)に敗れ、比例復活もならず落選。2003年の第43回衆議院議員総選挙に再び青森2区から出馬し、3年ぶりに国政に復帰した。同年自由民主党政務調査会国防部会・厚生労働部会副部会長。2004年、第2次小泉改造内閣で内閣府大臣政務官に任命され、第3次小泉内閣まで務める。2005年、自由民主党国会対策副委員長に就任。2007年、安倍改造内閣で、自身が所属する高村派会長の高村正彦防衛大臣の下、防衛副大臣に任命され、福田康夫内閣でも再任された。2008年、再び自由民主党国会対策副委員長に就く。同年の自由民主党総裁選挙では再び麻生太郎の推薦人に名を連ね、麻生が自由民主党総裁に選出された。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、与党に逆風が吹く中、民主党公認の中野渡詔子を約12,000票差で破り、青森2区で4選(中野渡も比例復活で当選)。同年自由民主党副幹事長に就任。2012年社会福祉法人至誠会理事長に就任。同年の第46回衆議院議員総選挙に青森2区から出馬し、5選。同年12月26日に成立した第2次安倍内閣において、再度防衛副大臣に就任した。2013年10月、防衛副大臣を退任し、衆議院安全保障委員長に就任。2014年9月、第2次安倍改造内閣で防衛大臣に任命され、初入閣。あわせて「国の存立を全うし国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣に任命された。同年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙に青森2区から出馬し、6選。選挙後、後述の政治資金問題が第187回国会で問題視されたことを受け、新たに発足する第3次安倍内閣での大臣留任を固辞。同年12月24日午前の閣議において第2次改造内閣が総辞職したことを受け、防衛大臣を退任した。
出典:wikipedia
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