内山 清(うちやま きよし、1927年4月22日 - 2013年8月24日)は和歌山県西牟婁郡上富田町出身の元プロ野球選手、元高校野球指導者。旧制和歌山県立海南中学校(現:和歌山県立海南高等学校)卒業後は、海南日東紡に所属。1948年に大阪タイガースに入団。1950年には開幕投手を務め12勝を挙げる。翌1951年も開幕投手に選ばれ10勝を挙げる。海南日東紡時代に内野手を務めたことがあり、阪神入団後も内野手としての出場もあった。その後は、出場機会も減り1954年に現役を引退した。引退後の1957年、埼玉県川口市内でスポーツ用品店を開き、埼玉県立川口工業高等学校の野球部監督を経て1960年に埼玉県川口商業高等学校(現:川口市立川口高等学校)の監督に就任した。1982年は斎藤雅樹を擁して夏の県大会決勝に進出するも敗退。その後2回決勝に進出するも甲子園出場はならなかった。2005年春に監督を勇退し、同校OBの長井秀夫(NTT東日本硬式野球部元監督)が後を継いだ。
出典:wikipedia
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