黒田 直和(くろだ なおやす)は、上総久留里藩の第8代藩主。久留里藩黒田家9代。文政2年(1819年)6月21日、第6代藩主・黒田直侯の妾腹の長男として江戸で生まれる。天保9年(1838年)7月に父の養嗣子として第7代藩主となっていた黒田直静の養子となり、弘化3年(1846年)12月に従五位下、大和守に叙位・任官する。嘉永元年(1848年)10月に淡路守に遷任する。嘉永7年(1854年)に直静が死去したため家督を継いだ。6月27日に豊前守に遷任する。安政2年(1855年)6月、直質(なおただ)から直和へと改名した。安政5年(1858年)6月、伊勢守に遷任する。幕末の動乱期に中で、文久3年(1863年)からは治安が悪化する江戸市中の取締役に任じられ、4月には大坂城山里丸加番に任じられた。そのほかにも外国船に備えて海防強化に努めている。慶応2年(1866年)4月2日、病気を理由に家督を養子の直養(養父・直静の甥)に譲って隠居し、剃髪して松閣と号した。明治9年(1876年)1月9日、浅草の鳥越別邸で死去した。享年58。
出典:wikipedia
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