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男木島

男木島(おぎじま)は、瀬戸内海にある島。香川県高松市男木町に属する。また、男木島は「雄」、女木島は「雌」をさし、両者で雌雄島(しゆうじま)を成す。高松港の北々東約7.5kmの海上にあり、東西軸約1.1km×南北軸約1.8kmの楕円形の島である。また、男木港の南々西約4kmに女木港があり、男木島の南端と女木島の北端は、約1kmである。島の面積は1.38k㎡、周囲は4.7km、最高点のコミ山は212.8mである。島内の各所に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日に国立公園として初の、瀬戸内海国立公園に指定された。島の人口は180人、世帯数は115世帯、過疎化の進んだ状態である。人々は、男木港周辺の山の斜面に密集して集住する。また、島に平地が少なく、少ない耕地も段々畑である。そのため、主漁従農の島である。かっては、牛を飼育し、春秋の農繁期に「借耕牛」として髙松方面に貸し出し、対価に米を得る家庭も多かった。多島海の眺望に加え、急勾配の斜面に建つ家屋と街路は、男木島独特の景観である。そして、男木島灯台・大井海水浴場・男木島水仙郷などで観光客を集める。近年は瀬戸内国際芸術祭とともに、過去開催の恒久作品の鑑賞に多くの方が訪れている。男木島の読みは、「おぎしま」と「おぎじま」の2通りがみられるが、国土地理院と海上保安庁が定めた「おぎじま」とする。男木島は北側の標高212.8mのコミ山と、南側の標高185mのズッコ山の峰から成る。基盤岩は花崗岩類、上層部は玄武岩質火山礫凝灰岩、頂部は讃岐岩質玄武岩溶岩(カンラン石玄武岩)で覆われるが浸食(開析)進んで平坦面は残っていない。コミ山の山頂近くに採石場(穴丁場)のジイの穴があり、山頂直下にはタンク岩と呼ばれる柱状節理や岩塊がある。島内は、ほとんど傾斜地である。鎌倉時代は四国本土の豪族、香西氏の領地であった。室町時代の末から江戸時代の初期は香西氏の一族、直島の高原氏が所有していたが、1672年(寛文12年)に幕府の直轄地(天領)となる。天領の時代は直島・男木島・女木島を「直島三か島」と称し、備中松山藩預地・倉敷代官所支配・大坂城代支配・高松藩預地など、たびたび支配者が変わるが、幕末は備中倉敷代官の支配下にあった。明治維新後の廃藩置県(1872年・明治4年)で、香川県香川郡へ編入された。男木島と女木島を男女に見立て、オギの「オ・雄・男」に対し、メギの「メ・雌・女」と思われる。「ギ」は、木の多い「木島」、防御地の「城島」との説がある。現代美術の祭典、第一回瀬戸内国際芸術祭は、2010年7月19日から同年10月31日までの105日間、高松港周辺と男木島や女木島、直島、豊島、小豆島、大島、犬島を舞台に行われた。人口約200人の過疎の小島に空前の方々が訪れ、島内は鑑賞者でごった返した。下部のギャラリーは、「瀬戸内国際芸術祭 2013」の終了後の、過去開催の恒久作品の一部である。男木島には、髙松市立の男木小学校と男木中学校があり、両者は併設されている。一時は在籍する児童・生徒が居なくなり休校となる。2014年4月、Uターン移住者の子供達のために、小・中学校は再開された。2016年4月、小・中学校の新校舎が完成し、供用を開始する。

出典:wikipedia

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