青葉区(あおばく)は、仙台市を構成する5区のうちのひとつで、合併前の旧仙台市の北部・中央部(約23万人が居住。面積比率14%)と旧宮城郡宮城町(約7万人が居住。面積比率86%)からなる。区の南東部は江戸時代から仙台の中心であり、区の昼間人口は約40万人 で昼夜比1.45倍程度。区の西部にある奥羽山脈より東流する広瀬川とその支流の流域に従って、東西に細長い形の区となっている。区内の奥羽山脈は、船形山と蔵王連峰の間であまり高い峰々がなく、西からの雪雲が入り易いため、区の西部の旧宮城町は豪雪地帯に指定されている。しかし、その低さ故、関山峠(国道48号)で山形県村山地方に通じている。区西部の旧宮城町は、愛子盆地を中心とした地域で、青葉山丘陵によって区東部と地形的には分断されている。青葉山丘陵の北部はベッドタウン、丘陵の東端の青葉山には仙台城や東北大学川内キャンパスがある。丘陵の東側は広瀬川の河岸段丘になっており、仙台市役所、宮城県庁、仙台駅、東北大学片平キャンパスなど、市の主要施設が集中する仙台市都心部を構成する。区の東端は仙台駅と東北新幹線・東北本線で区切られる。なお、青葉山丘陵によって分断されている区の東西を結ぶ主要交通路は、国道48号(仙台西道路・愛子バイパス)やJR仙山線が担っている。青葉区は、1987年(昭和62年)に仙台市と合併した旧宮城町(3万2108人)とそれに接する旧仙台市北西部で構成され、1989年(平成元年)4月1日に仙台市が政令指定都市に移行した際に24万5881人を擁して設置された(人口は政令市移行日の住民基本台帳人口)。青葉区役所は、仙台市消防局北消防署(現・青葉消防署)の跡地に建設され、区の全体を管轄しているが、旧宮城町役場の土地・建物を受け継いだ青葉区役所宮城総合支所が旧宮城町を管轄している。区名は区内にある仙台城の雅称の「青葉城」や「青葉山」に由来する。また、伊達政宗を祀る同区青葉町の青葉神社や仙台・青葉まつりなど、青葉という言葉は「仙台」を表す記号でもある。青葉区は区名公募の1位であり、2位は中央区、3位は広瀬区であった。公募を受けて選定した仙台市区名選定委員会は、方位は地名としてとらず、広瀬は将来の分区の際の有力候補として残すべきだという理由を添えて、青葉区を推した。青葉区の旧宮城町地域(青葉区西部:青葉山丘陵の西側。愛子盆地を中心とする)は、青葉区の面積の86%を占め、合併直前の1987年(昭和62年)10月末における住民基本台帳人口は2万9093人だった。1986年(昭和61年)3月、仙台市行政区画審議会は「1行政区当たり、概ね10万人ないし20万人の範囲で設定するのが適当」と答申した。このため、旧宮城町地域は単独区になれず、旧仙台市北西部と共に青葉区を構成することになったが、一方で「旧町内の人口が単独市制人口要件の5万人に達したら分区する」という合併時の取り決めも存在した。もし分区されるのであれば、区の名称は「広瀬区」が有力と言われている。それは、旧宮城町が旧広瀬村と旧大沢村の合併によって出来た町であることと関係がある(各々の旧村の記事参照)。1996年(平成8年)に旧町内の住民基本台帳人口が5万人を突破したため、取り決めに従って市は1998年(平成10年)11月に行政区画審議会に諮問し、分区するかどうか話し合われたが、2000年(平成12年)秋の審議会で「区の人口が30万人を超えた時点で再検討すべき」として分区見送りが決定した。審議会からは2001年(平成13年)2月5日に市に答申され、市も同年3月27日に分区を見送った。2010年(平成22年)10月1日の国勢調査によると、旧宮城町の人口は68,002人(折立地区 の人口約5千人 を含んでいない値)で、宮城県内の自治体の中で名取市(7.3万人)に次ぐ7番目相当、その他の仙台都市圏内の自治体の多賀城市(6.3万人)、塩竈市(5.6万人)、富谷町(当時)(4.7万人)、岩沼市(4.4万人)、利府町(3.4万人)などより多かった。旧宮城町は合併時から倍加して今なお増加傾向を示し、青葉区発足時の人口24.6万人からの純増分の多くを占めている。なお、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、旧宮城町に折立地区を含めた人口は名取市の人口を超えた。また、2012年(平成24年)8月1日の推計人口で旧宮城町は70,010人となって7万人を突破、同年12月1日の推計人口で青葉区は300,154人となり、30万人を突破した。青葉区を旧仙台市部分(青葉区)と旧宮城町部分(新設区)とに単純に線引きしてしまうと、南吉成(吉成土地区画整理事業。1985年(昭和60年) - 1991年(平成3年))などの青葉区成立後に住民が増加した、旧宮城町に帰属意識がない地区の反対が考えられたり、折立地区が青葉区の飛び地になってしまったり、新設区の地価が下落したりする等の問題がある。折立地区は、地形的には愛子盆地の一部であるが、蕃山丘陵によって分けられる生出盆地と愛子盆地を結ぶ交通路にあり、江戸時代には伊達家家臣の茂庭氏の知行域であった。その知行域を受け継いだ旧名取郡生出村 は、折立地区とともに1956年(昭和31年)4月1日に仙台市に編入合併された。結果的に折立地区は、愛子盆地のその他ほとんどを町域としていた旧宮城町地区に、現太白区から突き出た形となった。政令市化の際に折立地区は、旧市町の境界を尊重して太白区に入るよりも、愛子盆地を構成する一地区として旧宮城町と共に青葉区に入ることを選択した。このような経緯のため、旧宮城町地区が分区した際は、太白区と新設区の間に挟まれた青葉区の飛び地になる可能性がある。なお、折立地区は仙台宮城IC・国道48号(仙台西道路・愛子バイパス)、仙台北環状線・仙台村田線など、仙台西部の主要幹線が集まる交通の要衝である。旧宮城町地区(愛子盆地)の中心は、旧広瀬村のJR仙山線・愛子駅から陸前落合駅辺り(広瀬地区、または愛子地区と呼ばれる)となっており、市が1999年(平成11年)7月に策定した「アクセス30分構想」を基にしたオムニバスタウン事業により、それぞれ駅前開発も進んでいる。仙山線と並走して愛子盆地を東西に貫く国道48号・愛子バイパス沿いでも、栗生(1982年(昭和57年) - 1991年(平成3年))、および、栗生西部(1997年(平成9年) - 2008年(平成20年))にて土地区画整理事業が行われ、都市化が進んでいる。旧大沢村(大沢地区と呼ばれる)の方は、平地は農地が主で、丘陵地は住宅地となっている。また、旧仙台市との境界部分(七北田丘陵)を弧状に走る仙台北環状線沿いの南吉成地区にも、ロードサイドショップを中心とした商業や人口の集積がある。折立地区では、折立小学校・中学校が合併後に旧宮城町の郷六地区からの生徒を受け入れており(旧宮城町時代に郷六地区は広瀬小学校・中学校の学区だった)、さらに落合・栗生地区が広瀬中学校と折立中学校との選択学区で地理的に近い折立中学校へ通学している生徒も少なくなく、愛子盆地内の一体化も進んでいる。このように、折立地区が青葉区の飛び地にならず一体的に新設区に移行できる土壌が醸成されつつあるが、郵便の集配拠点は落合や郷六地区は愛子郵便局管轄で、折立・西花苑地区は新仙台郵便局直轄となっており、昔の名残が残っている(かつて折立・西花苑地区は仙台生出郵便局が集配局であったが、宮城県の地域区分局の変更と太白区の集配局をすべて集約、一本化したことにより、現在の形に変更されている)。また、旧宮城町域は宮城総合支所が管轄しており、市政便りにも毎月注釈が書かれている。「愛子副都心」構想とは、1987年(昭和62年)の宮城町と仙台市との合併建設計画、および、1990年度(平成2年度)発表の「仙台市総合計画2000」に記載されていた副都心建設計画である。旧宮城町役場(現・宮城総合支所)があるJR愛子駅周辺の再開発と都市機能集積、および、仙台市営モノレール南西線計画を謳っており、旧泉市(現泉区)に対する泉中央副都心整備計画と同様、合併の際のバーターであった。現在、当該地域の整備計画は「西部地区の拠点整備」という言葉に置き換わっており、副都心としての指定は曖昧化されている。なお、2002年(平成14年)7月22日に愛子駅周辺は住居表示が実施され「愛子中央」になった。また、都市化に不可欠な下水道は、旧宮城町域における整備率が政令市移行時の2.4%から現在92.5%にまで改善されている。ここでは、青葉区中心部の産業について述べる。多くのビル群には中央企業の仙台・東北支店が入居し、支店経済都市と呼ばれる所以となっている。仙台駅前から西方向へは中央通り・一番町のアーケード街が形成されている。近年では交通事情の改善から商圏は広がっており、県内はもとより、山形や福島からの客も訪れる(→仙台経済圏)。郵便局簡易郵便局上杉山通小学校・上杉山中学校、広瀬小学校・広瀬中学校は、文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校(フロンティアスクール)である。また、それぞれの小・中学校間で連携をとっている。主要駅:仙台駅、勾当台公園駅、あおば通駅、北仙台駅、愛子駅
出典:wikipedia
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