アメリー・ノートン(, 1966年7月9日 - )は、ベルギーの小説家。現代フランス語圏最有力の作家の一人であり、数多くの文学賞を受けている。フランス語の本来の発音ではアメリ・ノトンという表記になるが、日本では1996年に文藝春秋から日本語版が刊行されて以来、「アメリー・ノートン」の表記が一般的である。外交官の娘としてベルギーのエテルベークに生まれ、その直後に、父親の転勤のため神戸に渡った。5歳まで日本で育った後、父親の転勤によって中国・ニューヨーク・バングラデシュ・ビルマ・ラオスと移り住み、17歳の時にベルギーに帰国。それまでずっと外国を転々としていたため、故国に帰国子女として戻ってきても「自分が外国人のような感じがした」という。ブリュッセル自由大学 () に入学し、文献学を専攻した。23歳で再来日し、三井物産に1年間勤務。その後ベルギーに戻り、1992年に『殺人者の健康法』で作家デビュー。以来、年に1作ほどのペースではあるがコンスタントに作品を発表し続けている。日本での就業体験をもとに、1999年にノートンが発表した自伝的小説が『畏れ慄いて』(おそれおののいて)である。白人女性である主人公が日本の架空の大企業「ユミモト・コーポレーション」で味わう理不尽な体験を面白おかしく描いた。フランスで50万部を売るベストセラーとなり、この年のアカデミー・フランセーズ賞も受賞した。一方、小説の舞台となった日本では、会社文化の不条理を誇張して描いていることに批判が集まった。実際、日本のある大企業の社長がこの作品を「嘘の塊だ」と評した、とノートン自身が語っている。2003年に、アラン・コルノー監督、シルヴィー・テステュー主演で映画化された。日本では同年のフランス映画祭横浜などで上映されているが、一般公開には至っていない。ノートン家はベルギーで代々続く名門貴族政治家の家系(男爵家)である。首相を務めたジャン=バティスト・ノートン(, 在任1841年 - 1845年)や、元外相のシャルル=フェルディナン・ノートン(, 在任1980年 - 1981年)は親類に当たる。アメリーが生まれた当時、父パトリック・ノートン () は在大阪・神戸のベルギー領事を務めており、1968年から1972年までその職にあった。離日してから16年後、今度は大使として東京に赴任し、1988年から1997年まで務めた。2004年に自伝 "(『不寛容ゼロ 外交官歴42年』邦訳未刊行)を出版した際は、娘アメリーが後書きを書いた。上記『畏れ慄いて』は、日本・ベルギー関係、ひいては日欧関係の悪化を懸念する父親が駐日大使の任を解かれるのを待って発表したものである。年表記はフランスにおける出版年を表す。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。