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ホンダ・カブ

カブ(Cub)とは、本田技研工業が製造・販売する小型オートバイである。元は1952年(昭和27年)から1958年(昭和33年)まで生産された自転車補助エンジンキットの商標。英語で熊など猛獣の子供を意味する「"」に由来しており、小排気量ながらパワフルなことをアピールした。その後は、1958年から生産開始されたセミスクーター型モペッドである「C100型」以降のシリーズ名「スーパーカブ」の略称として定着した。スーパーカブ・シリーズは20世紀のモータリゼーション史上において、四輪自動車のT型フォードやフォルクスワーゲン・タイプ1にも比肩しうる貢献を残した二輪車であり、小排気量の二輪車分野ではイタリアのピアッジオ「ベスパ」スクーターとも並ぶ世界的ロングセラーである。本田技研工業の調べでは、本シリーズの累計生産台数は2014年(平成26年)3月時点で8,700万台以上に達し、輸送用機器の1シリーズとしては世界最多量産・販売台数を記録する。耐久性と経済性に優れ、発売開始後50年以上を経ても多くの原設計を引き継ぎ、改良を続けながら継続生産・販売されている。1952年3月に試作完成、同年5月に発売された自転車補助モーター(小型ガソリンエンジンキット)「F型」の愛称。新興メーカーであったホンダは、1946年(昭和21年)に自転車補助モーター分野に進出した。当初は旧日本陸軍の6号無線機用発電エンジン(三国商工製)の放出品流用からスタートしたが、その後自社開発エンジン「A型」(50.3cc)に移行。以後の通常型オートバイ分野への進出を助けた。初期の補助モーター製品は、エンジン本体が本格的オートバイ同様にホイールベース間のペダル付近に搭載されるため、女性の場合オイルなどでスカートを汚しやすい問題点を抱えていた。「カブ」はこれを解決すると同時に販路拡大を狙って開発された。ボア・ストローク40mmスクエア、排気量49.9cc・最高出力1ps/3,600rpmの2ストロークエンジンをベースとする「カブ」最大の特徴は、在来型補助モーターとは異なり、主なシステムが全て後輪周辺で完結する構造を採用した点にある。エンジンは後輪左側面に搭載され、後車軸より低い位置からチェーンで真上の後輪を駆動する。これによって乗り手に対するオイル飛散問題が解決し、取り扱う業者にとっても、自転車への組み付け作業やメンテナンスの簡易化を実現した。この種のキットとしてはデザインも洗練され、エンジンより高い位置に取り付けられた純白のホーロー処理2Lタンクと「Cub」のロゴが入った赤いエンジンカバーの組み合わせから「白いタンクに赤いエンヂン」のキャッチコピーが付けられた。耐久性の面でも、試作パーツが完成するたびにこれを組み入れて浜名湖一周テストを実施、さらには多くの未舗装区間や急峻な箱根越えを含む国道1号の浜松-東京285kmを22往復、1万2,000km以上の実走テストを行い、詳細なデータ採取を行って改良にフィードバックさせるなどの取り組みで、信頼性を確保した。製造面では、A型以来ホンダで採用されてきたダイキャスト製法を積極的に多用して生産性を向上させ、輸送面では、キット類をコンパクトな箱一つに収めて送り届けやすくするなどの配慮が為された。販売面では、外交員に飛び込み営業させる従来の常道を取らず、日本全国に50,000軒ほど存在する自転車店に、取扱を勧めるダイレクトメール(DM)営業を送付する、当時としては画期的な拡販手段を展開させたことが特筆される。この時は、創業者本田宗一郎の右腕である、営業・経理部門トップの藤沢武夫が自ら勧誘文章を練り、「1台の定価25,000円、卸価格19,000円。代金は前金で願いたい」という内容のDMを、社員・代筆業者・取引銀行の担当者を総動員させ、手書きで宛名書きした。同社の知名度が低かった当時は詐欺とも誤解されかねなかったが、早々に5,000軒もの自転車店が反応しほどなく注文が殺到した。1952年12月時点でカブF型の月産台数は7,000台を突破した。また1952年8月の免許規制で2ストロークエンジン車は60ccまで許可制で運転できるようになったことから、1953年4月には排気量を58.1ccに拡大して1.3ps/3,500rpmに性能強化した「カブF2型」を追加、商品力を高めた。その後数年間でカブFは、同社の経営を支える重要製品になると同時に、既存自転車店を「自社製品の新しいディーラー網」として開拓して行くきっかけともなった。1958年(昭和33年)のC100に始まるシリーズで、世界最多量産のオートバイならびに輸送用機器である。高性能・高耐久性により、それ以前の日本市場に存在していた同クラス小型オートバイのみならず、簡易な補助エンジン自転車と上位クラスのスクーターとの双方を一挙に圧倒する大成功を収めた。搭載される空冷4ストロークエンジンの動弁機構をOHVからSOHCへ、燃料供給をキャブレターからインジェクションへの変更など機構改良は多岐にわたるが、2010年代に至るまで基本設計の多くが継承され、日本国内および国外で生産される。2011年(平成23年)にはホンダが小型二輪車の生産拠点海外移管を計画したことから、2012年(平成24年)のモデルチェンジで日本国内での生産終了を発表したもののアベノミクス効果による円安を受けて方針転換。一部モデルは2016年(平成28年)現在も同社熊本製作所で継続生産される。1950年代中期に至ると、初期ホンダの経営を支えた自転車後付け式のエンジンキットも、同クラスの類似競合製品が増加し、前述のカブF型も原動機付自転車業界の先行製品として、安穏としていられる状況ではなくなりつつあった。また、戦後復興が進んだ日本のオートバイ市場において、簡易な自転車補助エンジンに不満を持つユーザーからは、富士重工業製「ラビット」・中日本重工業(現・三菱重工業)製「シルバーピジョン」に代表される、125cc - 250ccクラスの上級スクーターが、運転しやすさや性能面のゆとりによって、支持されるようになっていた。このような市場趨勢をマネジメントの見地から考慮した藤沢武夫は、カブF型の後継モデルとなり得る、廉価な実用的小排気量オートバイの開発・製造販売を考えた。藤沢は「(商品として)カブのような自転車に取り付ける商品ではなく、50ccのボディぐるみのもの(完成車)が欲しい」と本田宗一郎に訴えたが、本田は技術を担う立場からの判断で、当初「(50cc完成車として)乗れる(性能の)ものは作れない」と一蹴していた。50ccエンジンでは当時の常識では出力不足で、自転車補助エンジンレベルの性能が精々と見なされたためである。しかし藤沢は、1956年の欧州視察旅行の往路旅客機中で、50cc級完成車の件を再び本田に持ちかけた。本田は最初はうるさがっていたが、藤沢の熱心さにようやく関心を持ち始め、結果として、道中でクライドラーやランブレッタなどの欧州製スクーター・モペッドなどを見かけると「これはどうだ」と藤沢に尋ねるようになった。問答を重ねるうち、本田は藤沢の求める商品性の高い新製品のイメージを膨らませるようになった。そのコンセプトからは、もはや従来のカブや欧州製モペッドの多くのような、自転車式のペダル(自転車として走り出し、惰力による押しがけでエンジンを始動させる)は排除されていた。こうして帰国後、本田の陣頭指揮により、新型モペッドの開発が開始された。特に耐久性の高い高回転4ストロークエンジンと、変速を容易化するクラッチシステムの実用化には、技術陣は苦心を重ね、約1年後、無段変速機付スクーターにこそ及ばないが、変速操作を容易にした自動遠心クラッチ式変速機と、50ccクラスながら既存の上位排気量車にも比肩する出力を絞り出す高回転エンジンが完成した。1957年末、本田から研究所へ呼び出された藤沢は、自転車取付式エンジンのような足漕ぎペダルを排除した、スマートなモペッドの実物大模型とスペックを示された。藤沢はその場で「これなら3万台は売れる」と述べた。本田や開発陣は「年間でか?」と、その見積もりのスケールに感嘆したが、藤沢は「月間だ」と真意を補足し、一同をさらに驚嘆させた。当時のホンダ主力商品のドリームとベンリィを合算した生産台数は、月産で6,000から7,000台。さらに、日本全国の二輪車販売台数が2万台程度であったから、藤沢の見積もりが正しければ、競合メーカー同級車種を圧倒するばかりか、オートバイ市場そのものが一挙に押し広げられることも意味した。C100スーパーカブは1958年6月から生産開始、8月に発売された。若干の初期不良は見られたものの、比較的短期間で生産・販売は軌道に乗った。生産台数は1958年度約2万4,000台が、1959年度16万7,443台、1960年度56万4,365台と、年々激増した。スーパーカブ発売から数年で、当時大小数十のメーカーが、群雄割拠状態だった日本の小型オートバイ・スクーター市場からは、中堅・零細のアッセンブリー・メーカーが一掃された。生き残った大手・中堅メーカーも、相次いでスーパーカブ「もどき」の類似モペッドを製造販売し、可能性を高く評価した藤沢の予見は事実となった。月産30,000台体制を実現するため、多額の投資によって、新たに鈴鹿製作所が建設されたが、当初の「過剰設備ではないか」との危惧も、数年のうちに杞憂に終わり、同製作所はやがてフル稼働することになった。発売当時の画期的な試みとして、レッグシールドやカバーなどの直接応力のかからないパーツに大型プラスチック素材(ポリエステル)が使われ、軽量化や組み立て合理化に役立った。簡潔で軽量かつ堅牢な全体構造に、強力なエンジンと扱いやすい変速機を組み合わせた結果、生産から50年以上経つ最初期モデルであっても、充分に整備されていれば21世紀初頭の都市交通の流れに乗れ、また業務用に使用しても何ら支障の無いほど高水準の性能を得ている。その当初から、極めて完成度の高い工業製品となった。太いパイプとプレス鋼板で構築されたフレームに、耐久性に富みしかも低燃費な自然空冷の49cc4ストロークSOHC(初期はOHV)単気筒エンジンを、水平に近い前傾80°シリンダーとして搭載。自動遠心式クラッチを組み合わせた常時噛合式3段変速機と、フルカバードされたチェーンドライブで後輪を駆動する。一部車種には4段変速機搭載車もあるが、いずれも変速方式はロータリー式(初期は変則リターン式)を採用する。なお自動遠心クラッチにより、ハンドレバーによる操作は不要のため、日本の運転免許制度では、小型自動二輪車・普通自動二輪車・大型自動二輪車のオートマチック限定免許でも運転が可能である(そもそも原動機付自転車には「オートマチック限定免許」自体が存在しない)。フラットなステップフロアを持つスクーターほどではないが、婦人用自転車に近いほどに運転者前方のフレームを低く通してあるため、スカートを履いた女性でも容易に両足を渡して乗車できるようになっている。この構造だと、サドル前方のフレームに燃料タンクを取り付ける一般的オートバイのレイアウトは使えないが、低く下がったフレームの上に燃料タンクを配置し、これをそのままサドルを載せる土台にも利用する、極めて合理的な配置で解決した。ウインカースイッチは一般的なオートバイと異なり、スロットルグリップがある右手側に、上下動作式のスイッチが装備された。車体には、射出成形プラスチック製の大型レッグシールドが装備され、風防効果を得ている。さらにこのレッグシールドは、単独のシュラウド(冷却用外覆)や強制空冷ファンを持たない自然空冷エンジンを、両側から抱え込む配置であり、ヘッドが前方に傾斜してシリンダー部が走行風に相対しないエンジンに、冷却空気を誘導する役割も担う。なおかつレッグシールドのエンジン真上、運転者の足下両サイドには穴が開き、誘導された冷却風の熱気抜けを良くする配慮もなされている。車輪は、前後とも17インチ径を採用した。それまでのオートバイは主に18インチもしくは16インチを採用しており、イレギュラーな規格ということで、開発当時はタイヤ製造メーカーから、製造を断られたこともあったが、性能から割り出されたこの車輪径は、一時ビジネスバイクのデファクトスタンダードにまでなった。ただし現在は、ライバル他車だけでなく、カブ一部車種で14インチも採用する。全体に軽量化されているため、古い商店の玄関などで、外と土間の間に少々高い敷居があっても、自転車同様に、人手で乗り越えさせ、簡単に屋内に乗り込ませたり、トヨタ・ハイエースに搭載することが可能である。また、何度かのモデルチェンジで、設計時の基本フォルムは保ちながらも、デザインの微修正は実施されており、これによって、モデルイヤーを判別する基準にもなっている。自動遠心クラッチとロータリー式変速機構を備えた構成は、本田宗一郎が示した「蕎麦屋の出前持ちが片手で運転できるようにせよ」という条件に応え、左手のクラッチレバーを廃した結果である。つま先の掻き上げ操作に適さない雪駄などの履物でも変速操作を可能とするため、シフトペダルにはかかと用の踏み返しが付けられた。この形式のシフトペダルは競合各社も追随採用し、その形状から日本市場で「シーソーペダル」と呼ばれるようになる。1960年(昭和35年)12月までの日本では50cc以下の原動機付自転車に運転免許が必要なかったことや、法規による交通規制が緩く、片手運転や雪駄履き運転も想定せざるを得なかった当時のおおらかさを物語るエピソードだが、独特の変速機構は結果として乗り易さに大きく寄与した。シンプルな自然空冷式の4ストローク単気筒エンジンで実用優先なチューニングだが、8,000rpm以上の高回転を許容する設計で、耐久性が高いだけでなく経済性にも優れ、定期的なオイル交換のみで長期の使用に耐える。50ccモデルの1958年製造開始時の最高出力は4.3ps(≒3.16kW)で、当時における2ストローク同級排気量の競合車各車に比してほぼ2倍、既存の90-100ccモデルにすら比肩する、突出した性能を誇った。その後の改良で1980年代前半には最高出力は5.5ps(≒4.05kW)まで向上したが、1980年代半ば以降は自主規制や環境対策から最高出力を落とし、開発の方向を馬力向上から実燃費向上へと転換した。厳しい排ガス規制の影響を受けて2007年9月のAA02E型では過去最低の3.4ps(≒2.5kW)まで落ち込むが、技術改良を進めることで2012年5月のAA04E型では3.7ps(≒2.7kW)と僅かなら上昇した。前傾80°シリンダーを持つことから横型エンジンとも呼ばれ、バルブレイアウトと燃料供給機構の変更以外、基本設計は当初から大きく変更されていない。ボアxストロークを変化させることによる排気量バリエーションを構成する。以下で現在までの大きな設計変更について解説する。また排気量の割に、大容量のマフラーを装着し、4ストロークエンジンの採用と相まってオートバイとしてはエンジン騒音を特段に低下させた。非常に低燃費であることでも知られており、50ccモデル30km/h定地走行テストの過去最高値は1983年2月23日に発売された50スーパカスタムの180km/Lである。この数値は環境対策などから、キャブレター最終モデルのAA01E型では146km/L、それ以降のAA02E型では110 - 116km/Lに低下した。開発当時の日本の道路は、国道であっても「酷道」と呼ばれる悪路が多く、過積載などの無茶な運転も横行しており、それらを考慮して設計製造が行われていた。さらにはビジネスユースという点からも、耐久性が重視されていることから、走行距離にして何十万キロ耐えられるのかは、本田技研工業でさえも「想像が付かない」との見解を下している。また、エンジンオイルの代わりに天ぷら油や灯油を詰めても走行する、新車から廃車までオイル交換がなされていない個体もある、と伝えたテレビドキュメンタリー番組が存在する。ホンダ開発陣の見解は「公式に実験や確認を行った訳ではないながらも、恐らく事実である」としている。これは各部が受ける熱や圧力が小さく、エンジンオイルへの負担が相対的に少ないという点に起因するものである。なお、冷間発進が多い出前に使われる車両よりも、連続走行時間の長い郵便配達で使われる車両の方が、寿命が長いという。過去にディスカバリーチャンネルで、スーパーカブの耐久性を検証するテレビ番組が放映されたが、エンジンオイルの代わりにハンバーガーショップの使用済みフライヤー油脂を使用し、山ほどのスイカやピザを積載し街中を走ってもトラブルを起こさず、あげく高層建築物の屋上から投げ捨てられた後もエンジンがかかり、改めてタフネスぶりを証明した結果となった。また本エンジンは、モンキー・ゴリラと共通する部品が多いこと、ベトナムやタイ王国ではカブが広く普及していること、海外生産パーツも豊富なことから、部品を板金屋が自作する『各種チューニング』も多数実施されている。業務用途では、出前などの小口配送・電力会社や銀行等の集金営業・近距離の巡回輸送など広範に用いられる。17インチ大径タイヤと耐久性を重視した構造が悪路にも耐えることから、農村を中心とした地方の高齢者にも愛用者は多く、鍬や鎌を荷台にくくりつけて農作業の足代わりと使用されるケースも確認できる。上述した出前用途では自転車用として開発された出前機が多数転用され大量に普及した副次効果も確認できるほか、郵便・新聞の配達業務では特化したバリエーションとしてMDシリーズやプレスカブも開発された。納入先の要求による仕様変更にも対応しており、交番配備のパトロールバイクとして導入している警察仕様では、取り外して簡易盾としても使用できる透明ハンドル付きのウインドシールド・警棒収納ケース・書類を入れるスチール製ボックスなどを装備する。さらにかつては食糧庁(現・農林水産省食料産業局・生産局穀物課)納入車の小豆色、電電公社(現・NTTグループ)納入車の若竹色などの専用塗装車が製造された。個人用途では、市街地移動から耐久性と低燃費から長距離ツーリングやアドベンチャーランまで様々であるが、趣味的観点からドレスアップパーツやチューニングパーツで改造を楽しむ層もおり、海外製パーツも特にカブが普及しているタイ製などが輸入可能で日本国内に専門店もある。さらに近年の傾向として、市街地での駐車違反取締強化や石油価格高騰の影響により、スクーターを含めた原付一種・二種(小型自動二輪車)の所有使用者が増加する傾向があり、カブでも同様な現象が確認される。また珍しい例としては、種子島では高校生の通学用バイクに指定されている。排気量別を含めて多数のモデルが製造された。本項では日本国内で販売されたモデルについて解説を行う。派生車種としては、スポーツカブ・ポートカブ・ハンターカブなどが存在する。C50・C70・C90以降のモデルでは、装備品などの違いにより以下のグレードが設定された。以下の2モデルが製造・販売された。1971年3月15日発売。1988年2月25日発売。スタンダードとグリップヒーターを装備するデラックスの2グレードが製造された。スーパーカブ50と共通のマイナーチェンジを実施したが2012年に製造中止。90ccシリーズが2008年(平成20年)9月の自動車排出ガス規制強化に伴い生産終了となったことから、原付二種(小型自動二輪車)クラス後継車種の販売再開が熱望された。しかし90ccが日本国内のみの生産だったこと、日本国外で生産されているシリーズ車種が100 - 125cc中心だったことから、後継車種の開発はスケールメリットの点から日本国外生産車両と仕様共通化させることになり設計開発されたのが本モデルである。このためエンジンおよびパーツの6割は日本国外シリーズ車種の生産中心地となっているタイから輸入されており、全体的な車体の組み立ては熊本製作所で行われ、以下の2車種が製造販売された。2009年6月19日発売。型式名EBJ-JA07。車体番号JA07-100****・110****・120****。車体はタイホンダマニュファクチュアリング社のドリームをベースにしたことから、国内仕様としては初となるパイプおよびピボットプレートの組み合わせによるフレームとフロントサスペンションにテレスコピック式を採用。外装はプラスチック部品を多用しながらもカブのイメージを最大限に残したデザインとした。エンジンもドリーム同様のウェーブと部品を共通化させた109ccエンジンを採用。最高出力は日本国内の規制に適合させた上で90ccより1.2ps(≒0.88kW)向上させた 8.2ps(≒6.03kW)をマーク。トランスミッションも同様に2段クラッチ方式の4段変速機を搭載し、変速方式は停止時のみロータリーとなる変則リターン式が採用された。またカブシリーズでは初採用となるマルチリフレクターヘッドライト・左側プッシュキャンセルウインカー・メインスイッチ一体型ハンドルロックなどが装備された。車体色は当初コスタブルーとアバグリーンの2色を設定。2010年2月18日にコルチナホワイトを、同年8月20日にプコブルーとバージンベージュを追加し計5色とされた。2009年10月16日発売。型式名は同じで車体番号はJA07-300****。新聞配達や宅配用途に特化させた1人乗り専用設計とされ以下の変更が行われた。また郵政仕様となるスーパーカブ110MDのベース車両でもあり、装備品は一部を除き共通化された。以下の4シリーズが現行モデルとして製造・販売される。2011年にホンダは一部二輪車の生産拠点海外移管計画を発表。本シリーズは50cc・110ccモデルを中華人民共和国の新大洲本田摩托有限公司に生産移管と同時に2012年モデルへのチェンジを実施することになり、製造販売されるのが本モデルである。ベースは2011年にタイで発表された ドリーム110i で、以下の日本向けとされた仕様・特徴がある。この結果、型式は50ccモデルがJBH-AA04、110ccモデルがEBJ-JA10となり以下のスケジュールで発表・発売された。2012年2月20日発表、同年3月16日発売。前モデルからは以下の変更を実施。車体色はスマートブルーメタリック・パールシルキーホワイト・パールバリュアブルブルー・バージンベージュ・パールプロキオンブラックの5色を設定。2012年5月17日発表、同月25日発売。110との差異は多少あるものの基本的には共用する同一車体である。このことから50ccモデルでは54年の歴史で初めて車体構造とエンジンの内径x行程が完全に刷新され、パイプ・ピボットによるバックボーンフレームやテレスコピック式フロントサスペンションの装備、セルフスターター・4段トランスミッションが標準搭載とされたが、車体は上位車種のものであることから車両重量は大幅に増加した。2012年7月17日発表、同年9月15日発売。110ccモデルは先代JA07型のフルモデルチェンジ、50ccモデルはプレスカブからの発展的統合の位置づけとされた。JA07型からは、サスペンションストロークのアップ・メーターケースに作業灯設置・フロントバスケットのフロントマウント化などの改良を実施。車体色はパールバリュアブルブルーのみの設定。なお、このモデルチェンジにより20,000円強 - 50,000円弱の販売価格引下げも実施された。1997年8月8日発売。型式名A-C50。おしゃれに乗りたい若者・女性ならびに年配の扱いやすさを求めていたセグメントを意識しつつ、シャリィ販売中止に伴う代替も考慮し開発された。エンジンは排気量50ccのみとし、キック始動のみの3段トランスミッションモデルとセル・キック併用4段トランスミッションモデルの2車種を設定する。標準車との相違点を以下に示す発売後は以下のマイナーチェンジを実施している。2012年5月にはホンダの小型二輪車日本国外生産移管計画により一旦は生産終了となったが、方針の見直しにより同年9月から熊本製作所での生産を再開。2014年現在も引き続き上述した2007年モデルが継続生産されている。限定車として2008年にカブシリーズ誕生50周年記念モデルが、2013年に同55周年記念モデルが、2015年に形状立体商標登録(2014年)記念モデルが発売された。2012年11月11日に「カフェカブ青山 2012」でCT110(ハンターカブ)の実質的後継としたコンセプトモデルとして初公開されたクロスオーバータイプである。2013年5月22日発表・同年6月14日発売。2012年モデルをベースにしており、新大洲本田摩托有限公司による生産ならびに型式も共通のEBJ-JA10であるが、車体番号はJA10-400****に区分される。1972年8月に当時の郵政省(現・日本郵政)と共同開発した郵便配達用に特化させたバリエーションである。MDはメイル・デリバリー(郵便配達)の略称もしくは型式・バリエーション名であり、ホンダ社内ではスーパーカブ・デリバリー、一般的には郵便カブまたは郵政カブとも呼ばれる。車体色は専用の「郵政レッド」である。集配および貯金保険業務用営業かばんの装着用にフックが着いたフロントキャリア・積載に対応する大型化リヤキャリやハイマウントタイプのヘッドライトとウインカー・バーハンドル・サスペンションならびにサイドスタンドの強化・狭小路での取り回しを考慮した前後14インチタイヤ・グリップヒーター(一部暖地向けは省略)・寒冷時始動性向上およびアイシング防止用キャブヒーターなどの特化装備が施される。集配用・貯金保険用の区分も存在する。郵政民営化以後は郵便事業株式会社が集配業務、郵便局が貯金・保険に分割されたが、両者は制服・荷台箱の識別番号・社名ロゴで識別が可能である。2008年には2011年から後継車両として電動スクーターEV-neoを製造販売する計画を発表。日本郵政も導入を検討していることが報道されたが、法規制や耐久性などの実用面をクリアする必要があり、従来からの郵政仕様車を存続させる方針が採られた。郵政との共同開発による特化仕様車のため、一般個人・法人への販売はされておらず新車での購入は不可能であるが、用途廃止となった放出中古車の入手は可能であり、専門に取り扱う販売店も存在する。また日本郵便ではことから、廃棄時にはスプレーなどで赤色以外にペイントされる。払下げ後に郵政レッドの車体色へ復元しての登録や公道走行に法的規制は無いが、郵便マーク(〒)を除去しない場合は刑法第166条(公記号偽造及び不正使用等)に抵触する。MD採用前の1968年頃にC90Z「郵政省向特別車」が製造納入された。同車はC90一般仕様に以下の変更を実施たものである。その後1971年にC90と輸出仕様のCT90をベースにテレスコピック式フロントサスペンション・アップハンドル・前後輪17インチタイヤ・フロント特製キャリヤ・リヤ大型キャリヤを装備した型式名MD90(K0)を生産開始。続いて1972年に以下の変更を実施したMD90(K1)に移行した。また、MD90に引き続き原付免許所持者でも乗れるMD50(K0)や70ccエンジンを搭載するMD70(K0)の生産が開始され、MDシリーズは50cc・70cc・90ccのラインナップとなった。以後の大きな変更を以下に示す。搭載される横型単気筒エンジンは汎用性の点で流用され、以下の姉妹車とも呼ぶべき車種が生産された。日本国内ではC100型が販売開始された1960年代以降にはライバルメーカーのヤマハがメイト、スズキがバーディーなどの類似モデルを製造販売するようになり、結果として小型実用オートバイの市場にひとつのカテゴリを確立させたことからも圧倒的な知名度から、国内のみならず海外にも多数存在するデザイン・設計が類似する後発競合モデルは「ヤマハのカブ」や「スズキのカブ」とも呼称するカテゴリ名としても使われ、ベトナムではオートバイはすべて一般名詞として「ホンダ」と呼び「ヤマハのホンダ…」といった使われ方がされる。また耐久性・経済性において卓越した実用小型オートバイであることから、世界各国への輸出および現地生産が行われ、輸出は1959年に北米地区向けから開始。「バイクはアウトローの乗り物」という社会的イメージの強かった同地区で払拭すべく「良識ある市民の実用的使用」をマーケティングイメージとした「」というキャッチフレーズで軽便バイクとして人気を得た。これによりオートバイのイメージ向上にも貢献し、同地区での認知度と社会的評価を高めた。なお北米地区向け輸出は既に終了しており、2008年時点で正規輸出は行われていない。北米市場での成功を受け、続いて1961年より中華民国(台湾)で現地生産を開始。1960年代以降の東南アジアでは、カブのみならずビジネスバイク全体を普及させる端緒ともなり、扱いやすさや経済性のみならずメーカーの想定範囲や先進国の安全常識では到底考えられない異常な酷使や過積載にも耐えてしまう高い信頼性により、オートバイを生活の道具として重要視する発展途上国の大衆ユーザーたちから強い支持を得た。20世紀末期以降の海外市場では、タイなどでの現地生産車を含めたカブシリーズの中心は実用性向上や税制・運転免許制度などの理由から派生車種であるドリームやウェーブなどの100-125ccクラスへ移行しており、日本の主力となる50ccモデルは海外では極めて少数で90ccは日本のみの生産となった。日本国内では以下の車種が該当する。これら4車は、カブと揃って日本の郵便事業(郵政省→総務省郵政事業庁→郵政公社→現・日本郵便)向けに納入された実績を持つ。

出典:wikipedia

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