ASKA(アスカ、1958年2月24日 - )は、日本の男性ミュージシャン。本名:(みやざき しげあき)。旧称:飛鳥 涼(あすか りょう)。福岡県大野城市出身。第一経済大学卒業。シンガーソングライターでもあり、CHAGE and ASKAのメンバーで、楽曲のメインボーカル・作詞・作曲を担当している。1958年2月24日、福岡県筑紫郡大野町(現在の大野城市)雑餉隈(ざっしょのくま)に生まれる。自衛官であり剣道の師範でもある父のもとで幼少期から剣道を続けており、三段の腕前を持つ。大野城市立大野北小学校を卒業し大野城市立大野中学校へ進学するが、父親が転勤することになり、中学1年の8月から北海道千歳市に住む。千歳市立千歳中学校を卒業し、札幌第一高等学校へ進学。高校入学時点で身長が148cmと、少年期は非常に身長が低い子であり、本人もかなりコンプレックスに感じていたという。ところが高校時代になると急激に身長が伸びだしたという。高校2年生の時には剣道の北海道代表として全国高等学校総合体育大会(インターハイ)個人戦に出場した。その直後、父親の転勤願いにより福岡へ帰郷し福岡第一高等学校に編入。同じ学校には柴田秀之(Chage)も在学していた。福岡でも剣道部に入るが、部活の顧問との折り合いが悪くなって高校3年の春で退部してしまった(剣道自体は道場に通うなど続けている)。退部後は時間的余裕が出来て音楽にのめり込んでいく。このことが音楽の道へ進むきっかけになったと自著で述べている。1976年、第一経済大学(現・日本経済大学)在学中に『第12回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称・ポプコン)福岡大会』に「葡蘭湖」(ブランコ)という7人組バンドで初めてエントリーする。翌年の『第13回ポプコン福岡大会』ではソロでエントリーするが(本名でエントリー)、いずれも落選となっている。『第14回ポプコン大会』には出場せず、1978年の『第15回ポプコン福岡大会』では友人の柴田秀之(=チャゲ)を誘って別々にエントリーした。その結果、誘われたチャゲが「グランプリ」を受賞し『九州大会』出場権を獲得、飛鳥が「最優秀歌唱賞」となった。その時、ヤマハのディレクターから「2人で組んでエントリーしてみないか」と誘われて『九州大会』に出場し(エントリー名は“チャゲ”)、「優秀曲賞」を貰う。同年秋に開催された『第16回ポプコン大会』で初めて“チャゲ&飛鳥”としてエントリーして念願の『つま恋本選会』への出場権を獲得(この時のチャゲ&飛鳥は7人編成のバンドだった)。本選会で「入賞」を果たす。1979年の『第17回ポプコン大会』も本選会まで出場しグランプリ獲得を目指したが、結果はまたも「入賞」となってしまった。結果は残念であったが、ヤマハに一目置かれていた彼らにはデビューの話が進行していく。しかしそれは、ボーカルを務めたチャゲと飛鳥の2人組でデビューするという方針であった。何度か断るも悩んだ末に残された5人の了承も得て承諾した。そして『第18回ポプコン九州大会』にゲスト出演という形で7人最後の演奏を行った。1979年8月25日、チャゲ&飛鳥(現・CHAGE and ASKA)としてワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)からシングル「ひとり咲き」でデビュー。1983年、作詞を手掛けた楽曲「ボヘミアン」(作曲は井上大輔、1982年に大友裕子がオリジナルを歌唱)が葛城ユキのカバーによりヒットする。以後、ソングライターとして様々なシンガーに楽曲を提供していく。中でも、光GENJIに提供したシングル「STAR LIGHT」・「ガラスの十代」・「パラダイス銀河」は立て続けにヒットし、音楽家としての知名度が向上した。1984年には詩集『オンリー・ロンリー 飛鳥涼詩集』(サンリオ出版)を発売。1987年9月21日、キャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)からシングル(EP盤)「MY Mr.LONELY HEART」でソロデビューする。1988年、提供曲を中心とした初のソロ・アルバム『SCENE』が発売される。この頃、東京都世田谷区に知人と共同で録音スタジオ「BURNISH STONE」を設立。1989年12月、ロンドンに生活の拠点を移し翌年6月まで滞在して創作活動を行う。1990年、書籍『けれど空は青 〜飛鳥涼論』(八曜社)が発売。1991年、CMソングに起用されて好評となっていた「はじまりはいつも雨」をシングル発売。ロングヒットとなり、ミリオンセラーを達成する。さらに、アルバム『SCENE II 』もミリオンセラーとなる。1993年、USED TO BE A CHILDに参加し、小田和正と共作した「僕らが生まれた あの日のように」が発売される。1995年、レコードレーベルを東芝EMIに移籍。シングル「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」、アルバム『NEVER END』はともにオリコンチャート最高位1位を獲得。また、ハリウッド映画『ジャッジ・ドレッド』に英語詞の楽曲「TIME」を提供した。1996年、書籍『インタビュー』(幻冬舎)を発売し、幼少時の記憶やデビュー時のエピソード、友人のこと、雑誌『Views』についての出来事などを書き下ろした。1997年、リチャード・マークスとデュエットした楽曲「Every Day Of Your Life」がシングル発売。この年は、アルバム『ONE』発表後に初のソロ・コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR ID』を開催。上海公演も行った。11月には『第6回上海インターナショナルラジオフェスティバル』に招待された。1998年、ソロ活動を継続してアルバム『kicks』を発売。コンサートツアー『ASKA concert tour kicks』も開催した。8月には台北で行われた『MTV Music Summit '98』に出演する。2000年、ヤマハミュージックコミュニケーションズからシングル「good time」を発売。コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR GOOD TIME』を開催した。2003年、ユニバーサルシグマからシングル「心に花の咲く方へ」を発売。2005年、服部隆之や東京ニューシティ管弦楽団と共演した『ASKA Symphonic Concert 2005 featuring Takayuki Hattori』が東京国際フォーラムで開催。7年ぶりのオリジナル・アルバム『SCENE III』を発売し、12月から5年ぶりとなるソロ・コンサートツアー『ASKA Concert Tour 05»06 My Game is ASKA』も開催した。2006年、つま恋(静岡県掛川市)で開催された『ap bank fes '06』に出演(その後、ap bank fesには『ap bank fes '08』、『ap bank fes '11 Fund for Japan』に出演している)。2008年、現地の交響楽団と共演するシンフォニックコンサート『ASKA SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008 "SCENE"』をシンガポール・バンコク・上海・大阪・福岡・東京・名古屋・札幌・香港・沖縄で開催する。10月にはシングル「UNI-VERSE」が発売。11月にはシンガポール公演を収録した音源『ASKA SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008 "SCENE" at The Bay(Singapore)』を音楽配信した。2009年1月30日、お互いのソロ活動を充実させるためCHAGE and ASKAを無期限活動休止にすることを発表。ソロ活動が継続される。3月からコンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR 2009 WALK』を開催。台北公演も行われた。12月にはクリスマス・コンサート『ASKA THE MELODY YOU HEARD THAT NIGHT 昭和が見ていたクリスマス』を行い、ビッグバンドと共演する。2010年、2月にセルフカバー・アルバムとなる『12』を発表。東京厚生年金会館で10DAYSコンサート『グッバイ&サンキュー東京厚生年金会館 -ここにあなたの足跡を-』を開催した。11月にはセルフカバー・アルバム第2弾『君の知らない君の歌』を、Chageが発売するオリジナル・アルバム『&C』と同時発売。コンサートツアー『ASKA CONCERT TOUR 10»11 FACEs』を開催し、上海・マカオ公演も行った。2011年、東日本大震災で被災された方々への支援活動として、昭和の名曲をカバーして発表した売上の一部を募金する「いま歌うシリーズ」がiTunes Storeの配信限定で始まる(2013年にはカバー・アルバム『「僕にできること」いま歌うシリーズ』として発売された)。2012年1月、ビッグバンドとの再共演となる『ASKA CONCERT 2012 昭和が見ていたクリスマス!? Prelude to The Bookend』を日本武道館で2日間開催。2日目には、全国の映画館で生鑑賞できるライブシネマも行った。10月16日にはASKA初のMOOK本『ぴあ&ASKA』(ぴあ)発売。10月17日、7年ぶりのオリジナル・アルバム『SCRAMBLE』が発売された。12月、TBS系「EX-ROUNGE」に出演。12月からは『ASKA CONCERT TOUR 12»13 ROCKET』を開催した。2013年1月25日、活動休止中であったCHAGE and ASKAを再始動させることを一旦発表。3月29日、追加公演のNHKホールで「ASKA CONCERT TOUR 12»13 ROCKET」を終える。4月6日、TOKYO MXテレビ「サタデーLive」出演。5月11日、NHKで放送している「SONGS (テレビ番組)」には、ASKAが活動自粛する前の最後のテレビ出演となった。ASKAがSONGSに出演するのは2010年2月10日以来、2回目である。ASKAは「LOVE SONG」や「いろんな人が歌ってきたように」などを披露している。17日深夜にも同じ内容が再放送として放送された。だが6月11日、体調不良を訴えたASKAが医師による診察で一過性脳虚血症の疑いがあり静養が必要と診断されたため、当初8月に開催予定だったCHAGE and ASKAとしてのスペシャル・ライブ開催の延期を公表。しかし、12月12日にスペシャルライブの「完全中止」を発表した。10月8日、週刊誌・ワイドショーなどによる一連の報道を受けてコメントを発表していたASKAであったが、週刊文春10月17日号にASKAへのインタビュー記事が掲載され、週刊文春の記者と接触して質問に答え、覚醒剤の使用は否定したが医療機関で処方されたという薬物(安息香酸ナトリウムカフェイン)の使用やその入手経路、音楽関係者と名乗る人物とのトラブルに関して報道の一部を認める発言をしていたことが発覚した。10月10日、所属事務所(ロックダムアーティスツ)はASKA本人と事実関係を確認した上で、“これまでに世間を騒がせてしまったことと社会的責任の重さ”を鑑み、ASKAの活動自粛を発表した。2014年4月29日、活動自粛中に玉置浩二のコンサートをプライベートで鑑賞中、アンコールで玉置に呼ばれステージに上がり、「SAY YES」をワンコーラスだけデュエットした。5月17日、警視庁組織犯罪対策第五課に覚せい剤取締法違反(所持)の容疑で逮捕された。逮捕容疑は同年4月6日ごろと4月12日ごろ、港区内のマンションの一室で少量の覚醒剤を所持していた疑い。逮捕当初は容疑を否認していたが、警視庁による尿検査では覚醒剤の陽性反応が出ており、自宅からは覚醒剤やメチレンジオキシメタンフェタミン(MDMA)とみられる粉末や錠剤が発見された。また、知人で会社員の女も同容疑で逮捕された。同日、所属事務所はASKAの逮捕を受けてコメントを発表。Chageもコメントを寄せた。5月23日、毛髪検査からも覚醒剤の陽性反応が出たこと、否認していた容疑を認める供述を始めていることが判明する。5月27日、覚せい剤取締法違反(使用)・麻薬及び向精神薬取締法(麻薬取締法)違反(使用)容疑で再逮捕された(知人の女も覚醒剤取締法違反(使用)容疑で再逮捕された)。再逮捕容疑は同年5月上旬から17日までの間に、都内とその周辺で覚醒剤と合成麻薬MDMAを使ったというもの。6月17日、自宅で覚せい剤と合成麻薬MDMAを所持したとして、覚せい剤取締法違反と麻薬取締法違反(いずれも所持)容疑で再逮捕、逮捕は3度目になった。再逮捕容疑は5月17日午前10時42分ごろ、東京都目黒区の自宅で覚せい剤0.439グラムとMDMA相当量を所持した疑い。同日、東京地方検察庁は覚醒剤取締法違反(使用)の罪などでASKAと否認を続けている知人の女を起訴した。6月27日、覚せい剤取締法違反と麻薬取締法違反(いずれも所持)で追起訴。起訴状は、5月17日に東京都目黒区の自宅で覚醒剤0.432グラムやMDMAなどを含む錠剤87錠を所持していたもの。5月17日に逮捕されたASKAと知人の女が女のマンションで覚醒剤を所持していたという容疑については、27日付で不起訴処分となった。同日、所属事務所は今回の逮捕・起訴を受けてASKAとミュージシャンとしてのエージェント契約を解消することで合意したと発表、事実上音楽活動は引退状態となった。7月3日、弁護人が申請していた保釈請求が認められ、保釈保証金700万円を納めて保釈された。その後、薬物依存症治療のため国立病院機構下総精神医療センターに入院。8月28日、東京地方裁判所で初公判。9月12日、懲役3年執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。なお、これらに伴う影響等については次項を参照のこと。2013年7月24日、東京スポーツが匿名で“超大物シンガーが深刻な薬物中毒に陥っている”という記事を掲載。7月31日、週刊文春が2013年8月8日号で“ASKAが覚醒剤吸引ビデオで脅迫されていた”という見出しの記事を掲載した。8月1日、所属事務所(ロックダムアーティスツ)は記事の内容を否定し厳重に抗議する文面を公式サイトで発表した。その後も週刊誌やワイドショーなどで一連の報道が続くが、事務所は沈黙を守っていた。9月27日、ファンクラブ会報誌発送に合わせて、公式ウェブサイトで改めて事務所の見解を述べたのに加え、ASKA本人のコメントが騒動後初めて掲載された。10月8日、週刊文春は10月17日号でASKAへのインタビュー記事を掲載。内容はASKAが覚醒剤使用は否定しているものの、音楽関係者を名乗る暴力団員から薬物を入手するなどの交際や金銭的なトラブルがあったことを認めるものとなっていた。10月10日、所属事務所が事実関係についてASKAへ確認したところ、事務所に“無断”で週刊文春の記者と接触していた事が発覚。これを受けて所属事務所は、これまでに世間を騒がせてしまったことと社会的責任の重さを考慮して、ASKAの活動自粛を発表した。ところが週刊文春は、所属事務所の発表に対して「取材は“無断”ではなく、事前にASKAに取材依頼の手紙と質問状を渡している」、「記事の扱いもASKAさんに『任せます』と伝えられている」と反論した。2013年10月16日、映画『101回目のプロポーズ 〜SAY YES〜』日本版主題歌に決定していたCHAGE and ASKAの「SAY YES」が、ASKAの活動自粛に伴って公開直前に差し替えられた。12月12日、ファンクラブ会報誌で開催延期としていたCHAGE and ASKAのスペシャルライブを中止にすることを発表。2014年5月18日、ASKA逮捕を受けて、Chageが広島でのファンクラブ・イベント公演後に報道陣の前に姿を現して謝罪した。5月19日、所属レコード会社・契約レコード会社が、ASKA・CHAGE and ASKAの音楽・映像作品や関連商品の廃盤と、デジタル配信停止を発表した。一方、ドラマでCHAGE and ASKAの楽曲を使用しているフジテレビは、フジテレビオンデマンドで配信しているドラマの配信継続を決めた。5月20日、6月18日発売予定であった宮崎駿監督作品を集めたBD・DVD『宮崎駿監督作品集』に収録予定であったCHAGE&ASKA「On Your Mark」の収録中止と、それに伴う作業のため発売日を延期することを発表した。また、既発売のDVD『ジブリがいっぱいSPECIALショートショート』の出荷が同日付で停止された。5月25日、所属事務所(ロックダムアーティスツ)が家宅捜索される。5月30日、福岡市は1989年に市制100周年イメージソングとして制作され、その後は市役所の電話保留音などで使用してきた「心のボール」の使用を中止することを発表した。6月27日、ロックダムアーティスツは公式ファンクラブ「TUG OF C&A」について、現状のまま運営を継続することは困難という判断から2014年8月末をもって運営を休止することを発表した。7月6日、1993年から支援を続けていたセーブ・ザ・チルドレンの活動が、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンからの申し入れにより終了となった。2014年7月22日、東京地方裁判所で愛人である女性被告の初公判が開かれ、被告は無罪を主張した。8月21日、警視庁組織犯罪対策第五課は、ASKAに合成麻薬MDMAを譲り渡したとされる男2人を麻薬取締法違反(営利目的譲渡)容疑で逮捕した。逮捕容疑は同年3月24日、ASKAの自宅車庫内でMDMA100錠を50万円で譲り渡した疑い。2016年1月9日、ASKAは逮捕後初めて、事件の経緯などを含む自身のこれまでの音楽人生をブログに公開した。約12万字に及ぶ長文は、「序章」「2・ロンドン」「3・kicks」「4・ピンチとチャンス」「5・韓国ライブ」「6・リアルキャスト解散」「7・GHB」「8・勘違い」「9・飯島愛」「10・盗聴盗撮」「11・覚せい剤」「12・音楽関係者」「13・恐喝」「14・週刊文春」「15・エクスタシー」「16・逮捕」「17・裁判」「18・メール」「19・後記」「20・追記」の20項目にもわたっていたが、数時間後の1月10日の未明に削除された(気づいた周囲の者が削除したとされる)。その後ASKAは11日から13日まで別のサービス会社のブログにもUPしていた。内容は非合法ドラッグに手を染めたきっかけや、盗聴被害に悩まされていたことなどが綴られ、2014年に『週刊文春』で愛人関係を取りざたされた飯島愛についても、知り合った経緯や友人だった彼女が盗聴被害に遭い、相談を受けていたことなどを語った。7月19日、半年ぶりとなるASKA本人によるものとみられる1カ月限定のブログが開設された。2016年1月に事件への思いや近況などをつづった文章をネット上で公開して以来であり、当時は盗聴被害を一方的に訴え、今回のブログでも同じような内容が書かれている。※歌手名・曲名ともに50音順とする。
出典:wikipedia
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