藤原 季行(ふじわら の すえゆき)は、平安時代後期から末期の公卿。刑部卿・藤原敦兼の三男。天治2年(1125年)叙爵。大治5年(1130年)に阿波守に任ぜられて以降、能登国・因幡国・武蔵国・土佐国・讃岐国等の国司や大宰大弐など地方官を歴任する。保元元年(1156年)には讃岐守の職にあり、同年の保元の乱の後讃岐へと流罪になった崇徳上皇の護送を担当した。保元4年(1159年)正月従三位に叙せられて公卿に列し、2月には妻が乳母を務めていた姝子内親王(高松院)が二条天皇の中宮に冊立されると、中宮亮に任ぜられる。応保2年(1162年)8月2日出家、8月23日薨去。享年49。娘の一人が九条兼実の妻となり、良通・良経を生むなど、摂関家とも良好な関係を築いた(この縁により良経は高松院の猶子となっている)。歌舞音曲に通じ、父・敦兼と同様に篳篥をよくしたことが伝えられている。また和歌にも秀で、千載和歌集に1首が入集している。後世、その子孫から楊梅家・二条家・平松家の3堂上家を出したが、いずれも室町時代に断絶している。
出典:wikipedia
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