デウォン・コルテズ・ブラゼルトン(Dewon Cortez Brazelton, 1980年6月6日 - )は、アメリカの元プロ野球選手(投手)。右投右打。15歳の時にひざの手術(1995年)とトミー・ジョン手術(1996年)を経験した。ミドルテネシー州立大学入学後、同大学の奪三振と勝利数の記録を塗り替えた。のドラフトでタンパベイ・デビルレイズに1位(全体3位)指名され入団。9月13日にメジャーデビュー。トニー・コニグリアロ賞を受賞。の開幕投手を務めるも続く登板で結果は残せず、AAAダーラム・ブルズへの降格を決定されるが、その後しばらくサスペンディド・リストに登録され結局決定の約2週間後にダーラムに着いた。その後AAに降格するも約3週間後にはメジャー復帰。この処置はファンやチームの間で若干の論議を巻き起こした。スチュワート・スターンベルグが主オーナーの座についた後、第102期ウィンター・ミーティング途中に、三塁手ショーン・バロウズとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍。のスプリング・トレーニングでは、5度の先発で1勝1敗防御率1.77と目を見張る成績を残し、パドレスの4人のローテーションの、ジェイク・ピービー、クリス・ヤング、ショーン・エステスに次ぐ4番目に食い込んだ。しかし最初の2度の先発機会は、合わせて6回1/3、17本の安打を浴び失点17と、惨憺たる結果に終わった。その後はピンポイントの役に回り、3月3日から4月19日の間で11回1/3、防御率2.31と活躍するも、5月11日のミルウォーキー・ブルワーズ戦の八回、8対0でリードした場面でジェイク・ピービーに替わってマウンドに登ると、1つのアウトを奪う事も出来ず被安打3、四球1、失点4。翌日AAAへ降格した。その後はメジャーリーグに昇格していない。2006年12月5日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナーリーグ契約を結んだが、翌2007年の4月27日に解雇された。次いで2007年5月31日にピッツバーグ・パイレーツとマイナーリーグ契約を結んだが、10月29日に解雇された。その後11月29日にセントルイス・カージナルスとマイナーリーグ契約を結んだが、翌2008年の春季トレーニングの途中で解雇された。2009年はアトランティックリーグ(独立リーグ)のカムデン・リバーシャークスでプレーした。2010年はアメリカンアソシエーション(独立リーグ)のカンザスシティ・ティーボーンズと4月13日に契約を結んだが、8月24日に解雇された。これ以降はプレーしていない。
出典:wikipedia
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