4代目麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、1860年9月15日 - 1900年8月21日)は、本名、斉藤亀吉。享年41(満39歳没)。柳派に所属。父は3代目柳橋。弟は講談師2代目桃川如燕、5代目柳橋という芸人一家。父の薦めで11歳で時計屋に小僧奉公に行かされるも嫌がって脱走。15歳の1874年に父に入門、春風亭小柳を名乗り、5年で真打昇進、その後1878年6月に父が柳叟を襲名に伴い、4代目柳橋を襲名。1895年には柳派の中で内紛が起きて離脱し三遊派に身を投じるが、1899年には和解し柳派に復帰。1900年7月に腸胃病で体調を崩し引退。翌月病死。坐り踊りで人気を博す、落語は3代目譲りの人情噺が得意だった。弟子に瀧川鯉橋(後の8代目入船亭扇橋)、春風斎柳一(奇術師)、柳松(後の初代柳家小せん)、柳左衛門(後の橘家花圓蔵)、柳輔(後の2代目柳家つばめ)、鯉橋(「赤鼻の鯉橋」)、柳蛙らがいた。
出典:wikipedia
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