和木沢村(わぎさわむら)は、かつて福島県安達郡に存在した村である。後に分割合併、白沢村と本宮町に分かれるが、その2町村が2007年1月1日合併、本宮市となる。福島県のほぼ中央に位置し、南は郡山市、北は二本松市に隣接する。現在の本宮市の中部、旧本宮町の東部、旧白沢村の西部に位置する。丘陵地が多く、その地形を利用した農業が盛んである。行政はほとんどが糠沢地区に集中している。西部に阿武隈川が流れる。現在は開発が進み、その丘陵地も団地や競技場、工業団地などになっている。本宮町、仁井田村(現本宮市、旧本宮町)白岩村(現本宮市、旧白沢村)石井村、杉田村(現二本松市)日和田町、西田村(現郡山市) - 1889年(明治22年)4月1日現在村名は、「和田」の和、「高木」の木、「糠沢」の沢を組み合わせ、和木沢とした。変遷表総数 [単位: 人]総数 [単位: 世帯]明治維新までは、旧各村の地主(和田2、糠沢2、高木1)によって村治が行われていたという。村長という名称で村治を行ったのは和木沢村になってからである。その他に、助役(内名誉助役と有給助役に分かれる)と収入役などが存在した。各旧村にも村会議員は存在していた。和木沢村時代は約290人もの村会議員が活躍していた。(合併後~分離まで)和木沢村には行政末端組織が置かれた。発足前各村にも行政区が存在したが改め、明治22年7月17日の村議会で、今まで「〜番組」と呼ばれていたものを「〜区」と改称することを決定した。この名残なのか、高木地区では現在でも「〜番組」の呼び方がある。「〜番組」の呼び方は、旧本宮町に伝わる太鼓台の区分けにも使用されている。明治22年7月17日議決の区この区名の中には、この区名が発祥とも言われる苗字がある。戸数・人口共に増え続けている。現在は不明だが、和木沢村時代は少なくとも60年ほどの間に4000から5000人増えている。和木沢村は、阿武隈山系の中に位置し、交通の便にも恵まれていないため、立地条件からほとんどの家庭が農業を営む純農村だった。しかし晩年になると、商工業が進出してき始め、村の農家も副業を持つようになって来た。村の基幹作目は、米と養蚕である。米は、冷害などで大凶作が起こることもしばしばあったが、農家経済を維持してきた。養蚕は古い歴史があり定着したが、数々の経済恐慌が発生している。しかし、人々の努力により、主産地を形成するまでいたった。補完作目は、畜産、たばこである。畜産は、当時馬産を主にしていたため、あまり目立つものはなかったが、黒毛和種の導入後、飛躍的に増殖が見られた。酪農も発展し、蓄農村として伸展した。たばこも、明治以来耕作されてきたが、面積に制約があった。しかし昭和28年ごろには、面積、人員共にアップし、農業収入の高割合を占めるようになった。(阿武隈高地地帯はなぜかたばこや養蚕がさかんである。)高松山ふれあい公園(旧本宮町との境界付近にある高台が高松山。そこの頂上にあるのが記の公園である。)当時鉄道は存在しなかった。現在は村内和田地区と糠沢地区に東北新幹線が通っているが、駅はない。一番近い駅は同市内の本宮駅。公共交通機関はバスのみ存在。国道が存在しない村として知られていた。県道はたくさん通っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。