鉄道公安(てつどうこうあん)は、日本国有鉄道が設置した一種の警察組織。英語では「Railway Police」という訳語が使用された。戦後、鉄道内の治安は急速に悪化の一途を辿っていった。スリや置き引きといった一般の犯罪だけでなく連合軍関係物資の抜き取り事件も頻発しており、占領当局も憂慮していた。そこでGHQは、1947年3月19日に指令を発し、運輸省鉄道総局の外局として「鉄道公安事務局」を設置させ、鉄道公安制度の整備を図ることになった。1949年6月1日、日本国有鉄道の発足に伴い、本社内に「鉄道公安局」が設けられた(1952年に「公安本部」と改称)。地方組織として、各鉄道管理局(本社直属の「総局」を含む)の営業部(または運輸部)に公安課が設けられ、現場第一線の組織として鉄道公安室が全国各主要駅に設置された。国鉄分割民営化に際して、鉄道公安制度の処遇が問題になったが、最終的に都道府県警察に業務を移管することになった。1987年3月31日に国鉄内の鉄道公安組織は解散となり、4月1日より各都道府県警察に新設された鉄道警察隊が引き継いだ。なお、鉄道公安本部長は警察官僚が出向することが通例となっていた。逆に、国鉄のキャリア組職員が警察に出向し、警察本部長を務めた例もある。組織の任務や権限から、警察とは密接な関連があり、両者の関係はおおむね良好であったと記録されている。歴代の公安本部長(鉄道公安事務局長、鉄道公安局長を含む)を掲載する鉄道公安では、独自の機動隊である「鉄道公安機動隊」を設置していた。この機動隊は主にお盆や年末等の多客時の応援や、事故・災害時の救援活動、国鉄職員の労働組合の団体行動の際の警備業務 等を実施していた。博多駅事件や佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争事件等では過激派学生の移動に対する警備を、山田弾薬庫米軍弾薬輸送 や新東京国際空港燃料備蓄輸送等では輸送妨害に対する警備を実施している。人員は、東京鉄道公安機動隊の新設時の例では70名編成であった。防石面付きヘルメット・出動服等については、当時の警察機動隊の装備に類似するものを使用していた。盾(ライオットシールド)については、当時の写真や記録では使用は見られない。1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)にかけて、全国で上記5隊の機動隊が編成されたが、鉄道公安職員の総定員数が抑制される中、鉄道公安室の人員体制強化が図られる一方で、鉄道公安機動隊は次第に縮小され、国鉄末期の1985年4月の時点では東京(127名編成)・大阪(37名編成)の2隊のみとなっていた。現在の鉄道警察隊では、鉄道公安機動隊に相当する独自の機動隊は組織されていない。
出典:wikipedia
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