大府市(おおぶし)は、愛知県西部、知多半島の北端に位置する市。市南部には健康・医療・福祉・介護関連の機関が集中するウェルネスバレーを擁する。自動車産業が盛んな工業都市。丘陵部では愛知用水を利用した近郊農業が行われる。市域の大部分は新第三紀鮮新世に形成されたなだらかな丘陵である。また市の東部を境川が、市のほぼ中央部を鞍流瀬川が流れ、小規模な沖積平野を形成している。市域の丘陵部は、戦後愛知用水が開通によりその大部分が急激に園芸用地や住宅地へと変貌を遂げたが、市北部の丘陵部などには広大な森林も残されている。また猿投山古窯址群に含まれる、古代から中世にかけてのおよそ100の古窯址がある。市域の沖積平野の大部分は、江戸時代に行われた衣ヶ浦の干拓によるものである。現在市域は海に面していないが、かつては沖積平野と丘陵部のたもとまで遠浅の海が入りくんでいたと考えられ、大府市が知多地域に分類されるのもこのためである。1959年の伊勢湾台風や2000年の東海豪雨の際には、こうした沖積地の大部分は冠水し、その被害は甚大であった。なお、市内の北崎町内には近崎(ちがさき)という地名が残っているが、これは当時の近崎付近が衣ヶ浦に面した岬であり、辺り一面には茅(ちがや)が生い茂っていたことに由来する。かつて近崎は、亀崎(現半田市内)・鳶ヶ崎(現知多郡南知多町内)と並んで「知多三崎」と称された。現在、沖積平野部の大部分は水田用地で、一部は工業用地や住宅地としても開発が進んでいる。市域は、北部が名古屋市に、東部が三河地方に接し、南部が知多半島に臨み、古くから交通の要衝として発展してきた。現在では国道155号・366号、県道57号などの主要道が市内を横断し、北部には伊勢湾岸自動車道、国道23号が東西に走り、西部には知多半島道路が南北に走っている。鞍流瀬川に沿ってJR東海道本線が走り、大府駅からは武豊線を分岐する。市街地は大府駅と共和駅を中心に発展している。丘陵部には溜池が多く、近年は公園としての整備も進んでいる。なお、ここでは上池と下池を合わせて表記する。現在、大府市と東浦町を管轄とする新たな警察署の誘致に向け、愛知県に陳情がなされている。1971年9月1日に制定された市民憲章は、以下のとおりである。わたくしたち大府市民は、限りない市の発展に願いをこめて市民憲章を定めます。 2010年度国勢調査によれば、総人口は85,249人であった。昼間人口85,517人で、昼夜間人口比率は100.31%となっている。また外国人人口は1,636人で、外国人人口比率は1.92[%]となっている。2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた。。姉妹都市であるオーストラリア・ポートフィリップ市との交流事業(作品の交換・生徒の相互派遣)や日系ブラジル人との交流のためのポルトガル語の授業(小学校)など国際色豊かな学校運営を行っている。現在の市域の大部分は、かつて衣ヶ浦と呼ばれた遠浅の海の一部であり、魚介類が豊富であったことなどから先史時代より人々が集住していた。市域最古の遺跡とされるのが旧石器時代の共栄遺跡(共栄町)であり、石鏃などの打製石器や剥片石器が出土している。縄文時代になると、衣ヶ浦沿岸の丘陵部には桟敷貝塚(朝日町)をはじめとする多くの貝塚がつくられた。弥生時代以降の遺跡としては子安神社遺跡(共和町)が最も規模が大きく、弥生土器や土師器などが出土した。古墳時代になるとこの地方にも大和政権の支配が及び、尾張国造の支配域である尾張国の一部となり、衣ヶ浦を挟んで隣国の三河国と接した。さらに8世紀以降は知多郡に編入された。当時の遺跡としては高山古墳(中央町)が確認されているが、古墳の規模などの詳細は不明である。飛鳥時代から奈良時代の遺跡としては惣作遺跡(横根町)がある。この遺跡からは多数の製塩土器が出土し、製塩が行われていたと推測される。また729年(天平元年)には、行基が円通寺(共和町)を創建したと伝えられる。平安時代になると、市域には尾張国衙領や熱田社の荘園が存在した。また窯業生産も盛んであったようで、市域にある羽根山古窯群(横根町)をはじめとする古代から中世にかけてのおよそ100の古窯址群は、猿投山古窯址群に含まれる。の特に吉田第1号窯・吉田第2号窯(ともに吉田町)で生産された瓦が鳥羽上皇の宮殿に用いられたことが分かっている。その他市内には、814年(弘仁5年)に弘法大師が三河国から衣ヶ浦を渡って尾張国に上陸した際に宿泊したと伝えられるおしも井戸(朝日町)という場所がある。鎌倉時代になると尾張の国にも幕府の支配が及び、小野氏・中条氏・名越氏などの北条氏一門が守護に任じられて各荘園にも地頭も設置された。現在の長草天神社(長草町)付近には、この地の地頭藤田民部の長草城があった。なお、市内の芦沢の井(吉田町)は、1185年(元暦2年)壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武将平景清が居住した地と伝えられている。室町時代になると知多郡は三河国守護一色氏の支配下に入った。そして15世紀後半に水野貞守が緒川城を築城すると、市域は水野氏の支配下に入った。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こると、尾張守護代であった織田信長が守護の斯波氏を退けて実権を握り、水野氏との衝突が起こったが、後に両者は和睦し、知多半島北部は水野氏の支配下にとどまった。なお延命寺(大東町)には水野氏に関連する書類等が保管されている。また永禄年間には駿河の今川義元の勢力が尾張国にも及び、1558年(永禄元年)から1561年(永禄4年)にかけて織田信長と今川義元、そして水野信元と松平元康(後の徳川家康)が市内を流れる石ヶ瀬川を挟んで衝突した(石ヶ瀬川の戦い)。そして1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで今川義元が敗れると、織田・水野氏は松平元康と和睦し、尾張国は統一された。なお、当時市域には追分城や横根城が築城され、現在は首塚などが遺っている。また中央の公家七津大夫(ななつたゆう)(滝本中納言)が応仁の乱の戦火をさけて大清水(桃山町)付近に移住し、村を「大夫」と名付けたとされ、現在の市名の由来とも伝えられている。その他、室町時代の遺跡としては吉加波入道によって1397年(応永4年)築城された吉川城址(吉川町)や15世紀末に築城された丸根城址(共栄町)があるが、遺構などは遺されていない。江戸時代、市域は尾張藩の支配に属した。1608年(慶長13年)には幕府による全国的な検地が実施され、市域では半月村・横根村・吉川村の検地帳が現存している。またこの頃になると衣ヶ浦は境川や逢妻川の堆積によって埋め立てられ、新田開発の一環として大規模な干拓が行われた。また両河川が天井川になり排水が困難になったことから、新たに五ヶ村川が開削された。こうして衣ヶ浦は大幅に縮小され、現在とほぼ等しい河川の流路が形成された。また丘陵部でもため池が盛んに建設された。1782年(天明2年)に鳴海陣屋(現 名古屋市緑区)が設置されると、市域の農民はこの配下に入り、農民は年貢などを納めた。特に東海道の鳴海宿に近接した村は、助郷役なども課された。当時から市域では人の往来が盛んであり、東浦街道などの街道も整備され、道しるべの石柱なども現存している。また、隣りの刈谷藩とも交流があった。明治維新後、尾張藩は名古屋藩になり、鳴海陣屋は廃止された。さらに1871年(明治4年)の廃藩置県によって名古屋藩から名古屋県となり、知多郡はここに編入された。しかし三河の10県が統一して額田県になると、知多郡はそちらに繰り入れられた。なお、1872年(明治5年)に両県は合併し愛知県となった。1889年(明治22年)以降、市域の諸村が合併して「大府村」となった。初代村長には鈴置善平が就任した。1887年(明治19年)には武豊線が開通し、翌年には大府駅が営業を開始した。さらに翌年には東海道本線が開通し、大府は東海道本線と武豊線の分岐点として、交通の要衝となった。1915年(大正4年)には町制を施行して「大府町」となった。初代町長には深谷甲太郎が就任した。第二次世界大戦期には、現在の豊田自動織機長草工場付近に三菱航空機知多工場があり、陸軍の四式重爆撃機「飛龍」を生産した。その工場の北西には出荷用の飛行場(大府飛行場、ただし大部分が東海市域に属する)が建設され、国鉄大府駅との間には専用鉄道(三菱専用引き込み線)が敷設されていた。三菱は当時の大府町(大府市)と隣接の上野町(東海市)にまたがる丘陵地帯に、およそ570万坪(約19平方キロ)の土地を取得した。知多丘陵地の山を削り、谷を埋める30か月にわたる大工事の末、1944年4月に長さ1,300mの滑走路に総組立工場と整備工場が付属した三菱航空機知多工場が完成した。さらに、1944年12月より、上野町大字富木島に航空本部の飛行場拡張工事が実施され、近隣集落から多くの勤労奉仕に出た。市域は大きな空襲を免れて終戦を迎えた。その後大府飛行場の一部は農業開拓者の農場に転換され、残り6万坪も旧大府町のあっせんにより、1952年2月豊田自動織機製作所が買い受けた。戦後愛知用水が開削されると、市域の丘陵部では園芸盛んになり、名古屋市に生鮮野菜を供給する近郊農業の一大拠点へと変貌した。さらに工業の面でも豊田自動織機や住友重機械工業をはじめとする大企業や中小企業の誘致が推進され、高度経済成長期を経て中京工業地帯の一翼を担う工業都市へと成長を遂げた。その一方で宅地造成も積極的に推進され、1970年(昭和45年)に市制施行した。また、1974年(昭和49年)施行の第1次総合計画により「健康都市」が市の都市目標として定められ、さらに1986年(昭和61年)に「健康都市宣言」をし、2006年(平成18年)には健康都市連合に加盟した。現在は東浦町と共同でウェルネスバレー構想を掲げ、医療サービスやスポーツなど健康関連諸分野の充実化を推進している。2018年、新たに県立知的障害特別支援学校が開校する予定。大府市では知多半島で唯一、小中学校に給食室を設置している。給食室では調理員が朝から少数で全校生徒分の給食を作っている。なお、献立は小学校および中学校でそれぞれ統一されている。市内に愛知県立大府特別支援学校(特別支援学校)を擁しており、特別支援学校生徒との交流が生徒会・児童会レベルで継続されている。また、各小中学校には障害者を少数だが、受け入れる教室を持っている。大府市は尾張学区に属するが、調整特例により市内の中学生は三河学区である刈谷市および知立市の公立高等学校普通科に進学できる。各公民館は図書室を備えており、大府市中央図書館への図書の返却が可能。その他、ホールや会議室などを備える。古来より市域では稲作が行われており、丘陵部には農業用のため池が数多く現存する。また、戦後愛知用水が開削されると、丘陵部は名古屋市などに生鮮野菜を供給する典型的な近郊農業地帯になり、酪農も行われるようになった。現在は観光農業も行われている。市内には大府青果卸売市場のほか、ブドウをはじめイチゴやジャンボ梨の直売所が数多く存在する。市では、自動車製造業をはじめ機械・化学・繊維・食品など多様な工業が行われ、多くの中小企業が集積する工業団地も広く整備されている。平成23年度現在、市の製造品出荷額は7219億4948万円であり、その内の63.1%は輸送用機械器具製造業が占める。大府駅・共和駅付近の両地域が市内の商業の中心となっている。大府市は1987年(昭和62年)に「健康づくり都市宣言」をし、さらに2006年(平成18年)には健康都市連合に加盟し、健康都市づくりを推進している。さら東浦町と共同でウェルネスバレー構想を提唱し、今後はあいち健康の森公園付近に医療関連の企業などの誘致、インフラの整備などが推進される。2013年6月11日に開催されたバイオマス活用推進会議において、大府市は中部地区で唯一のバイオマス産業都市の第一次選定地域に決定された。市の構想では、メタン発酵ガス化発電では中部地区最大級となる発電施設を市内に建設し、バイオマス資源とエネルギーを地産地消する「都市近郊型バイオマス・新エネルギー利活用ネットワーク」の知多半島地域における拠点を構築していくとしている 。大府市では、戦前より地域スポーツが盛んに行われてきた。現在も市民参加型のスポーツチームが数多くあるほか、市が毎年主催する大府シティ健康マラソン大会には市内外から多くの選手が参加する。平成22年には文部科学省が全国的に展開を進めている総合型地域スポーツクラブとしてOBUエニスポが設立された。また多くの著名なスポーツ選手も数多く輩出しており、市にゆかりのあるオリンピック金メダリストも多い。市では音楽活動が盛んであり、市内の9つの公民館をはじめ、大府市勤労文化会館、おおぶ文化交流の杜、石ヶ瀬会館などが市民の活動の拠点となっている。市役所の1階ロビーでは、定期的に市主催のロビーコンサートが開催される。市内に美術館はないが、市内の文化施設では市民の芸術作品の展示が行われる。また大府市役所の地下ロビーを始め、市内の公共施設には絵画や彫刻が数多く展示されており、市民は優れた芸術作品に親しむことができる。また市民参加型の行事として、大府市民美術展やつつじ祭り「親と子の写生大会」が開催される。劇団シアターガッツは大府市を拠点に活動している。市の中心となる駅:大府駅両駅間は3kmあり、新駅追加の計画がある。市の北東部に東海道新幹線が通過しているが、市内に駅は設置されていない(最寄り駅は名古屋駅である)。また、市域には名古屋鉄道は通過していない(県内の市町村では、他には新城市・田原市・長久手市・蟹江町・幸田町が同様である。大治町・東郷町・大口町・豊山町・設楽町・豊根村・飛島村には鉄道自体が通っていない)。上記の他、名古屋市営バスの高速1号系統と緑巡回系統が国道23号を通過している。名古屋市との境界付近にある有松町口無池停留所の回転場が市域にあり、同停留所の一部ののりばは市内に立地する。なお、かつては名鉄バスも大府駅前から知立駅、有松駅、前後駅などへ向かっていた。伊勢湾岸自動車道知多半島道路その他、名古屋高速3号大高線が市域を通過する。大府市の指定文化財については、大府市指定文化財一覧を参照。詳細は「歴史」の項を参照。大府市の公用車はすべて「名古屋」ナンバーである。また、原動機付自転車第一種、二種乙、二種甲およびミニカー、小型特殊自動車については、2012年10月1日より、おぶちゃんナンバープレートが交付されている。衆議院小選挙区において、知多半島10市町で大府市のみ愛知県第7区に属する。大府市の郵便番号は「474-00**」である。
出典:wikipedia
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