モザンビーク島は、モザンビーク北部のモザンビーク海峡とモスリル湾の間に位置する島。約14000人が住んでいる島で、かつてポルトガルの植民地だったときにはモザンビークの中心的な都市として機能していた(都市名は国名と同じ「モザンビーク」である)。1498年にヴァスコ・ダ・ガマが到達するよりもずっと前から、ここはアラブ人の港であり、造船所でもあった。1507年にはポルトガルが港と海軍拠点を建造し、1522年にはノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂が建てられた。この礼拝堂は、南半球における現存最古のヨーロッパ建築と見なされている。16世紀にサン・セバスティアン要塞が建造され、次いで建てられたポルトガルの植民都市モザンビークは、ポルトガル領東アフリカの首都となった。同時に、この島はキリスト教の重要な伝道拠点にもなった。1586年末に天正遣欧少年使節一行が日本への帰途天候待ちのため滞在した。1607年と1608年にはオランダの侵攻にも耐え、インド航路におけるポルトガルの重要な拠点としての地位を保持し続け、黒人奴隷、香辛料、金などの交易が行われていた。スエズ運河の開通によって、島は衰退に向かった。1898年には首都はモザンビーク本土のロウレンソ・マルケス(現マプト)に移転された。ほかに見るべき建造物としては、以下のものがある。島は都市化が進んでおり、キリスト教以外に、モスクやヒンドゥー教寺院なども建てられている。1960年には、本土と島を結ぶ長さ3kmにわたる橋が架けられた。島はあまり大きくなく、長さ3km、幅200 - 500m といったところである。ほとんどの史跡は島の北端に集中しているが、葦で作られた住居で暮らす島民たちのほとんどは、島の南端のマクティという町に住んでいる。
出典:wikipedia
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