1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)前年、2度目の日本一を達成した読売ジャイアンツ(巨人)監督の水原茂が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、パ・リーグ2連覇を達成した南海ホークス監督の山本一人が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた。第1戦は両チーム得点のないまま延長戦に突入したが、11回表に全パ飯田徳治(南海)のタイムリーで勝ち越して勝利を収めた。続く第2戦も中盤まで点の入らない状況が続いたが、5回裏に全セの代打平井三郎(巨人)の2点適時打が飛び出し、そのまま逃げ切った。場所を名古屋に移して開催された第3戦も点が入らない展開が続いたが、9回表、全パが二死一塁の場面から南海の岡本伊三美と堀井数男、松井淳、そして投手の西鉄・川崎徳次の4連続安打で3点をとり、試合を決めた。梅雨の影響もあって第1戦と第2戦の間が5日間も空いてしまった。しかも2年ぶりに開催された第3戦は全く予定外なまでに遅れたため、球宴史上初のナイターとなった。翌年からはリーグ戦の日程も鑑みて2試合制に戻った。2月1日に日本放送協会(NHK)が日本で初めてテレビ本放送を(東京エリアのみ)開始させたが、このときはまだテレビによるプロ野球中継を行なっていなかった(初のテレビ中継は8月23日に阪急西宮球場で行われた、パ・リーグの阪急対毎日公式戦である)。初のオールスター戦中継は、翌年7月1日の第1戦である。
出典:wikipedia
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