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埼玉県第12区

埼玉県第12区(さいたまけんだい12く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。1994年の公職選挙法改正により、旧埼玉3区と旧埼玉4区から分割される形で設置された。全有権者数の4割を占める熊谷市を中心にし、中選挙区時代に埼玉県下で最も自民党が強いとされた旧3区(県北部)と旧4区(県東部)から分割された選挙区とあって、浮動票や無党派層が比較的少なく、保守層の支持が非常に強固な選挙区である。一時新進党に所属した増田俊男の自民党復党により、第42回衆議院議員総選挙以後は2人の「俊(敏)男」がコスタリカ方式で交互に当選してきたが、増田が小選挙区で出馬する番だった第44回衆議院議員総選挙の直前をもって引退。第45回衆議院議員総選挙は、本来比例代表単独上位で出馬するはずだった小島敏男が連続で出馬するも、民主党躍進の流れを受け本多平直に破れた。第46回衆議院議員総選挙では自民党で加須市出身の野中厚が議席を奪還し、第47回衆議院議員総選挙では再選を果たした。1996年の小選挙区制施行以来一貫して熊谷市在住の者が議席を維持してきており、加須市在住の者が当選するのは野中が初めてだった。野中が自民党の公認を得たことに、熊谷市の保守系市議会議員や団体等が反発し、野中との公認争いで破れた自民党の元埼玉県議会議員・森田俊和が、第46回では自民党を離党し無所属で出馬。約1万票差で野中が勝利した。第47回では、森田は維新の党に公認を申請したものの、野党間の選挙協力(民主党の本多がいるため)により公認は見送られ、次世代の党公認で出馬した。その結果、熊谷市では野中を大きく引き離し、全有効票数の過半数の得票を得るに至ったが他の市での得票が伸び悩み、前回同様に野中に敗れた。重複立候補した次世代の党の比例北関東ブロックでは惜敗率第1位だったものの、北関東ブロックにおける次世代の党への議席配分が「0」だったため、落選となった。前述のように、中選挙区の時代から揺るぎない自民党の地盤として知られてきたが、第46回の保守分裂以降、野中(加須)と森田(熊谷)との激戦区となっている。2015年9月1日に森田が民主党埼玉県第12区総支部長に就任し、次回の衆議院議員総選挙における同選挙区の公認候補に内定した。これにより内定を取り消された本多は、北海道4区に転出する。

出典:wikipedia

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