柴田氏庭園(しばたしていえん)は、福井県敦賀市にある江戸時代前期の庭園である。国の名勝に指定されている。別名「甘棠園(かんとうえん)」とも呼ばれている。柴田氏庭園は、庭園と書院などを含む屋敷区画全体が、敦賀市の史跡、および国の名勝に指定されている。若狭国小浜藩の豪農であった柴田権右衛門が、新田開発を始めた時期に屋敷を建て、その後、築山林泉(つきやまりんせん)回遊式庭園が造られた、敦賀富士と言われる野坂岳を借景としている点が大きな特徴である。もともと柴田氏の屋敷は、周囲に5~6m幅の濠を巡らせた60mの方形の区画であった。その後、作庭に伴い、濠の一部を池として取り込み、土塁を築山とした。このように濠を利用しているため、池は細長く、また深く、書院前の玉石張りの岸辺は勾配がきつくなっている。築山には滝石組があり、中島には土橋が架けられている。また、書院側から池を望むと、築山のやや右手の奥にどっしりとした野坂岳の姿が遠望できるように設計されている。一説には、狩野探幽が地割設計し、探幽死後の1688年(元禄元年)頃に小堀遠州が作庭したというが、史料的な裏付けはない。池に面して建つ書院は、小浜藩主酒井氏の休憩所としても利用された記録がある。欄間にも酒井氏家紋の剣片喰(けんかたばみ)が彫られ、身分の高い方に向けた一段高くなった座敷が残り、柴田氏が小浜藩と密接なつながりがあったことを示すものである。また、庭園側の窓の桟が鳥居形となっているが、柴田氏の出身は野坂村であり、氏神として野坂岳を遥拝する意図があったとも考えられている。なお、現在の屋根は銅板葺きとなっているが、当初は、柿葺き(こけらぶき)であったと推定されている。書院以外の建物として、書院に接した居宅、通路塀、土蔵、中門、通用門、冠木門が残る。特に黒く塗られた冠木門は、柴田氏庭園のシンボルとなっている。また、建物の変遷が、礎石として残っており、米蔵、母屋、道場、稲荷社がかつてあったようである。柴田氏庭園は「甘棠園」、「甘棠館」と呼ばれるが、これは、小浜藩6代藩主の酒井忠存が、休憩した際に「詩経」の「甘棠の愛」の故事にちなんで命名したと伝えられる。甘棠とは、りんご、やまなし、やまもも、やまぶどうの類といわれている。屋敷の西側にはヤマモモの巨木があり、「甘棠園のヤマモモ」として、敦賀市の天然記念物に指定されている。また、クスノキの巨木もあるが、これは柴田氏が楠正成の子孫を名乗ったことに由来するといわれ、こちらも市の天然記念物となっている。
出典:wikipedia
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