桐生八木節まつり(きりゅうやぎぶしまつり、桐生まつり)は、群馬県桐生市で開催される祭りである。八木節の名を冠しているが、元来、牛頭天王(素戔嗚尊)の祭礼であるため、桐生祇園祭(きりゅうぎおんまつり)とも称する。桐生市の中心部(本町通り、末広町通り、錦町通りなど)で、毎年8月の第1金曜日から三日間開催される。わたらせ渓谷鐵道や上毛電気鉄道では、祭りの開催日にあわせて臨時列車が運行される。両毛最大規模の夏祭りであり、本町五丁目交差点を中心として、北は桐生天満宮鳥居前まで、西は桐生駅北口まで、南は錦町十字路(旧錦町ロータリー交差点)まで、総延長約2.5キロメートルが歩行者天国となる。桐生まつりの源流は、桐生新町三丁目(現在の本町三丁目)の衆生院の境内にあった牛頭天王社の祭りである。天正19年(1591年)の桐生新町造営から約60年後、明暦2年(1656年)に最も古い祭りの記録がみられるため、この年を桐生祇園祭の起源と定めている。明治の神仏分離令によって、明治3年(1870年)に三丁目の衆生院は廃され、天王社は八坂神社と改めた。これによって、それまでの天王祭礼は「八坂祭典」と呼ばれるようになった。宮本町の美和神社境内に西宮神社が建立され、新たに参道(恵比寿通り)が整備されたことがきっかけとなり、明治41年(1908年)、八坂神社は美和神社に合祀された。昭和39年(1964年)からは、春の商工祭・文化祭、夏の七夕祭・花火大会、秋の桐生祭・体育祭など、多くの行事・祭礼と統合され、第1回「桐生まつり」として開催されるようになった。昭和63年(1988年)には、新たに全日本八木節競演大会が開催され、この年から祭りの名称に「八木節」の文字が加わり「桐生八木節まつり」となった。近年では八木節を舞う若者が、本町交差点のやぐらに集まり、各々の衣装で八木節を舞い、盛り上がりに華を添えている。桐生新町は現在の本町一丁目から六丁目と横山町で構成され、横山町を除いた六丁は「惣六町」と呼ばれる。祭りの当番町である「天王番」を、惣六町が順番に担当する。鉾は三丁目と四丁目が所有し、屋台は一丁目から六丁目がそれぞれ所有する。翁鉾(おきなぼこ)は、文久2年(1862年)に完成したもの。三丁目が所有する。上部の人形は源頼朝像で、翁の面をつけていることから「翁鉾」と呼ばれる。本町三丁目の「翁蔵」に常設されている。四丁目鉾(しちょうめぼこ)は、明治8年(1875年)に完成したもの。上部の人形は素戔嗚尊。本町四丁目の「あーとほーる鉾座」に常設されている。
出典:wikipedia
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