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軍服 (朝鮮半島)

朝鮮半島の軍服(ちょうせんはんとうのぐんぷく、)は、李氏朝鮮末期や大韓帝国時代の軍服、日韓併合後を経て日本敗戦後の独立後1948年の両国建国以降現在までの大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国における軍服の特徴と変遷を中心に述べる。李氏朝鮮の時代までは民族衣装に似た具軍服などが着られていたが、李氏朝鮮末期や大韓帝国時代は軍隊の西洋化・近代化とともに幕末・明治日本軍や清朝の西洋式軍服の影響を受けた。日本からは軍装品を含めた軍需物資の援助を受け、日本で一部生産されていた関係もあり大韓帝国時代の軍装は明治の日本軍の軍装に非常に酷似していた一方でドイツ軍式ヘルメットであるピッケルハウベに似たヘルメットをも使用するという辺りはむしろ当時の清国軍軍装の影響も見られる。当時の朝鮮半島と周辺諸国の複雑な関係を反映したような軍装であった。日韓併合後、大韓帝国軍は解体され一部部隊は日本軍に吸収されるにしたがって朝鮮半島としての軍装も消滅したが、反日独立組織の光復軍や独立軍、朝鮮決死隊、また朝鮮民主主義人民共和国の歴史上では朝鮮人民革命軍(実態は中国の(東北抗日聯軍の朝鮮人部隊の一部、その後のソ連極東軍第88特殊旅団。)において独自の軍装が作られ、ゲリラ軍兵士などが着ていたとされているが詳細は不明である。第二次世界大戦後の東西冷戦の最前線である分断国家として出発したという事情から、朝鮮半島の2つの国の軍服は、大韓民国(韓国軍)においては西側諸国とりわけアメリカ合衆国、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮人民軍)においてはソビエト連邦、中国の軍服の強い影響を受けた。さらに、たとえば同様に分断国家であった東西ドイツの軍服と比較すると、大韓帝国時代の軍装は殆ど両者に受け継がれず南北分断以前に日韓併合によって非独立国であった(大韓帝国時代にようやく出来始めた近代軍服の伝統も消滅した)ことも手伝い、南北両国を通じて共通する意匠(帽章、襟章等)もほとんど存在せず同一民族が全く系統の異なる軍服を着用し、それが軍服に対する東西両陣営の発想の違いを端的に示す形となった。ただし、背嚢などの一部の装備品にはかつての旧日本軍の影響が両者ともに残っている。反日組織の多くは、国内での活動がままならず大陸を軍事拠点とした。従って、軍服もその拠点とした地域における援助組織の影響を色濃く受けている。例えば、初期の東北部を拠点とした独立軍諸派はソ連軍風の軍服を着用しているケースが多く見受けられる。一方、中国国民革命軍の訓練を受けた朝鮮義勇隊は、略帽や軍衣は国民革命軍の民国18年制式や民国24年制式を供与された。これは韓国光復軍も同様であったが、のちに独自の制服を有した。この制服は折襟で、胸2点はプリーツ入り丸型の貼りポケット、腰2点はフラップとなっている。左胸に部隊章を付ける、左胸ポケットに万年筆用の穴があるなど国民革命軍の影響も残る。米軍式の制帽を使用、略帽は国民革命軍のそれに太極章を付けていたが、のちには日本軍風の顎紐の付いた戦闘帽や日本の国民服用の様な耳当ての付いた戦闘帽、米軍式ギャリソンキャップを使用するようになる。階級章は軍官は肩、下士卒は袖に付ける。階級呼称は大韓帝国時代を強く意識したものとなっている。大戦後期には米軍装備が中国軍に普及されたことを受け、アイクジャケットやジャックブーツなどを使用するものもあった。また、東北抗日聯軍などの共産党系抗日パルチザンは帝国陸軍ないし国民服の影響を強く受けた制服を着用していたと思われ、98式軍衣を彷彿とさせる折襟の軍衣にサムブラウンベルト、赤い星の付いた戦闘帽といった出で立ちであった。大韓民国国軍創設前の前身組織である南朝鮮国防警備隊では、当時朝鮮半島に多く残された旧日本軍の余剰軍装品を多量に使用した一方で米軍式のアイクジャケット型制服を導入し、軍装面からは徐々に日本軍的な要素は排除されていった。(しかし当時の指揮官の中には自身が日本軍の将校であった時代に使っていた軍刀を米軍式制服に組み合わせる者も多かった)。これは後に日本で創設される自衛隊の前身組織、警察予備隊の当時の制服の状況と非常に似た過渡期軍装であった。この時期に階級章や階級制度などが制定、整備され後の大韓民国軍軍装の基盤を作り上げていった。近年まで米軍の第二次大戦時軍装、ベトナム戦争時軍装を基本とした軍装と装備であった。朝鮮戦争前後には旧日本軍の影響も強く残っていたが、1960年代にはほぼ米軍式となった。旧日本軍の影響の名残として近年まで背嚢には通称「蛸足」と呼ばれる天幕や飯ごうを取り付ける紐がついていた。特戦団などの特殊部隊や郷土予備軍では1960年代、70年代からダックハント迷彩などが使用されていたが、一般陸軍では1980年代まで基本はOD色の戦闘服だった。1990年代から米軍のウッドランド迷彩を元にしたウッドランド迷彩が登場し、近年はACU迷彩をヒントにした新型迷彩を導入している。装備品は実質米軍の第二次大戦装備のM1936装備やベトナム戦争装備のM1956装備を基礎にしているが上記の背嚢など、細かな個所はやはり独自的に形や形式、材質を変えられたものが多い。ヘルメットは長年M1ヘルメット型であったが、1990年代から米軍にならってフリッツ型を導入しつつある。韓国軍では制服に相当するものを正服(정복)と呼称する。正服は創設初期から1960年代までは茶色であったが、70年代は青灰色となり帽子に装飾が付くようになった。現在はダークグリーンとなっている。士官は袖に黒のパイピングが入り、尉官は3cm、領官は4cm、将官は5cmとなる。副士官は精勤章を付ける。憲兵、軍楽隊、儀仗隊を除き徴兵された兵士には支給されない。礼服(예복)は、夏季は白、冬季は黒となっておりエポレットに似た形状の肩章を付ける。基本的に将官や駐在武官にしか支給されない。儀仗兵や軍楽兵の礼服に相当するものとして行事服(행사복)がある。ともに詰襟だが、儀仗兵は上衣が灰色、軍楽兵は赤となる。1946年以降、朝鮮戦争全期に渡り「美國軍事援助作業服」と呼ばれる米軍の戦闘服を着用していた。韓国軍の戦闘服が正式に規定されたのは1954年9月である。当時は戦闘服ではなく作業服と呼称していた。ズボンのポケットの位置を下方に調整した以外はアメリカ軍のそれと大差はなかった。1965年、韓国軍独自の意匠として、肘・膝・腰などの摩耗しやすい部分に補強用の布パッチを取り付けた通称「トッテム軍服」(덧댐 군복)を採用したが、短命に終わった。1967年、ウイングカラーを適用しズボンのポケットを中ポケットに変えた。またこの時、正式名称を「作業服」から「戦闘服」に変更した。1971年2月には、帽子を野球帽タイプに変更。また裾をズボンの外に出す形で着用したが、背が低く見えるという理由から不評であった。1973年にはポケットを小型に変更。1990年11月23日より全軍共通で緑・カーキ・茶・黒の4色より構成されたウッドランドタイプの斑点迷彩が採用された。夏季と冬季の2種類があり、夏季はポリエステル65%、コットン35%となっている。将校用階級章にはダークグリーンの肩章が採用されたが、判別しづらいという事で93年に明るいグリーンへと変更された。また1996年ごろには迷彩の色調が全体的にやや明るく変更された。そして2010年10月12日、新たに5色のデジタル迷彩が採用された。基本的に陸海空共通だが海兵隊および特戦のみ迷彩のパターンや色彩が若干異なる。生地はポリエステル65%、コットン35%で、伸縮性・防臭性に優れ、斑点迷彩の問題点であった耐久性が解消された。また裁断面では、上衣がボタンからファスナー式へと変更され、裾は1971年制式のようにズボンの外に出す形で着用することになった。また、韓国軍の大きな特徴であったアイロンがけをする必要もなくなった。靴は防水性に優れた皮革となり、重量も3分の1へと軽量化された。一方で、オールシーズンであった事から夏季の通気性に難があり、兵士からの不満が続出した。これを受け、新型デジタルでは禁止されていた袖まくりが許可されることとなった。2014年5月23日、3年間の混用期間が終了。8月25日には旧型斑柄戦闘服が軍服取締りの対象からも除外された事が発表され、これを以て陸海空軍全ての部隊がデジタル迷彩への完全移行となった部隊章は上腕部のポケットの上に縫い付けていたが、2015年1月ごろからACU迷彩のようにポケットと一体となり面ファスナーとなった。帽子はデジタル迷彩導入に伴いJSA警備や海軍・空軍を除きダークグリーンのベレー帽となった。兵士は布刺繍の帽章、副士官(下士官)は階級章を配し、兵卒は帽章のみである。後述の特戦要員の他にも、郷土予備軍は1970年代からレパード迷彩、捜索隊や特攻隊は1980年ごろから一般部隊に先駆けてウッドランド迷彩を使用していた。この他、首都防衛司令部では通称「維新服(유신복)」と呼ばれるハニカム構造の様な独自の迷彩服が支給されていた。特殊戦司令部要員は特戦空挺旅団の草創期以来独自の戦闘服を有しており、また最大の特徴として黒いベレー帽を被っている事が挙げられる。草創期以来長らくダックハンター迷彩やヌードルパータン迷彩が使用されていた。1990年には一般部隊と同様のウッドランド迷彩が導入されたが、上衣左上腕部のシガーポケットおよびファスナー、下衣の臀部ポケットの雨蓋の有無、ボタンフライの数など細部が異なる。2010年以降のデジタル迷彩は一般部隊よりやや明るめの色調となっている。なお、707特殊任務大隊や旅団偵察隊などの特別任務に就く部隊は独自の黒い戦闘服を着用し、EXFILヘルメット等の使用例も見られる。同様の戦闘服は各軍団の憲兵特殊任務隊(SDT)などでも用いられる。階級章はベレー帽と肩に付け、部隊章は右胸に付ける。幹部(士官・副士官)は階級章を、兵は特戦徽章をベレーの黄色い楯状の布に付けていたが、2014年4月1日の改定により、幹部は階級章の上に将校用特戦徽章、兵は兵用特戦徽章のみを付着するようになった。新兵訓練における遊撃戦訓練を指導する「陸軍遊撃戦訓練教官」は、庇が長く角ばった帽子を被る。この帽子は下士卒は赤、士官は黒である。また、一般の戦闘服に半分だけ白生地を張り付けた独自の戦闘服を着用する。板門店でも見る機会の多い憲兵は、冬は詰襟、夏は半そでシャツを着用。両肩に白い飾緒を付ける。初期の軍服は日本海軍の影響を色濃く残しており、また水兵帽のペンネントは漢字で「」(大韓民国海軍)と表記されていた。1952年に「海軍服制令」を制定して以降はほぼアメリカ式となり、水兵帽のペンネント表記も「」(大韓民国海軍)とハングルになっている。また、海上自衛隊の海士の制服と比べて、丈が長いなどアメリカ海軍の様式に近いデザインである。海兵隊も米軍の影響を非常に受けた意匠であり、緑のブレザーにカーキのネクタイとシャツ、礼服は詰襟、戦闘服はタイガーストライプ柄で八角帽を着用。また、一般部隊も迷彩服を着用する事もあるが、デジタル迷彩導入後も野球帽タイプのままである。UDTや(SSU)のウッドランド迷彩は陸軍通常部隊と異なり、4つポケットのエポレットなし、下衣のポケットに蓋が付くという構造であった。UDTでは迷彩のベレー帽、SSUでは八角帽が使用された。デジタル迷彩導入後、UDTでは灰色のベレー帽となり、SSUは引き続き迷彩柄の八角帽。また、UDTではマルチカム迷彩を使用する事もある。冬季正服は基本的に陸軍と同じデザインだが、ブレザーは緑が強く、中に着用するシャツとネクタイはカーキ色である。夏季は半そでとなる。かつては夏季にも上下カーキ色のブレザータイプの正服が使用されていたが、1970年に廃止された。現在の夏季正服はそれまで夏略正服ないし夏勤務服として使用されていたものを夏季正服としたものである。夏季ズボンはカーキ色と冬季と同じグリーン色が混在していたが、1982年にグリーンに統一された。冬季正服は採用以来大きな変化はないが、1970年に袖章が追加され、1986年にブレザーの色が「スイカ色」と呼ばれる青みのかかった緑に変更された。また、当初襟には階級章が付いていたが、1987年1月に廃止された。礼服は1960年代に制定されたもので、夏は海軍一般部隊と似たギャバジン製の白い詰襟、冬は黒の詰襟で襟に装飾が入る。勤務服は緑色で、1987年以降襟がノータイ式に変更。韓国軍では珍しく勤務服にも制帽を着用していたが、2016年より海軍一般部隊同様、略服にもギャリソンキャップが導入される事になった。戦闘服は、初期は特戦のダックハンター迷彩等を使用していたが、1977年よりブロックパターン迷彩(石垣迷彩)を使用。1990年には陸軍と同じ斑柄迷彩服となったが、2010年以降のデジタル迷彩は海岸を想定しタイガーストライプ調となっている。ネームプレートを右胸ポケットと平行に取り付けるのも大きな特徴である。八角帽の前面には階級章を付けるが、2014年から兵卒は付けなくなった。朝鮮人民軍の軍服に関する情報が当局から公開される事はほとんどなく、その種類や変遷は写真や映像、あるいは脱北した元将兵の証言から考察せざるを得ないのが現状である。襟に階級章がついたカーキ色の人民服風の軍服と制帽、もしくは戦闘帽を着用していることが多い。兵下士官はソ連型のプルオーバー形(ギムナスチョルカ型と呼ばれる)の軍服が基本である。ソ連軍と中国人民解放軍、そして旧日本軍の軍装から強い影響を受けていると、一般的に言われる。2011年の金正日総書記の死去以降、旧態依然としていた朝鮮人民軍の軍装は大きな分岐点を迎えつつある。即ち軍楽隊や人民保安部の女性軍人へのハイバック型制帽、空軍名誉衛兵隊への青ブレザー、夏季シャツの導入など、西側やロシアの要素を取り入れたものとなっている。その一方で、女性軍官向けに1960年代に使われていたハンチング型制帽の復活、朝鮮戦争期の夏季白キーチェリの意匠を盛り込んだ略礼装の導入など、金日成主席時代の要素復古の傾向もあり、金正恩第一書記の改革方針を軍装にも反映させる意図が伺われ、その改正は毎年日を追うごとに目まぐるしく行われている。2013年に朝鮮中央通信が発表した記録映像では「軍服を我々の革命武力の性格と使命が反映され軍事行動にも便利なだけでなく、時代的美感にも合わせ見事完成させることに乗り出す戦略を明らかにした」との声明がなされており、今後より朝鮮人民軍の軍装は大規模な改定がなされるものと思われる。朝鮮人民軍の軍服が制定されたのは1947年のことであると思われる。当時はソ連軍のそれにもっと酷似した軍服であり、将校・将官は詰襟式で肩章のついたキーチェリ、兵下士官は折襟であったが肩章式の戦士服であった。その後、1958年から全軍事称号で折襟の人民服タイプに襟章が基本スタイルとなり、現在も軍事称号制度に若干の改正はあるものの、1960年代からほぼ同一である。その後、礼服として灰色に近い茶色をした肩章のつく開襟式の軍服、将校・将官の常勤服として戦闘服と同じ色をした開襟式の軍服が採用され、詳細は不明だが1985年頃には現在の区分が出来上がったものと思われる。女性はズボンを使用することはモンペを髣髴とさせるという理由からスカートを穿いているが、野戦等の時はズボンが許可される。スカートは70年代まで紺色のプリーツであったが、現在では上衣と同色のタイトスカートとなっている。海軍の軍服もソ連海軍の軍装が原型であり兵下士官はセーラー服、将校・将官は折襟式の軍服である。空軍は陸軍とほぼ同じデザインの軍装であるが、兵科色と徽章が陸軍とは異なり、また制帽に徽章が入る。裁断はソ連の「キーチェリ」型とほぼ同様である。ポケットは胸のみでボタンはない。色はカーキで、陸軍の場合襟、袖、そして袴に赤いパイピングが入る。空軍はパイピングが青色であること以外には陸軍と同様。夏になると白い上衣も存在した。折襟になった以外は裁断の意匠に大差はないが、袖、及び袴のパイピングが廃止されたシンプルなものとなった。1970年代までは乗馬ズボンも使用されていたが、現在では護衛司令部や名誉衛兵隊要員を除きスラックスのみとなっている。着用対象は基本的に軍官だが、護衛司令部の他に軍楽隊や板門店勤務などの特別任務の下士官兵にも支給される。1958年、新たに一般将校を対象とした開襟式の礼服が採用された。OD色で女性は蝶ネクタイを使用。現在では以下の正装、礼装(常勤服)、そして略礼装の3種類がある。正装は、1970年に採用されたもので、集会や海外要人との会見などといった一般的な場や板門店警備隊などでも日常的に用いられていたが、1985年よりその役割は常勤服に取って代わられた。現在では主に軍事パレード等儀礼の場で着用されるのみである。1958年制式の礼服と似ているが、色合いは明るいカーキ色で、帽子には赤い鉢巻が入り装飾も華やかなものとなった。肩章はショルダーボード型。ズボンには2本のストライプが付いている。ポケットは胸2点と下部2点の計4点であったが、92年に胸ポケットが廃止され、同時に将官礼服襟章と佐官礼服襟章のデザインも変更された。2011年には将官の帽子の装飾が廃され、その後赤い鉢巻も廃された。2015年10月10日の党創建70周年記念式典では新たに飾緒を付けている事が確認できる。1985年ごろに採用されたもので、やや古臭さの残る外出服や正装と比較すると比較的洗練された印象を受ける。機能性・実用性を重視し、装飾を控えたシンプルな意匠となっている。裁断は4つボタンのブレザー、肩章はショルダーループ型で、ポケットは下部2点のほか右胸にもある。将官以上は帽子の腰回りに礼装と同様の装飾が入っていたが、こちらも正装と同様、2011年以降に廃止された。板門店警備や説明員などの重要職務につく軍官には夏季シャツも支給される。ソ連軍のブルゾン型常勤シャツと似ているが、腰の調節タブと絞り部分にボタンが付き、胸のポケットにはプリーツが入る。長袖タイプと半袖タイプがあり、長袖の場合はワンタッチ式の短いネクタイを着用。2013年ごろから将官向けにも新たな夏季シャツが導入された。こちらは開襟で腰の絞りはゴム型である。2012年4月15日の金日成生誕100周年祝賀閲兵式にて新たに導入が確認されたもの。前述の夏季白キーチェリを強く意識した意匠となっている。上衣は白の折襟で、階級章は肩に付け、襟には赤で縁った柏葉型の金色の装飾がつく。サムブラウンベルトを使用する場合もある。袴は紺色で、赤のパイピングが2本入っており、スラックスと乗馬ズボンの2種類がある。帽子は官帽ではなく、略帽を被る。勲章の佩用は略綬で行われる。なお、これまで将官の中でも上将級~次帥といった最上級の軍人しか着用が確認されてこなかったが、2015年10月10日の党創建70周年記念式典では学校部隊と思われる下級軍官も着用しており、着用対象は不明。護衛司令部所属と思われる閲兵式での警備要員、軍楽隊などに支給される。主な構造は外出服と同様だが、ソ連のM69のように肩章と襟章が付く。襟と袖そして袴に赤いパイピングが入り、軍事称号は両端に藍色のパイピングの入った肩章で示される。制帽はソ連軍タイプのいわゆるフラーシュカである。外出服の場合、将官級の顎紐が金モールであることを除いては将校下士官の意匠に違いはない。ただし下士官兵や下級将校の場合クラウン部の骨が不十分のため、綿を詰めることでかろうじて高さを保っている。1990年代初頭よりソ連・ロシアの影響でクラウン部が高くなった。正装は赤い(空軍は青)鉢巻が入っていた。将官の場合、正装・礼装ともに鉢巻部に金の装飾が付き、この装飾は92年に若干の改正がなされたが2012年までに全廃された。帽章は金属だが、将官は金の刺繍となる。女性は兵士はベレー帽、士官はクラッシュキャップ式の官帽であったが、1970年代にベレー帽へと統一された。しかし2011年4月頃より陸軍・空軍の軍官及び長期服務士官と学校生徒、軍官候補生にクラッシュキャップが復活、また将官は男性と同タイプの官帽を被るようになった。一方、戦闘帽はソ連とは異なりケピ帽のような独自の形状をしている。これは官帽よりも先に制定され、デザイン自体は朝鮮戦争前後の時代から現在にいたるまでほぼ変化はない。両側には防寒のため耳当てが付いており、国民革命軍の使用した規格帽を髣髴とさせる。軍官は全面に2本の赤線(空軍は青)が入るが、物資不足のためか希に下士官でも着用していることもある。また、元帥クラスはあご紐に金モールが付く。2011年ごろの改定で高くなった。下士官兵は平時戦士服(戦闘服)が基本である。47年制式ではソ連軍の35/41型ギムナスチョルカの影響を受けつつも、朝鮮の伝統衣装であるパジのような幅の広いズボンと開襟時のガスフラップを特徴とする。58年改正以降は折襟であり、ズボンの丈も外出服と変わらないが、裾をボタンで留めるものもある。材質はテトロンもしくは綿製で、訓練・作業等の平時には綿製を使うが、儀礼時にテトロン製を使うといった使い分けの規定はないとされる。夏服の支給は3月末に行われ4月1日に衣替え、冬服の支給は11月中旬に行われる。支給頻度は一般部隊は2年に1回、軽歩兵・偵察部隊は毎年である。なお例外として、工兵部隊(建設部隊)は規律の悪さから通常の軍服を着用する事が許されなくなったため、赤茶色のブルゾン型といった独自の作業服を着用、兵・下士官は労農赤衛軍兵士が被るものと同様ハンチング帽と赤い星章、軍官においては通常の戦闘帽を被る。迷彩服は、かつてのソ連軍など東側の軍隊に多く見られたつなぎ式の迷彩服を通常の軍服の上から着込む古いものであったが、1992年の朝鮮人民軍創建60周年記念式典には独立して着用するタイプの存在が確認できる。当初の迷彩の形状、パターンは明るい緑色のシンプルなダックハンターだったが、2000年代よりソ連軍や中国人民解放軍、近年は韓国軍や自衛隊のそれを模したものなど、かなりの種類が確認できる。形式は貼りポケット型で2つ切れ込みが入る。上衣の他、両腕上腕部にも1点ずつ存在する。階級章は左胸に付けていたが、2010年の改定で通常の軍装と同様に襟に付けることとなった。この襟章は下地は緑で、その周りを陸軍の場合赤で囲む。しかし、これらの支給は航空陸戦隊、国境近辺や特殊部隊等一部の部隊に限られ、現在においても基本的な軍服に迷彩は取り入れられていない。近年ではもはや珍しい類の軍装である。これは共和国の深刻な経済状況により全軍支給ができない、或いは一線級部隊のみでしか迷彩服が必要視されていない事から、迷彩服を大量生産するラインが確立できていないためと推定されている。厳しい経済状況により軍服の生地質の悪化や製法の簡略化などが多く行われており、基本的な耐久性すらも疑問視される程である。2010年の階級改正と同時期に前方師団を中心に普及率はやや高まったと考えられるが、中には人民解放軍の旧式迷彩を安値で買い取っているものもあると思われる。また、ヘルメットカバーとしての迷彩は広く普及している。ヘルメットは長らくソ連のSSh-40に似た古めかしいものだったが、2011年頃よりケプラー製ないしプラスチック製のフリッツヘルメットが現れた。防寒服としてはソ連式のテログレイカと呼ばれる服に似た綿の入れられた特徴的な被服がある。この防寒服は九州南西海域工作船事件において自爆した工作船から回収された遺留品の中にも同型の防寒服がある。また防寒帽も同じくソ連式のウシャンカ型である点も各共産圏軍装とも共通した特徴である。一方、制服と併用して着用する通常勤務用の外套は将兵ともにダブルのチェスターフィールドコートであり、将官、元帥クラスとなると袖章が付く。軍官、戦士ともに軍靴と戦闘靴の2種類があり、戦士の場合、戦闘靴は「地下足」と呼ばれ、1年に1足、狙撃、軽歩兵、偵察部隊支給頻度は1年に2足、軍靴は2年に1足とされるが、物資不足から更新がままならず10年に1足のケースもあるという。更新頻度は軍官も同一だが、上佐以上の高級軍官は毎年革製の短靴が支給される。兵科章は階級章上部に併記されていたが、92年改正で「陸海空の三軍種のみ」と簡略化された。芸術宣伝隊、体育団、軍学校生徒、軍楽隊博物館員は本来軍事称号を明記する肩章・襟章の部分に特殊兵科章を付ける。1998年から導入された長期服務士官制度は、通常の戦士級領章とは異なり、黄色の下地に赤線で軍事称号を示す。この制度は技術系、准士官等の説があるが詳細は不明。軍官の制服は色を除き陸軍と同じ裁断だが、パイピングの代わりに袖にも階級章がつく。帽章は星章に柏葉を配しその上に錨が付く。陸・空軍と同じく礼装も同様にあるが、軍服の色・徽章・ボタンは海軍独特である。セーラー帽のペンネントには朝鮮人民軍海軍のハングル文字が入る。兵下士官の階級章はセーラー服であるため、長方形の肩章式となる。またベルトバックルには海軍を示す錨と星の重なったマークが入るバックルとなる。また、戦士級にも黒い外出服も支給される。夏服は上着及び制帽が白色、冬服は黒色となる。袴は夏冬一貫して黒である。空軍は制服および帽子のクラウン部のパイピングが青であることを除き陸軍と変わらない。腰部の帽章は陸軍と同一で、ソ連空軍のように別個にクラウン前面にウィングマークがついていたが、2014年ごろに腰部の帽章と統一された。航空要員は中国空軍が2004年まで使っていた59式の夏飛行皮服、冬飛行皮服とほぼ同型(あるいは全く同じ)の革製のフライトジャケットとズボンを使用している。人民保安員の制服はかつては折襟肩章であったが、現在は詰襟に肩章という形をとっており、1947年制式の詰襟を復古したような印象を受ける。2014年の省への格上げに伴い帽章の変更、またズボンが紺色からカーキに変更され、夏季シャツと女性向けにハイバック型の帽子が導入された。軍官常勤服は人民軍と変わらないが、中のシャツはこげ茶色となる。野戦装備は陸軍と同じ戦士服であり、国境警備という任務上、迷彩服も広く普及しているものとみられる。この迷彩服は陸軍とは異なり、襟章は外出服と同じものを使用、また略帽には軍官であることを示す黒線が入っている様子が確認できる。朝鮮人民警備隊は人民軍と同様の裁断だが生地の色合いは緑であった。朝鮮人民内務軍への組織変更に伴い人民保安員と同一の制服となったが、常勤服はシャツの色が明るいカーキ色となる。式典を取り扱う軍楽隊要員、名誉衛兵隊では、任務上様々な特殊軍装が使用されている。演奏時、軍楽隊員は基本的に礼装を着用する。朝鮮人民軍協奏団や功勲国家合唱団などのステージで演奏する楽団と閲兵式で演奏する軍楽隊では任務の違いからそれぞれ細部が異なるため、以下で個別に解説する。まず、楽団の礼装は一般軍官と同様のものであるが、ブレザーの襟が赤いパイピングで縁取られる、メインボーカルを務める人物は紺色のズボンを穿くなどの点で相違点がある。また襟章・肩章には軍事称号を表記せず特殊兵科章のみを付ける事が多い。この軍楽隊要員用礼装は2011年以降の一般将兵の赤鉢巻廃止後も変更される事はなかったが、2013年7月ごろ~8月ごろの改正で、鉢巻が廃止されると同時に帽章や袖章の装飾、金モールの顎紐、飾緒などが追加され、肩章は赤から暗い金色となった。一方、軍楽隊の礼装では、男女ともに名誉衛兵隊とよく似た5つボタンのダブルブレザーを着用する。金と赤の逆V字型の袖章が付き、襟章は5角形となっている。ただし、メイン位置に立たない戦士級は折襟の上衣を着用する事もある。この上衣は通常の戦士用礼装と似ているが、赤い鉢巻が入らない。13年改正以降、こちらの礼装も大規模な改定がなされた。肩章はエポーレットとなり、ケピ帽を被る事もある。また女性の場合、軍官級ないし指揮者、メイン位置に立つと思われる人物は3つボタンのシングルブレストへと変更、戦士級ないし後方位置は詰襟、いずれも帽子はハイバック型となっている。名誉衛兵隊では、将校用正装に似たダブルブレザー式の軍装が全階級の将兵に導入されていたが、軍楽隊と同時に行われた2013年6月ごろの大規模な改正で戦士級はブレザーの中に詰襟シャツを着用、また帽子腰回りや袖の装飾も華やかとなったほか、空軍は青いブレザーとなった。革命学院生徒はキーチェリに軍官用略帽を被る。肩章には特殊兵科章を付ける。万景台革命学院生の制服は人民軍と同色の服地に対し、金正淑革命学院生、南浦革命学院生など他の革命学院の制服は青緑色である。

出典:wikipedia

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