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山本進悟

山本 進悟(やまもと しんご、1974年7月29日 - )は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。東京都出身。ガソリンスタンド課長、自動車整備工場代表を経て、現在はトレーニングジム経営。身長171cm、体重67kg(2012年12月時点)。保善高等学校卒業。1997年の第1回大会からSASUKEに出場し、2015年の第31回大会まで唯一の「SASUKE皆勤賞」として出場を続けているSASUKEオールスターズの1人。初出場時にはガソリンスタンドアルバイト勤務だったのだが、回を重ねる毎にどんどん出世をしていき、1999年の第4回には店員に、2000年の第6回には所長に、2004年の第13回にはエリアマネージャーに、2011年の第26回には課長にまでなっている。これを当時の実況古舘伊知郎は、「油まみれの出世物語」と呼んでいた。出世を重ねる毎に充分なトレーニングが出来ていない状態で本番に挑んでおり、仕事の終わる深夜からトレーニングを行っているという。2012年10月末に退職し、2013年5月に自動車整備士に再就職。その後、整備工場の代表に加え、ガソリンスタンド4店舗の統括マネージャーになった。2015年5月に退職し、現在は世田谷区で、最新の機材を揃えたトレーニングジムの代表を務める。左肩の脱臼癖があり、大会時に痛めたり脱臼してしまったこともある。腰痛も発症しており、ベストコンディションではない中でのSASUKE挑戦が続いている。しかし「SASUKEは人生最良の趣味」として楽しみながら挑戦を続けており、インタビューなどでは明るい面を見せることが多い。2つのファイナル(第1、2形態)を経験している4名のうちの1人(残り3人は第2、3形態を経験した長野誠と第3、4形態を経験した漆原裕治、そして第4、5形態を経験した又地諒)でもある。第17回前には、「SASUKE御殿」と呼ばれるマイホームを購入した。陸上経験があり、高校時代に走り幅跳びで関東大会4位という実績を誇る。第1回、第2回は陸上のユニフォームで出場していた。第1期から第5期までの全てで1stを突破している唯一の選手である。第1回はゼッケン7番で出場(当時23歳)。1st丸太下りを初めて立ち幅跳びで突破。そのままそそり立つ壁も楽々上りきり、当時の実況者(戸崎貴広)から「凄い!」と叫ばれた。1stを29.0秒残しで突破し、史上2人目の1stクリア者となる。しかし、2nd5連ハンマーで橋を渡りきったものの、その後バランスを崩してコースアウトとなる。第2回は2ndウォールリフティングを両手で胸の辺りまで持ち上げた後、両足を前方に突き出して倒れこみながら壁を支えてクリアするという特異な方法で突破した。3rdの最初の挑戦者となり、新設された難関パイプスライダーに史上初めて挑戦したが、2本目の途中で落下。第3回以降はガソリンスタンドの衣装で出場している。今大会は1stを20秒残し、断トツの最速タイムでクリア。2ndでは13.6秒を残し、第1回-第6回までの2ndでの最速タイムをマーク。史上初の1st、2nd同時最速タイムを達成している。3rdでは前回リタイアしたパイプスライダーも問題なくクリアし、初のファイナル進出。ファイナリスト5人中2位となる残り約3mで惜しくもリタイアするも、今大会の活躍は大いに注目を集めた。第4回のみ胸の部分のみデザインのある白Tシャツでの出場。ゼッケン98番と大昇格するも、1st揺れる橋でバランスを崩してリタイア。自身初の1stリタイアとなり、これが山本進悟の秋のジンクス(後述)の始まりとされる。今大会以降、長らくゼッケン90番台後半で定着しており、後のSASUKEオールスターズの基礎が出来上がった。秋山和彦の完全制覇によりリニューアルされた第5回は、ゼッケン98番の山本までに竹田敏浩の一人のみが1stを突破しているという状況での挑戦。難関そり立つ壁を二度目にクリアし、3.1秒残して1stを突破。クリア者3人の中で最速のタイムをマークした。しかし、1st後に脱臼癖のある左肩を痛め、2ndは肩にテーピングをまいての挑戦となる。2ndは問題ないペースで進んでいったものの、ウォールリフティング突入の時点で残り7秒というギリギリのところまで追い詰められる。その後、3枚の壁を驚異的な速さでくぐり抜け、残り0.3秒で滑り込みクリアとなる。ただ1人の挑戦となった3rdは、ボディプロップ、段差クリフハンガーを始めとする初挑戦の難関をクリアしていき、最終エリア・パイプスライダーに突入。しかし着地に失敗し、無念の落下となった。大会終了後、山本はかねてから交際のあった現在の妻と入籍を果たした。また、この回は山本が勤務する長谷川サービスステーションの当時の所長である大野寿治も出場していた(ゼッケン9番・ローリング丸太でリタイア)。第6回で勤務するガソリンスタンドの所長に出世。本番前には「1st、2ndを確実に」と語っていたのだが、1stローリング丸太でリタイア。自身は「悔しくて言葉がでない」と語った。第7回は1st、2ndを難なくクリア。3rdは前々回同様最後の1人となり、パイプスライダーでは後半部分を両方逆手で挑み、最後のジャンプでは着地地点でもう一度ジャンプすることにより距離を稼ぐようにしてクリア。リベンジを達成し、第5回のリニューアル後初のファイナリストとなった。しかし、FINALスタート直後、左肩を脱臼し、落下。2度目の最優秀成績者となる。 第8回は、出場時のコスチュームを従来の青からワインレッドに変更。前回左肩を脱臼したため、テーピングを巻いてでの出場となった。今大会は台風の影響により何度も中断しながらという大会となった。1stは雨が影響したのか、そり立つ壁を1回失敗。2回目の挑戦でクリアし、ロープクライムに突入。残り時間が非常に微妙なところだったが、頂上付近で左肩を軸にして足をかけ、登ろうとした瞬間足を滑らせタイムアップ。この頃から、「山本は春に強く秋に弱い」というジンクスを周辺の人物、山本自身も意識し始める。第9回は体調を崩し、風邪をひいている中での挑戦となったが、1stを残り10.27秒でクリア。今大会は2ndのスパイダーウォークがよく滑り、挑戦者達を苦しめていたが、山本はただ1人滑り止めをつけずにスパイダーウォークに挑んだ。残り11.69秒の最速タイムで突破し、3rdまで進む。第5回、第7回に続き山本の後の選手が2ndステージでリタイアし、最後の1人となる。新設されたスタートエリア、ランブリングダイスの最後の着地に失敗しリタイア。この直後のインタビューで山本は「今回はここまでが僕の実力でした」と語っている。第10回はそり立つ壁を一発でクリアし、残りタイムも充分あったが、新エリア、ターザンロープで手こずり、ロープクライムへの移行で大きくタイムロスをする形になった。一番下の位置から登ることとなり、スタミナが尽きてタイムアップ。これで秋の大会は4大会連続1stリタイアとなった。第11回は、前回の無念を晴らすかのような落ち着いた作業でターザンロープをクリアし、残りタイム15.4秒でクリアする。2ndも余裕のパフォーマンスで12.6秒残し、3rdまで駒を進める。クリフハンガーまで突入するも、下り段差で力尽きて落下。そして秋の開催である第12回。今大会はヘルニアを発症し、腰痛の中で満身創痍の挑戦となる。しかし1st、2ndを見事クリアし、秋のジンクスを遂に振り払った。しかし3rdランプグラスパーで苦戦。左肩を思うように使えないために、腕を曲げられず、ぶら下げた右手一本で必死に耐え抜く姿も見られた。クリフハンガーに何とか到達したものの、うめき声をあげ、登り段差で雄叫びをあげて落下した。直後のインタビューでは「ダサいです、今回は。情けないです」と口にした。第13回前に行われたSASUKEトライアルでは自身の番になる直前に雨が降り、その影響でそり立つ壁リタイアという不運に遭う。このSASUKEトライアルは回数制限がないため再挑戦が認められており、長野誠、中田大輔の2人が2度目の挑戦で突破しているが、山本は再挑戦を行っていない。これにより、2大会連続で3rdクリフハンガーまで進み、ここ9大会連続で96番以上のゼッケンを与えられていたものの、第13回はゼッケン76番となった(この大会では『黄金筋肉』のSASUKEトライアルの結果によって大方の番号が決められていたため)。また、大会前には所長からエリアマネージャーに昇進した。1stは13.71秒を残し、長野(29.03秒残し)に次ぐ2位のタイムでクリア。しかし、2ndウォールリフティングで時間との戦いになり、最後の壁で足を挟んでタイムアップ。第1回以来の2ndリタイアとなる。前回大会で秋の嫌なジンクスを払拭したが、今大会で春の良いジンクスをも振り払ってしまったという格好になった。30代になってから初の挑戦となった第14回は1stを25.59秒残し、第3位のタイムでクリア。2ndは前回同様時間との戦いになり、残り時間10秒を切ってウォールリフティングに突入したものの、3.1秒を残してクリア。初挑戦の3rdカーテンクリングでリタイアした。なお、この大会の表記は終始「山本進吾」という誤表記であった。第15回は2ndをクリア者6人中唯一の10秒台となる10.1秒の最速タイムで通過。後の挑戦者であった竹田敏浩は「2ndで最速なんて珍しいですよね」というコメントを残している。3rdは今までリタイア経験のなかった3rdボディプロップでリタイア。第16回は、89番から96番まで8人連続で1stをクリア中だったが、今までリタイア経験のなかった1stジャンプハングでの着水。第11回から続く1st連続クリア記録も5で止まった。第17回は1st、2ndを難なく突破するも、前々回同様3rdボディプロップでリタイア。長野誠の完全制覇によりリニューアルされた第18回は、ゼッケン争奪マラソンで早めのゼッケンである61番を選び、オールスターズの先陣を切った。新エリアのグレートウォールで1回ミスをし、残り時間が僅かだったことが焦りに繋がったのか、フライングシュートを突破した後の網への移行の際に落下。第19回は1stジャンピングスパイダーでリタイア。出場19回目にして自身初の2大会連続1stリタイアとなる。第20回は1stハーフパイプアタックで着地の際にバランスを崩し、頭から転落した。第21回は1stで大きなミスもなくフライングシュートまで突入。スピードを抑えて進んだものの、それが仇となって対岸の付近の綱に手が届かず、数十秒間の立ち往生。その後、大きく判断をつけた際に足が着水しリタイアとなる。第22回はゼッケン31番となり、第3回(ゼッケン13番)以来となる前半戦での登場となった。1stハーフパイプアタックの着地に成功した後、その先の細道でバランスを崩して着水。第18回からケアレスミスが続き、5大会連続の1stリタイアとなる。第23回はゼッケン93番となり、第17回以来のゼッケン90番台での登場となる。1stの難所を危なげなく進み、10.07秒を残し、第18回のリニューアル後では初の1stクリアとなる。2ndはサーモンラダー、アンステーブルブリッジなどの初挑戦の難関を初見でクリア。最後は時間との戦いとなり、ゴールボタンに飛び込み、1.24秒を残してクリア。今大会は10-20代の若手が2ndで苦戦をする中、ベテランの山本の奮闘が目立つ形となった。3rdに進出したが、最初のエリア、アームリングで肩が外れてしまい、無念の途中リタイアとなった。第24回は1stハーフパイプアタックでタイムロスをし、その後のそり立つ壁で2度失敗。ターザンロープ前でタイムアップとなる。山本の1stでのタイムアップは第10回以来となった。第25回は1stを珍しく帽子がとれずにクリア。2ndでは第9回以来となるオールスターズ最後の生き残りとなったが、リタイア経験のないバランスタンクで従来同様半分の地点から飛ぼうとしたが、対岸のロープを掴むも滑り落ちる形で着水。第26回は大会前にガソリンスタンドの課長に昇進していたことが判明。1stの新エリア、ローリングエスカルゴであと半回転というところでリタイア。第27回は1stをそり立つ壁まで危なげなく進むものの、新エリアであるスピンブリッジの4つ目で足を滑らせ、対岸付近に激突してリタイア。第28回は、開催前の2012年10月に長年勤めてきた「長谷川サービスステーション」を退職し、無職になったことが判明した。今大会は「オールスターズ最後の戦い」と釘打たれ、秋山が引退を宣言し、本番前には山本も「第1ステージをクリアできなければ引退」という覚悟を決めたことを語った。本大会は第17回以来9度目となる馴染みのゼッケン98番での登場となったものの、第3エリアに移動したスピンブリッジで足を滑らせ、着水してのリタイア。落下後のインタビューでは「やっぱりもう、昔のように体がついていってないなって、池に今入った瞬間思っちゃいましたね。今回で引退っていうのを決めて、また新たに自分の人生を歩みたいと思ってます」と語った。第29回大会がSASUKE ASEAN OPEN CUPの日本代表決定戦になると聞いた山本はSASUKEへの復帰を決意。しかし、その際自らへのケジメとして「SASUKEオールスターズの山本」として招待選手で参加するのではなく、一般の挑戦者同様に予選会からSASUKEへと挑む道を選んだ。かつての有力者や後のファイナリストをも跳ね返した予選会だったが、山本はその中を見事に突破して本選出場を果たした。本戦ではゼッケン36番での出場となり、4大会ぶりに1stクリア。自身初となる1st1人目の成功者となった。しかし、水中エリア2ndバックストリームの水流に苦戦し、最後はスタート地点まで押し戻されてタイムアップとなる。第30回はゼッケン2992で出場。現在はガソリンスタンド4店舗の営業統括マネージャーと自動車整備工場の代表になったことが判明。1stステージはクリアしたが、バックストリームで息が詰まり泳ぐことが出来なくなりリタイア。第31回は、ローリングヒルの下り部分でリタイアし、自身初のスタートエリアリタイアとなった。第32回は、新エリアのダブルペンダラムでリタイア。自身初の99番以上のゼッケンでの出場となった。1stでは毎回ローリング丸太で帽子を落とすのも特徴(実況やナレーション曰く「ステージクリアの身代わり」)だったが、ローリング丸太が撤去されてからは帽子を落とすシーンは滅多に見られなくなった(第25回にはローリング丸太が復活したが、第26回に撤去された)。ロープクライムでは、登りきってボタンを押そうとする際によろける事が多かった。秋のSASUKEには弱いというジンクスがあり、第4回から第11回まで続いた。原因は夏バテ。夏は食欲が涌かないらしく、スタミナ不足になりがちだったからである。その代わり春のSASUKEではいつも好成績を収めていた。最終挑戦者、最優秀成績、FINAL進出となった大会もすべて春の大会だった。高校時代に走り幅跳びの選手だった山本は、丸太下りを上の方からジャンプしてクリアした初の選手でもある。しかし第31回大会の1stで、丸太下りのリメイク版ともいえるローリングヒルの下り部分で昔と同じように上からジャンプしてしまい、距離が足りずに失敗してしまっている。2ndのバランスタンクでも幅跳びの要領で毎回残り半分の地点からジャンプしていたが、第13回では遠すぎたことにより着地地点でタイムロスをしてしまい、その影響でタイムアップになってしまった。第25回でも遠すぎたことにより、ロープを掴み損ねて落下してしまっている。ウォールリフティングも特徴的な攻略法をしている。壁を必要最小限に持ち上げ、自分の姿勢を低くしてくぐる。第13回ではこれが裏目に出たが、第5回、第23回ではこれが功を奏してギリギリ突破している。3rdステージ進出11回は全選手中、竹田敏浩に次いで第2位である。2ndステージの突破率も高い。リニューアル後の第18回〜22回大会の殆どでケアレスミスが原因でリタイアしている。それでも、23回大会では3年ぶりに1stステージを突破。リニューアルによって、サーモンラダーなどが登場し大幅に難易度が上がった2ndステージに初挑戦となったが、難なく突破し健在ぶりを示した(リニューアル後2nd初挑戦となった多くの若手が突破できなかったのと対照的である)。フジテレビの「海筋肉王」にも2005年4月に出場。個人戦第2弾に初出場。1stキャノンボールまではテンポよく進んだものの、スイングマストでタイムロスし、着地失敗して脱落した。2010年1月7日のスポーツマンNo.1決定戦「モンスターボックス(跳び箱)公認記録会」に、竹田敏浩、長野誠と共に参加。13段を記録した。

出典:wikipedia

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