59式戦車(59しきせんしゃ ・WZ-120)は、中華人民共和国の中戦車でありソビエト連邦の技術指導の元、1959年にライセンス生産されたT-54である。1980年代半ばまでに10,000輌以上が生産された。現在でも数多くの改修が行われながら5,000輌近くが中国人民解放軍で現役にあり、全ての中国戦車の基礎である。旧式化に伴い96式戦車や99式戦車との交代が進められている。1950年代の中華人民共和国とソ連の関係は友好状態にあり、T-54戦車のコピー戦車の中華人民共和国国内での生産を目標に計画は進められ1959年から本格的な量産が始まる。当初は内モンゴル自治区にある617工場にてソ連から供与されたT-54Aのパーツを組み立てる形で1956年から生産が始まった。1959年までにほとんどを国内で生産出来るようになり正式に59式戦車として採用される。59式戦車はT-54Aのコピーであるが、T-54Aの標準装備だったアクティブ式赤外線ライトが取り外され、砲塔旋回も手動式に変更されるなど簡略化されており、装甲の厚さに関してもオリジナルのT-54より薄いとされている。T-54のコピーからスタートしたこともあり当初はD-10Tをコピーした59式56口径100mmライフル砲を搭載していたが、59-II式以降は、オーストリアから供与されたモデルをベースにライセンス生産を始めたNATOの標準規格であるイギリス製L7系105mmライフル砲を採用。近年では更に強力な120mm滑腔砲を搭載するモデルも登場している。副武装も、T-54のDShKM 12.7mm 重機関銃をコピーした54式12.7mm機関銃を車長キューポラに、SGM 7.62mm 重機関銃をコピーした59式7.62mm機関銃を主砲同軸に各1丁装備する。1963年から本格的な生産が始まりその後も数多くの改良を重ねつつ総生産数はおよそ10,000輌。うち6,000輌が中国人民解放軍陸軍に配備されたとされる。59式戦車は以後中華人民共和国で開発される戦車の母体となり、これに中ソ国境紛争時に捕獲したT-62戦車や独自のルートで入手したT-72戦車の技術を盛り込み独自の発展を遂げた。59式戦車が最初に実戦に参加したのは1965年に起きた第二次印パ戦争で、パキスタン陸軍の59式戦車がインド陸軍のT-54/55やヴィジャンタ(ヴィッカーズMk.Iのライセンス生産型)と対決したが、防御能力の低さから弾薬や燃料が誘爆する車両が続出した。その後、1979年の中越戦争では人民解放軍とベトナム陸軍の双方が59式戦車を使用し、山岳地域では機動性に劣り苦戦したが、やはり双方が使用した62式軽戦車に対しては優位な立場にあった。しかし1991年の湾岸戦争では、イラク陸軍の59式戦車がT-54/55/62/72、69式戦車などとともにアメリカ陸軍のM1エイブラムスに対して一方的な大敗北を喫した。1989年の六四天安門事件でも運用された。近年では人民解放軍に未だ配備されている59式戦車の近代化改修や、既に各国に輸出した59式戦車の改修パッケージの売り込みが熱心に行なわれている。近代改修モデルでは箱形のERA(爆発反応装甲)や105mm戦車砲や120mm/125mm滑腔砲も追加され延命を図っており、その内容も現在主流となっているNATO軍規格にあわせた内容となっている。中華人民共和国では最新鋭の96式戦車や99式戦車への更新が遅れている事もあり、今後しばらくは主に支援戦車として現役に留まる予定である。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。