『忍者ハットリくん』(にんじゃハットリくん)は、藤子不二雄による日本の生活ギャグ漫画作品、及びそれを原作としたテレビ映画、テレビアニメ、劇場アニメ作品。また、作品内に登場する主要人物の一人・ハットリカンゾウ(服部貫蔵)の名称(通称)でもある。漫画雑誌『少年』(光文社)にて1964年から1968年まで、『コロコロコミック』、『てれびくん』、各小学館の学年別学習雑誌(以上、小学館)にて1981年から1988年までにかけて連載された。ハットリくんが忍者の里、伊賀から東京に出てきて、三葉家に居候することになり、いろいろな騒動を起こす物語。三葉ケン一との友情も描く一方で、いろいろな忍術を紹介している作品でもある。現代社会にそぐわない忍者が登場することで、その作品に面白みが増している。旧原作やモノクロ実写版、アニメ版は生活ギャグ中心のストーリーで、新原作(現在の単行本では『新忍者ハットリくん』というタイトルである)では生活ギャグに加えて、様々な忍者のライバルが登場して戦ったり、連続ものの冒険物語もあったりとバラエティに富んだ内容となっている。藤子・F・不二雄とコンビ解消前には『パーマン』とも共演し、劇場版アニメ(詳細はアニメの項目を参照)とその原作(執筆は藤子)も作られた。なお『パーマン』との共演作は、てんとう虫コミックス版には収録されているが、権利問題のためか現在発売されている単行本には収められていない。作者である藤子不二雄は、自分の作品の中では一番のお気に入りだという。1960年代の『少年』連載時代でもかなり力を入れて執筆していたが、同誌の休刊直前である1968年1月号で連載が終了した。掲載最終話は、特に最終回が意識されていない普通のエピソード(ただし、前後編)である。そして1981年、一連の藤子アニメブームに乗り、アニメ化が決定されると1980年代に合わせた新設定で連載を開始。作者はアニメ版の声優の個性溢れる演技に感銘を受け、筆が進んだと語っている(文庫版あとがきより)。新原作は月刊誌連載ではあるが、藤子作品の中ではもっとも長期となり、1988年に旧シリーズから足掛け20年近く掛けて、初めて最終回が描かれた。単行本の発行時期により、収録作品の設定が部分的に変更される場合がある(これは、本作以外にも見られる。こちら葛飾区亀有公園前派出所#自主規制・改訂も参照)。一例として、「みたか! しったか! ハットリ打法」(『少年』の1965年(昭和40年)3月号掲載)では、ハットリくんが野球の腕を披露し、そこで「野球は忍法に似ている」という旨のセリフの後、3人のプロ野球選手の名前を出しながら「○○、○○、○○なら忍者になれる(○○は選手の名前)」という主旨のセリフを言って、ケン一が忍者の服を着た3人を想像しているシーンがある。この○○の中に入る選手の名前とケン一が想像している選手の絵がその都度変更されている。中国大陸では『』というタイトルで、ハットリくんの名前は「 (Hātūlì) 」になっている。1980年代から末期にかけて住友銀行のノベルティーグッズのキャラクターになっていた。また、藤子不二雄の出身地である富山県氷見市では忍者ハットリくんがPRキャラクターとなっており、市のイベント等では着ぐるみのハットリくんがしばしば登場する。また、氷見市の比美町商店街はハットリくんを中心とした藤子作品のキャラクターのモニュメントやアートが多数存在する「忍者ハットリくんロード」を中心とした「忍者ハットリくんに出会える街」として観光客を集めている。< >内は刊行年。※印は絶版。本作は複数回映像化されている。NET(現テレビ朝日)系にて実写テレビドラマ化された。『全怪獣怪人 上巻』では本作品を特撮ホームコメディ最初の作品としているが、実際には同じ東映の『丸出だめ夫』が一ヶ月先んじている。ハットリくんは原作と同じ「顔のマスク」を被った子役俳優で、声は熊倉一雄が担当。楽曲の一部は後に『仮面の忍者 赤影』に流用されている。1983年発売の写真誌『スクランブルPHOTO』の記事などで杉良太郎がケムマキ役で出演していたという情報が一時期流れ、1987年頃には広く信じられていたが、全くのデマであった。また、実写版の製作は東映京都だが、当時、杉は日活作品に映画俳優として助演していた。実際にケムマキを演じたのは関西を中心として活躍していた人気子役の傍田勉。1966年4月7日から9月28日まで放映。東映京都テレビプロダクション製作。全26話。モノクロ作品。忍者学校を卒業し、武者修行のため下界へ下りたハットリくんが、たまたま知り合ったケン一くんのうちに居候する。原作同様に現代が舞台だが、時代劇を得意とする東映京都の制作であったため、時代劇のイメージが強い作風となっている。オープニングには藤子不二雄のイラストが使用された。当初は京都市立烏丸小学校でのロケ撮影許可を取り付けたが、前校長が退職し、新しい校長は「ロケ撮影許可を引き継ぎで聞いていない」と撮影を断り、隣の京都市立鳳徳小学校で撮影されることになった。新大宮商店街や阪急電鉄もよく登場する。フィルムは長らく第1話「ハットリくん来たる」以外のポジフィルムは所在不明であったが、2010年に第14話「お食事騒動」の保存が確認され、同年10月に東映チャンネルで放映された。子役は双子の野村光徳と野村好徳が、原作を象(かたど)ったマスクを被り、交代で演じた。他に左卜全(木曽仲経脳屁之斎斎(きそのなかのり のうへのさいさい))などが出演。1作目から約1年後の1967年8月3日から1968年1月25日まで放映。東映東京撮影所制作。全26話。モノクロ作品。山に帰って寂しい思いをしていたハットリくんが、流れ星から現れた忍者怪獣ジッポウと仲良くなり、たまたま山に遠足に来ていたフジ夫くんと友達になり、たるんだ下界を正すためにフジ夫くんのうちに居候し、騒動を起こす。後に原作やアニメにも登場する忍者怪獣ジッポウは本作品が初出であり、当時の怪獣ブームの影響により考案された。『怪物くん』に登場したガメロが原型とされる。制作は東映京都から東映東京に替わり、前作よりも現代的な作風となっている。オープニングにはスタジオ・ゼロのアニメーションが使用された。当時中学生であった松坂慶子が出演していたことでも知られる。※2012年に制作されたインド向け版アニメに関しては別節を参照。1981年から1987年にかけ、テレビ朝日系にてシンエイ動画によりテレビアニメ化された。この番組は、放送時間帯移動の変遷が大きかったのも特徴である(変遷の詳細は下記参照のこと)。2008年5月1日よりテレ朝チャンネル (CS) で平日朝7:30 - 8:00で放送されており、2008年7月31日までは、同日14:30 - 15:00でも再放送されていた。2009年1月5日から2011年9月26日にかけてBS朝日アニメストリート内でも放送された。全話収録ではないもののDVD化もされた。サイバーエージェントとテレビ朝日が運営しているインターネットテレビ局「AbemaTV」の家族アニメチャンネルでも2016年4月11日の本放送開始と同時に再放送を開始したが、オープニングとエンディングは割愛され、いきなり本編から放送している。『ドラえもん』、『怪物くん』とヒットして来た、シンエイ動画・テレビ朝日の藤子アニメ第3弾。夕方の帯(18:50 - 19:00)と日曜の朝(9:30 - 10:00)に放送されていた『ドラえもん』の後番組である。このアニメ版ではタツノコプロ出身の笹川ひろしが総監督に就任。それまでの藤子アニメとは一味違った新たな方向性を見出し、後続の藤子アニメにも大きな影響を与えた。ハットリくん達がずっこけるときのセリフ「ズコー!」は子供達の中で人気を博し、その後の笹川の関わった藤子アニメは、『パーマン』の「ヘコー!」や『オバケのQ太郎』の「オター!」などにみられるように、ずっこけのセリフが決められた。また、笹川が過去に関わった『ハクション大魔王』に登場する「それからおじさん」に通じる忍者姿のカラスで『ソレカラス』(声:梨羽由記子)というキャラクターも作られた。また原作のエピソードの少なさを補うため、アニメオリジナルのエピソードが数多く作られている。1983年3月に、月曜19:00 - 19:30の週一の放送に格上げされ、15分2話形式となる(後に新作一本と過去の再放送2本となった)。なおこの月の関東地区では、帯、日曜、月曜7時と並行して放送されており、まさに「ハットリくん尽くし」だった。翌4月に『パーマン』が帯で開始されると、帯放送からは撤退。更に「藤子キャラ御三家」として、ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマンの頭文字を取り『ドラ・ハッ・パー』なる造語も流行した。しかし1985年に『藤子不二雄ワイド』が放送開始されると再び時間帯移動する。他の藤子作品と共にこの番組枠内で放送された。その際、帯時代と同じ10分1話形式に戻され、キャラクターデザインや色指定も若干変更がなされた。1987年4月に『藤子不二雄ワイド』内で『エスパー魔美』の放映が開始されると、再び18:50 - 19:00の帯番組となり、『藤子不二雄ワイド』が終了した同年10月より『パオパオチャンネル』枠(金曜日)で放送された。なお、原作よりも一足早く1987年12月に放送は終了するが、「雪山のからくり山荘の巻」は最終回らしい内容ではなく、影千代がひっそりとプラカードを持って「おわり」と告げたのみである。次回からは何事もなかったかのように再放送が1989年6月30日まで続けられた。では『』のタイトルで放送され、広東語版主題歌「」も作られた。2004年からはでも放送されている。※ハットリくんがサブタイトルを紹介するときには「-でござるの巻」を「-でござる(一呼吸置いて)のまっき」と発音している。系列は現在のもの。このアニメは『ドラえもん』の併映作品として映画化もされた。パーマンとの共演も果たしている。下記参照。※これらは未だDVD化されていない。1982年、『ドラえもん のび太の大魔境』、『怪物くん デーモンの剣』と同時上映。ケン一がハットリくんの日記を盗み読みする形で始まる、ショートストーリーで綴られた短編。31分。1983年、『のび太の海底鬼岩城』、『パーマン バードマンがやってきた』と同時上映。久し振りに伊賀の里に帰って来たハットリくんとケン一達。しかし里には人影が無く、そこへ待ち受けていたのはコンピューターを操る忍者「メカマロ」(声:野沢雅子)と、その部下のメカ忍軍団であった。伊賀の里を解放するため、ハットリくんはメカマロと激闘を繰り広げる。53分。2012年2月14日、テレビ朝日社長の早河洋が定例会見で、同年5月からインドで『ハットリくん』の新作アニメを制作・放送すると発表。同国のキッズ向けチャンネル「Nick India」で全26話(1話は2エピソードで構成)が放送された。インドでは前述のとおり2004年から『ハットリくん』のアニメを放送しており、これが人気を博し続けていることから、昨今高度経済成長を続ける同国でのコンテンツビジネスの収益拡大が見込めると判断、博報堂DYメディアパートナーズの協力のもと現地のアニメ制作会社リライアンス・メディア・ワークスとシンエイ動画が共同制作(実制作の大半はリ社が現地で実施)した。ストーリーは藤子が新規に作ったもので設定などは原典と概ね同一である(現代(2012年頃)の世相に即して作っているため、インターネットや携帯電話など、日本版アニメの放送当時には一般的でなかったものも登場する)。作画はCG。当初から前述の会見で早河社長が日本にも逆輸入して放送することも検討していると発言していたが、2013年2月、CS放送の『アニマックス』で日本語吹き替え版を放送すると発表、同年5月13日より放送された。日本語吹き替え版においてキャストはハットリくん役の堀絢子と獅子丸役の緒方賢一以外は旧作から変更、オープニング・エンディング曲は日本版アニメのオリジナル音源をそのまま使用している。サブタイトルの発音では「-でござる(一呼吸置いて)のまっき」の後に「ニンニン」が加わっている。後にテレビ朝日のCS専門局『テレ朝チャンネル1』でも放送を開始。2014年7月11日にはインド版の日本語吹き替え版のDVD-BOXが『NINJAハットリくん リターンズ』のタイトルで発売される。発売を記念し一部エピソードが同年7月4日深夜(7月5日午前)にテレビ朝日(関東ローカル)にて特別番組として放送された。2014年4月からはインドで第2シリーズを放送。日本でも同年7月21日よりアニマックスで日本語版の放送が開始された。2016年4月12日からはアニマックスで「新あたしンち」の後番組として第3期が放送中。※CD『前川陽子 スーパー・ベスト』、『朝日ソノラマ主題歌コレクション』(1・3)に収録。2012年版でも同曲を使用。レコードはすべてコロムビアレコード。※CD『忍者ハットリくん全曲集』で主題歌、挿入歌を全て聴くことが出来る。2016年現在、パチンコ・パチスロは計6種類が登場しており、全て大一商会による開発・発売でとなっている。藤子Aの出生地、高岡市を走る氷見線・城端線で「忍者ハットリくん列車」が運行されており、氷見線沿線では服部カンゾウが車内アナウンス(自動音声)を担当している※1985年4月 - 1987年3月は「藤子不二雄ワイド」内で放送(セールスの次番組でもある)※1987年4月 - 9月は帯番組枠、10月 - 12月はパオパオチャンネル枠
出典:wikipedia
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