安田 広春(やすだ ひろはる)は、戦国時代の武将。越後安田氏及び越後北条氏当主。通称は弥九郎。官途は丹後守。越後安田氏の出身であるが、同族の北条氏の当主も兼任していたという説が有力であり、北条広春とも言う。越後の安田氏は大江姓毛利氏の一族であることから毛利広春とも呼ばれる。永正4年(1507年)、守護代の長尾為景が、守護の上杉房能を討つという事件が起こる。その後上杉氏と長尾氏の抗争が起きるが、広春は長尾為景に従い、越中神保氏攻めなどに従うなど、各地を転戦し、内政では長尾家の奉行職を務め、為景の側近として各種の折衝にあたった。大永4年10月14日に死去(「専称寺過去帳」)。広春の没後、安田氏は景元が、北条氏は北条高広がそれぞれ継承し、再び分裂した。
出典:wikipedia
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