齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 1985年9月3日)は山形県庄内出身の仏文学者。山形県東田川郡清川村生まれ。戸籍上は4月26日生まれ。実家は大庄屋格。幼少時より漢籍と文語体聖書に親しんで育つ。旧制酒田中学校在学中から仏文学を志す。辰野隆の教えを受けるつもりで、1929年、法政大学予科に入学。当時既に辰野は法政を退職していたために望みは果たせなかったが、戦後初対面した折にボードレール『悪の華』の完訳を激賞された。法政で豊島与志雄や漢詩人阿藤伯海(あとう・はくみ)に師事。同級に安藤鶴夫と近藤光治がおり、「三藤」と称して親しく交際した。在学中からプルーストやヴィリエ・ド・リラダンを翻訳して発表。1934年に法政大学仏文科を卒業したが、1953年までいかなる職も持たず、実家から仕送りを受けつつ、ヴィリエ・ド・リラダンやボードレール、及びそれらに関連するフランス音楽の研究に没頭した。1950年に、かねてより私淑していた日夏耿之介を訪問し、以後親交を結ぶ。1953年、日夏耿之介と阿藤伯海と佐藤正彰の世話により明治大学文学部非常勤講師となる。1956年から明治大学文学部専任講師。1962年から1983年まで明治大学文学部教授を務めた(教授を定年退職した後は没年まで非常勤講師として勤務)。交遊関係も幅広く、詩人・フランス文学者の窪田般彌や宇佐見英治、哲学者矢内原伊作、画家堀内規次(肖像画がある)などと親交があった。1938年初刊の『残酷物語』(三笠書房)に始まるヴィリエ・ド・リラダンの翻訳は三島由紀夫が激賞した。改訳や推敲を経て『ヴィリエ・ド・リラダン全集』(全5巻、1974年~1976年)に至った。齋藤の訳業から影響を受けた澁澤龍彦は、齋藤の文体を「自国語を鍛えに鍛えて、外国作家の思想の良導体たらしめた」「みごとに『経済の法則』に合致した、短い、凝縮された、簡潔な文体」と称讃した。また、齋藤は戦後の国語改革による日本語表記を「雲助文法馬丁文字」と呼んで憚らなかった。祖母・辰の実兄は幕末の志士・清河八郎(辰は八郎の死後、齋藤家を継承)。姉・栄子の夫は直木賞作家の柴田錬三郎。縁戚に相良守峯がいる。
出典:wikipedia
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