相武電気鉄道(そうぶでんきてつどう)とは、東京府荏原郡世田ヶ谷町(現東京都世田谷区)代田栗原768番地に本社を置いていた鉄道会社である。大正後期に東京(恵比寿駅)と、神奈川県中央部を結ぶ構想ではじまり、うち神奈川県橘樹郡高津村(現:川崎市高津区、溝の口駅) - 東京府南多摩郡鶴川村(同 東京都町田市、鶴川駅) - 神奈川県高座郡上溝町(同 神奈川県相模原市、上溝駅) - 神奈川県高座郡田名村(同 神奈川県相模原市) - 神奈川県愛甲郡愛川村(同 神奈川県愛甲郡愛川町)の敷設免許を1927年2月までに交付されていた。国有鉄道横浜線淵野辺駅 - 上溝駅 - 田名村の間は1927年6月に着工され、路盤の建設が完了、ならびに車両の発注までが行なわれた。しかし、資金に行き詰まり工事は中断。1936年までにすべての敷設免許が失効し、1938年には破産した。以下の3路線が計画されていた。本線(ほんせん)は、神奈川県橘樹郡高津村(現神奈川県川崎市高津区)にある溝口駅から、高座郡大野村淵野辺にある淵野辺駅と同郡上溝町の上溝駅(いずれも現相模原市)を経由し、愛甲郡愛川村(現愛甲郡愛川町)までを結ぶ計画として敷設免許が取得された路線である。川尻支線(かわしりしせん)は、神奈川県高座郡田名村堀内(現相模原市緑区田名)に建設予定であった田名石神平駅と神奈川県津久井郡川尻村(現相模原市緑区)に建設予定であった城山川尻駅を結ぶ計画だった路線である。厚木新横浜線(あつぎしんよこはません)は、神奈川県愛甲郡厚木町(現厚木市)にある本厚木駅から神奈川県横浜市南太田町(現南区)にある新横浜駅(現在の新横浜駅とはまったくの別物)までを結ぶ計画だった路線である。無蓋貨車(ト205-208、フト100)は完成していたが資金難に陥っていた相武電気鉄道は製造元の汽車会社との間でトラブルとなった
出典:wikipedia
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