長野県第3区(ながのけんだい3く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。中選挙区制時代は上田市を地盤とする羽田孜と、佐久地方が地盤の井出一太郎とその息子井出正一とで棲み分けができていた。小選挙区制施行後、羽田が内閣総理大臣に就任したこともあり、他の追随を許さず連勝を続けており、「羽田王国」と呼ばれていた。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、政界引退を表明していた羽田の後継選びにあたって、後援会は長男で元国土交通大臣も経験した羽田雄一郎の参議院からの鞍替えを推したが、「脱世襲」を掲げる党執行部に却下され、急きょ羽田の秘書である寺島義幸を後継に立てる事となった。公示まで2週間を切るという時期まで後継選びに手間取った事や民主党への逆風もあって、寺島は苦戦を強いられたが辛うじて2位以下をかわして初当選し、羽田王国の面目を保った。なお、寺島はこの総選挙における民主党で唯一の初当選議員でもある。また、井出正一の甥にあたる庸生がみんなの党から立候補し、比例復活で初めて当選している。2014年の第47回衆議院議員総選挙では、井出庸生が小選挙区で当選を果たし、羽田系候補の連続当選が途絶えることとなった。寺島は次点になったものの、民主党の比例北陸信越ブロックでの議席が3議席に留まったことから比例復活も果たせず落選となり、議席を失うこととなった。自由民主党では長野県ならびに北陸信越ブロックの選挙区では小選挙区制移行後唯一、議席を獲得したことがない選挙区でもあり、過去に岩崎忠夫が比例復活で2回当選しているが、いずれも比例名簿登載順位が上位優遇されていたことによる当選であり、優遇がなくなった2005年の第44回衆議院議員総選挙以降は落選している。また、木内均は2014年以降2回連続で比例復活で当選しているが、いずれも寺島、井出庸生の後塵を拝す得票数となっている。なお、次期総選挙では現職で維新の党に所属していた井出庸生が2016年3月に民進党に合流したことにより、同じく民進党元職の寺島との間で候補者調整が課題となっており、コスタリカ方式の採用などを軸に調整が図られる見通しとなっている。
出典:wikipedia
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