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富内駅

富内駅(とみうちえき)は、北海道(胆振支庁)勇払郡穂別町字富内(現・むかわ町)にあった日本国有鉄道(国鉄)富内線の駅(廃駅)である。富内線の廃線に伴い1986年(昭和61年)11月1日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側単式ホーム(南側)が上りの1番線、島式ホーム駅舎側が下りの2番線、同外側が上下共用の当駅折り返し列車用(番線表示なし)となっていた。そのほか1番線の鵡川方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。最終日まで無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。乗車券類は簡易委託化されており、廃止時まで販売が行われていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。なお、昭和20年代の駅の構造は、単式ホーム1面4線。東から1番線-4番線が振られホームは旅客を扱う1番線だけがホームを有し、2-4番線は貨物線となっていた。3番線の奥には、蒸気機関車のための石炭庫、給水塔、機関庫が整備されていた。当時は、富内駅は終着駅であったが転車台は無く、鵡川方面から混合列車を牽引してきた国鉄C11形蒸気機関車は、富内駅で機回しの上、荷物を積載した貨車(時には、富内駅分だけでも12-13両に及んだ)、客車を連結してバック運転で戻っていった。富川駅で扱っていた貨物は、周辺から産出されるクロム鉱石、木材、薪炭などで、構内には貨物の積み下ろしを行っていた日本通運の施設や業者の倉庫などが多数存在していた。当駅の所在する地名より。旧駅名の辺富内(へとない)は、アイヌ語の「ケト・ウン・ナイ」(毛皮の干し枠のある川)、或いは「ペトムナイ」(股になった川)など、由来には諸説ある。さらに「辺富内」から「辺」を除き、読み方を変えて「とみうち」になった。1999年(平成11年)時点では駅舎、側線を含むレールとホーム、腕木式信号機が保存され、2011年(平成23年)時点でも同様であった。ホームに横付けする形で国鉄の旧型客車であるスハ45形とオハフ33形の2両が静態保存・展示されている。客車は富内線の写真パネル展示場としても利用されている。駅舎内は窓口や手小荷物窓口が現役当時の状態に修復され、旧駅事務室内に当時使用していた備品などが保存・展示されている。ホームには当駅のほか栄駅、豊田駅、穂別駅の駅名標が移設保存されている。これらは当時の穂別村長による宮沢賢治構想の実現を目指した「ほべつ銀河鉄道運動」によるもので、構内には側線を改造した、宇宙飛行士の毛利衛のアイデアによる銀河鉄道をイメージした、レールが空に向かっている作品が展示されている。「富内銀河ステーション」と名付けられており、駅舎、プラットホーム、線路など駅全体が国の登録有形文化財に指定されている。映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影で使用された駅構内の備品は当駅から貸し出されたものである。2001年9月14日、松山市の市民団体から坊っちゃん列車を借り受け構内を走行、この日だけであるが15年ぶりに当駅に汽笛がよみがえった。当駅を発着駅とする区間列車が上下1本(苫小牧駅 - 当駅間)設定されていた(1985年(昭和60年)3月14日改定の時刻(廃止時の時刻表))。

出典:wikipedia

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