教祖祭PL花火芸術(きょうそさいピーエルはなびげいじゅつ)は、毎年8月1日に大阪府富田林市の光丘カントリー倶楽部で行われるパーフェクト リバティー教団 (PL) の祭礼であり、日本有数の巨大花火大会である。教祖を讃仰し、PL教団の礎を築いた初代・二代教祖の遺徳を讃える祭(教祖祭)の中の一行事である。当初は10万発 - 12万発だったが、2008年より数え方を小割りや浮模様、分砲なども含めた数え方から、純粋に丸玉の総数に変更したため、2万発となったが規模、予算はほとんど変わらない。富田林市内をはじめ、近隣の羽曳野市、河南町、太子町、大阪狭山市、河内長野市のほか、松原市、堺市、藤井寺市、八尾市、柏原市、和泉市の一部地域などからも十分見ることができる。遠くは大阪市内・東大阪市・北摂地方・北河内地方・泉州地方・兵庫県の神戸市や阪神間の高層ビルや高層マンション(主に30階前後、兵庫区、長田区の一部では10階以上)や高台、生駒山地、金剛山地、六甲山地、北摂山地、和泉山脈、淡路島、奈良県北部(天理市、田原本町、三宅町、川西町の一部)からも気象条件等によっては見ることができる。2014年まで打ち上げ場所近くに教団関係者でなくとも利用できる有料観覧場所(ローンパーク会場)が設けられいたが、2015年は有料観覧場所は設けられなくなった。また「裸の大将」として有名な山下清もこの花火を書いた絵を残している。ラストに打ち上げられる花火はおよそ8000発(旧公称10万発 - 12万発当たり)の「超大型スターマイン」と表現され、その際は南河内一面に花火の音が地響きの様に轟き、一瞬昼のように明るくなり壮絶である。かつては7月末ないし8月初旬に開催されていたが、現在は開催日が8月1日に固定されており、雨天でも中止とはなっていない。(教団のホームページに「天候により中止の場合もある。」と記載されているが、かつては昭和57年台風第10号の豪雨の中でも開催されている。)なお開催日が8月1日の理由として、「初代教祖の命日だから」という説があるが、実際の命日は7月6日で誤りである。(統計上雨の少ない日を選んだという説がある。)関西では「PL教団=花火」というイメージが定着しており、桂米朝の落語「地獄八景亡者戯」の中にも「今、バーンと花火が上がりましたが…」「ああ、ありゃPL教」というくだりがある。開催当日の会場周辺は浴衣姿も多く、広く“夏の風物詩”として解釈されている様子が伺えるが、これはあくまでも、教団主催の宗教行事である。初代教祖である御木徳一は晩年、常々下記にように話していた。徳一が死亡した後、息子であり二代教祖でもある徳近はその遺志を継ぎ、1953年、徳一と自身の故郷でもある愛媛県松山市での教祖祭で、初めて花火を打ち上げる。以後、教祖祭は大阪府富田林市の大本庁において行われるようになり、1963年には名称を「PL花火芸術」と定める。これを契機に花火はより華やかになり、関西地方では夏の風物詩として定着した。他の花火大会などに比べ、この花火は大規模なため、花火が行われる付近で大きな影響がある。また、開催日が固定されており、平日開催の年は帰宅ラッシュと重なるため周辺への影響はより大きくなる。
出典:wikipedia
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