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橘右近

家業は庭師だったが継がず、最初は浪曲の吉川小龍の門で龍馬を名乗る。寄席のビラ字(現代風に言えば寄席宣伝ポスターの文字)は江戸期から専門の職人が書いていたが、寄席の件数が減少すると次第に職人がいなくなってしまった。やむなく各寄席で間に合わせ的に書くようになったが、専門職ではないため統一した様式は失われていった。橘右近は落語家時代から寄席にまつわる物を収集しており、『ビラ辰』などのビラ字を教えを乞う師匠がいない状態から見よう見まねで書き始め、自身のスタイルを確立していった。弟子の橘左近に語るには「最初のころのは見せられないくらいひどい」出来だったという。昔の名人が書いたビラ字を見てきた古い噺家(落語家)たちや席亭がいたのでうるさかった。ことに5代目柳亭左楽と新宿末廣亭席亭北村銀太郎がひかえていたので真剣だったと語っている。落語家時代からビラと共に寄席周辺諸々を集めていた。当初はコレクションというより「大勢の人の手と工夫で出来ているもの」をそのまま捨てないということだった。しかし、すべてコレクションするのは不可能なのでテーマを決めて整理した。本業のビラ、落語会のパンフレット、プログラム、新聞の切り抜き、演芸関係の古書等多岐に渡っており、国内有数のものである。なお右近のコレクションは4代目古今亭志ん馬から譲り受けものも多く「集古庵」と呼んだ。江戸時代より続く落語は、落語家の名跡や亭号の系統が不明な点が多い。新しい名前が作られては消えていき、また歌舞伎の様に世襲ではなく、噺家が自らの所属する一門を離れ他門へ移籍したり、他門の名前を襲名する毎に系統に乱れを生じた。また、残されている資料もことに明治以前のものは少ない。断片的な資料が多いなかで明治期に系図の形でまとめられたものは4代目桂文之助著『古今落語系圖一覧表』1909年(明治42年)8月(文之助系図と通称される)が有名だが、その他の資料は噺家の所属団体の台帳や、当時の雑誌など。落語評論家や落語研究家があまりに手間がかかりすぎると敬遠してきた分野を収集した資料を基に研究し、後世に残した功績は大きい。落語家の系統・系図の研究は弟子の橘左近に引き継がれている。†印は物故者

出典:wikipedia

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