オリバー・ペレス・マルティネス(Óliver Pérez Martínez, 1981年8月15日 - )は、メキシコ・シナロア州クリアカン出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLB・ワシントン・ナショナルズ所属。にメキシコ夏季リーグであるリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのユカタン・ライオンズに入団し、プロ入り。3月にサンディエゴ・パドレスと契約。6月16日のシアトル・マリナーズ戦で先発してメジャーデビューを果たし、初登板初勝利を飾った。8月にブライアン・ジャイルズとのトレードで、ジェイソン・ベイ、後日発表選手のコーリー・スチュワートとともにピッツバーグ・パイレーツへ移籍。にはリーグ4位の239奪三振を挙げた。奪三振率10.97はリーグトップで、この年の奪三振王だったランディ・ジョンソンの10.62をも上回っている。しかしその後の2年間は防御率が5点台後半 - 6点台と低迷。6月26日には、自身が先発登板した試合でチームが敗戦後、クラブハウスにあった洗濯物回収用の荷車を蹴り上げて左のつま先を骨折し、故障者リスト入りしている。開幕前の3月に第1回WBCのメキシコ代表に選出された。2006年7月31日にゼイビア・ネイディとのトレードで、ロベルト・ヘルナンデスと共にニューヨーク・メッツへ移籍した。移籍後は7試合に先発して防御率6.38と、移籍前とさほど変わらず。しかしポストシーズンに進出したチームにおいて、ペドロ・マルティネスとオーランド・ヘルナンデスの2人の先発投手が故障。ペレスは先発ローテーション入りし、セントルイス・カージナルスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第7戦に先発登板。6回1失点の好投を見せた。は開幕から好投を重ね15勝を挙げた。シーズン途中には、アトランタ・ブレーブスやニューヨーク・ヤンキースといった強敵を相手に勝利を重ねたことで、チームから「重要な試合で最も頼りになるのはペレス」といわれるようになった。奪三振率8.85はリーグ2位。からメッツと3年3600万ドルで新たに契約を更新した。開幕前の3月に第2回WBCのメキシコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。3月21日に開幕前にメッツ側が残りの年俸をすべて支払う形で放出された。2011年3月23日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。この年はメジャーでの登板は無く、11月2日にFAとなった。1月19日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。6月に2年ぶりのメジャー復帰を果たし、中継ぎとして好成績を残した。10月29日にFAとなったが、11月3日に1年150万ドル+60万ドルの出来高で再契約を結んだ。背番号は36から59に変更となった。開幕前の3月に第3回WBCのメキシコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした。3月9日のカナダ戦では、乱闘を起こし退場になった。10月31日にFAとなった。3月10日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額425万ドルの2年契約に合意した。この年は、リリーフ転向後では自己最多 (当時) ・チームトップタイの68試合に登板。防御率2.91・3勝4敗・奪三振率11.7という好成績を残し、リリーフ陣の核として活躍した。はチームを去るまでに48試合に登板し、前年ほどではなかったものの防御率3.10・2勝1敗・奪三振率11.5という安定した成績を記録した。2015年8月7日にジュニア・ガルシアとのトレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した。背番号は38。アストロズ加入後は22試合に投げたが、防御率6.75で3敗を喫した。通年成績は、前年の自己記録を更新する年間70試合に登板し、防御率4.17・2勝4敗・奪三振率11.2という成績だった。11月2日にFAとなった。2015年12月11日にワシントン・ナショナルズと総額700万ドルの2年契約を結んだ。3月11日に第4回WBC予選のメキシコ代表に選出されたことが発表され、4対会連続4度目の選出となった。同大会ではメキシコ代表は本戦出場を決めている。持ち球はフォーシーム、スライダー、カーブ、チェンジアップ。少年時代のペレスは、同じメキシコ人投手のフェルナンド・バレンズエラに憧れを抱いていた。メジャーリーガーになってからの憧れの選手は、同じ左投手の「ビッグ・ユニット (Big Unit)」ことランディ・ジョンソンへと変化した。その理由として、「いつもアグレッシブなピッチングを披露するから。どんなすごいバッターに対しても、決して逃げずに恐れ知らずに立ち向かう姿にシビれている。歴代最高のピッチャーの1人と同じ舞台(メジャーリーグ)で投げられるのは、とても光栄だと思っている。」と語っている。
出典:wikipedia
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