松崎 しげる(まつざき しげる、1949年11月19日 - )は、日本の歌手・俳優・タレント。本名、松崎 茂幸(まつざき しげゆき)。通称はマツ。東京都江戸川区出身。オフィスウォーカー所属。身長167cm。血液型はAB型。江戸川区立松江第三中学校から日本大学第一高等学校を経て日本大学藝術学部文芸学科卒業。(大学の学部は違うが、同級生には、経済学部にテリー伊藤がいた。)高校時代までは野球に打ち込むも肘と肩を故障して野球を断念、それ以降音楽活動を始める。大学時代にはのちにガロを結成する日高富明(Tommy)、堀内護(Mark)と共に「ミルク(ホットミルク)」というバンドを結成する。当時、大橋プロダクションのマネージャーをしていた宇崎竜童にスカウトされプロデビュー。バンド解散後、ビクターのオーディションに合格し、1970年にシングル「8760回のアイ・ラブ・ユー」でソロ歌手としてデビュー。『グリコアーモンドチョコレート』のコマーシャルソングの歌い手として活動、1972年には同CMソングだった「黄色い麦わら帽子」がスマッシュ・ヒット。しかしその後はヒット曲がなかなか出ず、不遇の時代が続いていた。それから4年後の1976年、スペインのマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に「愛の微笑」で出場し、最優秀歌唱賞と第2位に輝くも日本では当初注目されず、レコード会社からも難しい曲と見なされてリリースに難色を示される。その1年後の1977年、改題され『グリコ アーモンドチョコレート』CMソングとして発表された「愛のメモリー」が大ヒット。同曲は数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦にも初出場した。また、『噂の刑事トミーとマツ』(TBSテレビ)などのドラマにも出演、『クイズダービー』(TBSテレビ)では「クイズの帝王」を自称し、ゲスト解答者として度々出演するなどお茶の間での人気を獲得した。現在では、年間200本近くのディナーショーを開催して「ディナーショーキング」の異名を取ったり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)などで見せる夜の帝王ぶりなどのタフな一面が話題となっている。私生活では2度の離婚を経て、1997年に大手百貨店の令嬢である23歳年下の夫人と3度目の結婚。1998年に長男、2000年に長女、2007年1月には57歳で次女が誕生。長男誕生の際に「女房の笑顔さえあればバイアグラなんていらない」、二女誕生の際には「(二女が成人する)77歳まで歌い続けなくては。少子化対策に団塊の世代が一石投じられれば」とのコメントを発表、こうした流れを受ける形で「シゲルBROWN(しげるぶらうん)」名義で新曲を発表した。ちなみに2度目に結婚してした元妻は、その後B'zの稲葉浩志と再婚。子供と一緒にいると、父でなく祖父と孫に見られることも多いという。後述する交通事故により一時芸能活動を自粛していたが、2007年3月10日『ケータイ刑事 THE MOVIE2 石川五右衛門一族の陰謀〜決闘!ゴルゴダの森』の初日舞台挨拶に出演し、自粛解除を宣言した。埼玉西武ライオンズ球団歌「地平を駈ける獅子を見た」を歌っていることでも有名で、石毛宏典や佐々木誠らのサイン入りグラブを所持するなど、野球選手とも交友関係が深い。CMでの声の出演(企業名、商品名を叫ぶ役)も多く、放送中の一社として横尾材木店(本社・埼玉県本庄市)を挙げることができる。同社CMは本社のあるNACK5を中心に隣接県のJFN局でも放送されている。元々肌の色が濃い松崎であったが、ハワイなどの南国で休暇を取ることも多いことからその黒さに磨きがかかり、ついにはトレードマークとなった。その黒さをキープするため日焼けサロンに通っており、さらに近年では事務所に日焼けマシーンを設置するほどである。そしてファンの期待を裏切らないためと、自宅にも日焼けマシーンを導入した。自己紹介でも「歩くメラニン色素」を自称しており、東海地方地盤の焼肉チェーン焼肉屋さかいのCMでは「松崎こげる」のテロップまで出た。2004年9月22日放送の『はぐれ刑事純情派(第17シリーズ最終回)』において刑事と容疑者の関係ではあったが、須藤刑事役の国広富之との『トミマツコンビ』で共演した。2005年5月18日放送の『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ)内のコーナー「トリビアの種」で、松崎の肌の色を絵具で作る場合、どの色の絵具をどの割合で混ぜれば良いか検証された。その結果朱色45%、黄色25%、白16%、緑14%という配分(HTML・CSSのRGB表記でいえば#A55A4Aあたり)が決定され、実験に使われた絵具の製造元であるサクラクレパスが「まつざきしげるいろ」を同番組のために10セット製作した。サクラクレパス社のサイトで「まつざきしげるいろ」の作り方を紹介している。また、フジテレビ局内の土産物屋で「まつざきしげるいろ」が入った絵具が販売されている。ソニーの携帯型ゲーム機PlayStation Vitaに新色「クリスタル・ホワイト」が登場したCMでは本体の白さを強調するため松崎が登場する。2015年には、トレードマークである肌の色と9(ク)6(ロ)のゴロ合わせから日本記念日協会から9月6日を「松崎しげるの日」として認定された。また、2015年9月6日にデビュー45周年を記念して、本人主催の音楽フェス「黒フェス」が幕張メッセで開催された。ギタリストとしても活躍しているが、左利き用のほかに普通のギターを弦を張り替えることなく、そのまま逆にして弾きこなすことができる(アルバート・キングや甲斐よしひろと同じ弾き方である)。これは唐突にその場にあるギター(多くの場合は右利き用のギター)を弾くことになった場合、左利き用のギターしか弾けないと意味がないため。2006年11月、交通事故の第一当事者となった際、長期にわたって無免許状態で車を運転していた事が発覚した。松崎は1989年に当時滞在していたアメリカで運転免許を取得したが、日本で運転免許を取得した経験はなかった。日頃はアメリカで発行された国際運転免許証を所持して運転を行っており、法的な問題は無いと考えていた。しかし、2002年の道路交通法改正により、国際免許を根拠にした運転が認められるのは「3ヶ月以上連続して日本国外に滞在してから帰国した後の1年間」に限られるように定められた。松崎が2005年8月から事故当日までの間、3ヶ月以上連続して日本を離れた事実はなかった為、法的には運転が許可される状況になかった。松崎は前年や前々年に「警察官に運転免許証の提示を求められ見せた際に何ら問題を指摘されなかった」と主張しており、無免許運転に過失犯処罰既定はないことから、「法の不知」の問題も絡んでその法的処遇が注目された。結局、松崎が刑事訴追される事はなかったが、無免許運転に対する行政処分(新規免許取得の拒否処分)がなかったのかどうかは明らかになっていない。
出典:wikipedia
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