閨閥(けいばつ)は、政略結婚による家族関係である。狭義には妻の一族の勢力を中心に結ばれた人のつながりを指す。広義に言う、政界、財界、官界さらには王室、貴族に属す一族が自身の影響力の保持および、増大を目的に一族の子弟、子女を婚姻させ強固な関係を構築した結果できた血縁によるネットワークは門閥(もんばつ)と呼ぶべきものであるが、ここでは便宜上門閥も含めた広義の閨閥について解説する。ヨーロッパでは各国の王室や貴族との間の政略結婚が古くから行われており、現在にいたるまで複雑な血縁関係が形成されている。英仏関係に見られる閨閥や英独露三帝閨閥のように、これはしばしば国境を越える。三帝閨閥をホーエンツォレルン家の系図から1親等ずつたどってゆき、最初に戻ってくるように書く。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)、ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)、フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)、ヴィクトリア (ドイツ皇后)、ヴィクトリア (イギリス女王)、エドワード7世 (イギリス王)、アレクサンドラ・オブ・デンマーク、クリスチャン9世 (デンマーク王)、マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)、アレクサンドル3世、アレクサンドル2世、アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)。アメリカ合衆国では王室や貴族制度がない。代わりに政治家と経済界の有力な家との間に通婚がよく起こる。国連の合衆国要人は軍需産業やジャーナリズムと家族関係にあった。中国・台湾では四大家族が勢力を振るい、現在の国際関係に影響を残した。摂関政治を筆頭に、古来から皇室を中心にした政略結婚が広く行われている。武家政権が成立してからは、武家同士、あるいは武家と公家との間に政略結婚は広く行われた。前者の場合、勢力の保持、増大が目的であり、後者では勢力の補完に主眼がおかれているといえる。江戸時代には武家と公家との間の婚姻が将軍家、有力大名家と天皇家、宮家、五摂家などの有力公家との間にさかんに行われ、それぞれの影響力の補完が行われた。明治時代に入ると、華族制度が成立した。華族には公家華族、大名華族、勲功華族などあり、それぞれが格式や実力などに強み弱みがあったため、それぞれを補完するための通婚が行われた。華族は皇室の藩屏なので当然、天皇家、宮家を巻き込んだものとなった。また富国強兵、殖産興業の結果現れた資本家や高級官僚も、格式や政治力を得るために華族との通婚を望み、経済的、政策的な支援が期待できることから華族も資本家や高級官僚との婚姻による関係強化を望んだ。第二次世界大戦後、華族制度こそ廃止されたが、政・財・官の分野で有力な一族の間での通婚は、戦後も盛んに行われ、各々の影響力を保持・強化に努めるようになった。政治の分野では国会議員の世襲が常態化したため、政界の主導による財界、官界、さらには皇室との間の通婚で複雑な血縁関係が形成されるようになった。特に大蔵省では、「高輪会」と呼ばれる、若手官僚と政財官界の要人の令嬢との見合いパーティーが定期的に開催されていたという。省庁内部での閨閥形成もしばしば見られ、高級官僚が自省庁の若手有望株のキャリアに娘を嫁がせ、自身の影響力拡大を図る例がある。近年では政界・財界・官界のみならず学界や芸能界の有力一族も閨閥を形成しており、学界・芸能界の一族と政界・財界・官界・旧皇族・旧華族と姻戚関係を結ぶケースもみられる。箇条書きは各々で必ずしも閨閥が独立しているというわけではない。自民党#閨閥を参照されたい。
出典:wikipedia
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