


栗原(くりはら)は、東京都足立区中部の地名。西新井町。住居表示実施済みで一丁目から四丁目まである。郵便番号は、123-0842。隣接する地域は、北は西竹の塚および六月、東は島根、南は梅島および西新井栄町、西は西新井。地区の中部を南北に緩くカーブを描きながら走る東武伊勢崎線を境に、東に一・二丁目、西に三・四丁目の街が広がる。地域の南部を東武大師線の高架橋が走り、地域の南端を東京都道318号環状七号線(環七通り)が東西に走る。地区の北部は比較的に区画整理が行き届いており整然とした道路網が整備されているが、南部は農村時代の面影をとどめた細く曲がりくねった道が広がる。江戸時代頃に登場した「栗原」の由来についてはあまり詳しくは分かっていない。1971年から1974年にかけての住居表示実施による周辺町村との領域変更によって、旧六月町および旧西新井町の一部が含まれたが、かつての旧栗原町が大部分であったために「栗原」となった。当地域では現在、行政的地名として栗原しか残されていないが、古来よりさらに個々の地域的名称が存在していた。それらの地域名称は「ズシ」と呼ばれ生活組織を意味し、かつての旧栗原村には「後栗原」、「石塚」、「満願寺(前栗原)」とに大きく三分されていた。後栗原は、西新井3丁目の十勝甘納豆前にあった、バス停の名前で残されていた(現在は廃止)他には、は石塚公園などの施設名称に残されている。足立区立栗原小学校の現所在地は、西新井栄町二丁目である(西新井栄町は旧栗原町の地域が多くを占めている)。室町時代、栗原の辺りは「渕江郷石塚村」と呼ばれていたことが、「黄梅院文書」から分かっている。江戸時代には「栗原村」の名称が定着している。かつての栗原村(足立区成立後の栗原町)は、現在の一ツ家地域近辺にも広い飛地があり、この地区は足立区成立後に東栗原町となった。住居表示の実施の際には東栗原の名は残されず、一ツ家などの新しい町名に編入された。足立区立東栗原小学校など、東栗原の名を残す施設は今でもいくつか残っている。
出典:wikipedia
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