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平羅線

平羅線(ピョンラせん)は、朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市兄弟山区域にある間里駅から羅先特別市にある羅津駅までを結ぶ鉄道路線である。平羅線は間里~高原~咸興~金策~清津~羅津を結ぶ。平壌から朝鮮半島を横断して日本海側に出、咸鏡南道・咸鏡北道の沿岸部の大都市を結び、ロシア国境に至る重要な鉄道路線である。現在平羅線と呼ばれる路線は、日本統治時代に建設された平元線・咸鏡線・清羅線を原型としている。すなわち、現在の平羅線のうちにあたる。間里~東北里間については、戦後、北朝鮮によって建設が行われた。清津~羅津間については、清羅線として日本統治下で工事こそ進展していたものの、清津(現・清津青年)~青岩(現・クムバウィ)間(11.0km)が1945年2月1日に部分開業しただけで終戦を迎えた。第二次世界大戦後の1960年代、北朝鮮によって電化とクムバウィ~羅津間の開業が行われた。羅先では咸北線(清津~会寧~南陽~洪儀~羅津)と接続しており、同線と洪儀~豆満江間の洪儀線を合わせ、北朝鮮からロシアへ向かう連絡ルートを形成している。1990年代以降、老朽化と資源不足により輸送力・速度共に他の同国路線と同じく凋落が進む。現在では、平壌~清津間の移動に日本統治時代よりも遥かに長い時間を要していると言われている。北朝鮮の線路整備の悪化により近年ではロシアとは改善工事を行っている。なお週1本、平壌からモスクワへ向かう国際列車が設定されていたが、2007年現在では北朝鮮の輸送事情を鑑み、国境のハサンで双方の列車が接続する形になっていると言われている。平羅線のうち、高原~清津を結ぶ区間は、日本統治時代の咸鏡線(かんきょうせん、咸鏡本線とも)の一部にあたる。もともと咸鏡線は、元山~高原~清津~上三峰(現:三峰)を結ぶ路線であった。現在北朝鮮では元山~高原間を江原線の一部、清津青年~三峰間を咸北線として運用している。咸鏡線は、京城(現:ソウル)~元山を結ぶ京元線(けいげんせん)と合わせて大正期に路線の原型が出来上がった。満州事変勃発(1931年)後には京城から朝鮮・満州国東部へ向かう路線のため国家戦略上重要な使命を担うことになった。京城~清津・雄基(現在の羅先の一部。南陽経由)・牡丹江間に昼夜行1往復ずつの急行列車が設定された。一時、咸鏡線の北部区間が南満州鉄道(満鉄)に経営移管されていた事(1941年に全線の管理が朝鮮総督府へ移管)もあった程である。平羅線のうち、東北里~高原間は、日本統治時代の平元線(へいげんせん)の一部にあたる。もともと平元線は、西浦~龍城~馬嵐(現:東北里)~高原を結ぶ路線であった。現在北朝鮮では西浦~龍城~東北里間を龍城線として運用している。平元線は第二次世界大戦(太平洋戦争)中に完成した路線で、全線の直通旅客列車は1942年当時2往復しか運転されていないローカル線であった。終戦後、鉄道の管理を担っていた日本人技術者が追放され、更に北緯38度線より北部に進駐したソ連軍(赤軍)が資材を自国の復興のため持ち去ったことや、朝鮮戦争(1950年~1953年)の勃発により輸送は完全に麻痺する。その後、ソビエト連邦と中華人民共和国の支援を受けて復興が進み、1960年代には電化工事を進展させた。1965年6月10日、日本統治終了後長らく放置されていた清津~羅津間がようやく開業している。

出典:wikipedia

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