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ORANGE RANGE

ORANGE RANGE(オレンジレンジ)は、日本の沖縄県を拠点に活動する男性5人組ロックバンド。略称はRANGE(レンジ)。所属プロダクションはスパイスミュージック(業務提携先はスターダストプロモーション)。レコード会社は自主レーベル「SUPER((ECHO))LABEL」(業務提携先はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントの社内レーベルSPEEDSTAR RECORDS)。公式ファンクラブは「RANGE AID+」。ORANGE RANGEの原型となったのは、沖縄市立山内中学校の卒業パーティーにおいて「BELOVED」を演奏した、NAOTOがギター、KATCHANがドラムとして在籍していたバンドである。このバンドは中学校卒業をもって解散したが、KATCHANが同じ沖縄県立北谷高等学校に進学したNAOTOとYOHを誘い、再びバンドを結成。その後、当時バンドの練習場だったNAOTOの家によく来ていたHIROKIが、NAOTOから「毎日マンガ読んでるんだったら、歌ってよ」と言われ、ボーカルとして加入。さらにその後、山嵐のコピーをする際にYOHの弟でラップが好きなRYOが2人目のボーカルとして加入。そして、友人同士でカラオケに行った際YOHがYAMATOを誘い、デビュー当時のメンバー構成となった。アマチュア時代から地元沖縄県沖縄市にある7thHeavenKozaなどのライブハウスやストリートなどで年間70本にも及ぶライブを行った。もともとは前述のGLAY、山嵐の他、Dragon Ash、19などのコピーをしていたが、YAMATOの加入以降は「奏重鼓」などオリジナルの曲を作り始める。そして2002年2月22日、ミニアルバム『オレンジボール』で SPICE RECORDSよりインディーズデビュー。その翌々日にピラミッドというクラブで行ったレコ発ライブで、インディーズの高校生のライブとしては異例の800人を動員する。2003年6月4日、シングル「キリキリマイ」でgr8! recordsよりメジャーデビュー。音楽プロデューサーはシライシ紗トリ。バンド名「ORANGE RANGE」は、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの登録商標となる(商標登録番号第4803814号)。同年7月16日に発売した2ndシングル「上海ハニー」でブレイク。2004年2月25日に発売した5thシングル「ミチシルベ〜a road home〜」は同年3月8日付けのオリコン週間シングルチャートで自身初の首位を記録。ここから2006年5月10日に発売した13thシングル「チャンピオーネ」まで9作連続首位獲得となる。特に2004年10月20日に発売した8thシングル「花」はオリコンシングルチャートに52週登場するロングヒットとなった。また、同年12月1日に発売した2ndアルバム『musiQ』は累計263万枚以上を売り上げ、第19回日本ゴールドディスク大賞ではアーティストオブザイヤーを獲得する。2005年6月3日、ドラムのKATCHANが左手小指付け根腱鞘炎のため活動休止。同年7月31日には音楽性の違いにより脱退する。以降はサポートメンバーを加えて活動している。2007年7月25日、自身初となるベストアルバム『ORANGE』と『RANGE』を発売し、同年8月6日付オリコンアルバムチャートで1位と2位を記録する。2010年2月20日には「ORANGE RANGE カーニバル〜春の祭典スペシャル〜 at さいたまスーパーアリーナ」を開催。同年7月14日に3作目のベストアルバム『ALL the SINGLES』と『ORANGE RANGE world world world TOUR VS 名古屋ELL』を同日発売したのを最後に、gr8! recordsから離れることとなる。同年7月27日には自主レーベルSUPER((ECHO))LABELを設立したことを発表。その翌日から配信・レンタル限定で「ウトゥルサヌ」を発表。2012年1月からはSUPER((ECHO))LABELがJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントのSPEEDSTAR RECORDSと提携を開始する。同年2月22日にはCDデビュー10周年をむかえ、「Anniversary Song 〜10th〜」を無料配信する。NAOTOが高校2年生の時、周りにいたダンサーとサンプラーやリズムマシンを使ってトラックを作っていた。それと共にORANGE RANGEのオケも作っていたが、そのままではライブで演奏できないため、メンバー全員でスタジオに行き、バンドの音に変えていった。「奏重鼓」などは当時BOOM BOOM SATELLITESがチャック・Dをフィーチャリングした楽曲のようなタイプの作品をやりたかったため、ラップを入れ、楽器の演奏にもヒップホップの概念を生かしている。メジャーデビュー直後、NAOTOは、音楽が普通のロックならちょっとヘンテコなバンドだが、アイドル的に売っていけばアンバランスな感じが面白いと考え、ポップ・ミュージックの「上海ハニー」をシングルとして作曲した。しかし他のメンバーにはアイドルっぽく売ろう、ということだけが中途半端に伝わり、当時ヘヴィな曲をやりたかったRYOなどはこの曲に対して乗り気でなかった。ただ、現在は「上海ハニー」も好きだと述べている。その後は「奏重鼓」のようなラウドロック、「上海ハニー」のようなポップスの他にも、アメリカンロック、UKロック、メロディック・ハードコア、沖縄音楽、オーケストラ、レゲエ、打ち込みビート、エレクトロ・ポップ、ディスコ、テクノ、ブルース、ファンクなど様々な音楽の要素を取り入れた楽曲を制作している。また、NAOTOはバンドの発起人であるKATCHANが脱退してからは、ORANGE RANGEのオリジナルなグルーヴ感は変化したと考えている。デビュー初期はほとんどの作曲をNAOTOが担当していたが、2ndアルバム『musiQ』の頃からYOHも作曲をはじめ、SUPER((ECHO))LABELを設立してからのアルバム『orcd』ではNAOTO作曲の楽曲とYOH作曲の楽曲の割合が6:4程度になっている。YOHは基本はひずんでいて、その中でメンバーが表現できる曲が良いと考えている。メジャーデビュー以降、目覚ましい活躍を見せる一方、他のアーティストの楽曲とメロディーなどが酷似していることから、盗作ではないかと指摘され、インターネット上のサイトなどで多くの論争や検証が行われた。読売ウィークリーや日刊ゲンダイ、月刊サイゾーにおいても盗作について報じられた。ORANGE RANGE(オレンジレンジ):作詞・作曲の名義で発売・発表されていた「ロコローション」(シングル)は、楽曲のメロディや歌詞の一部などが、リトル・エヴァなどが歌いヒットした「ロコ・モーション」とそのまま一致するなど、サンプリングや当事者への申し入れが一切ないままオリジナル曲とされていたことに対し、「ロコ・モーション」製作者であるキャロル・キング側(あるいは権利を保有する団体、レコード会社など)からの抗議があったとして、アルバム『musiQ』収録時には正式に原曲製作者とORANGE RANGEのカバー曲扱いになっている。他にも、「ロコローション」の収録曲4曲のうち、2曲目の「ORANGE BOAT」が、後にハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」のカバー扱いとなっている。3曲目の「MONKEY MAGIC」は、当初からゴダイゴの同名曲のカバー曲として収録。4曲目は、「ロコローション」のリミックスバージョンを収録。そのため、シングル「ロコローション」は、4曲中3曲がカバー曲、1曲がそのカバー曲を更にアレンジしたものとなっている。現在では、曲の著作権を管理・保有しているスクリーン・ジェムズEMI(米SME傘下)と、ORANGE RANGEの所属しているSME側とで話し合いがもたれた結果、アルバムおよびカラオケ機器など作詞・作曲クレジットのあるものに対し、製作者のクレジットを記載しカバー曲扱いにすることで落ち着いたとされている。音楽雑誌『bounce』第250号(2003年12月25日発売)の誌内において、リーダーのNAOTOが、バンドとしての音楽的なポリシーについての質問に「オレたちの中の合言葉はパクろうぜ!です(笑)。まずはカヴァーするんですよ。で、ここをわかんないようにしようとか、ここ使ったらバレるだろ、とか話し合う(笑)」と発言(ただしここでは、あくまでも「参考にする」という意味合いで言っている)。事態が急変したのは、2004年12月31日の『第55回NHK紅白歌合戦』出演時である。彼らの出身地沖縄からのライブ中継であったが、この際楽曲のクレジットが「作詞・作曲:Carole King / Gerry Goffin、日本語詞・ORANGE RANGE」と完全に「日本語詞に書き換えたカバー曲」扱いで表示された(紅白出演時には日本語詞のみでクレジットがあったが、カバー曲扱いになった現在は作詞・作曲名義も兼ねて表記されている)。このように、メンバーが盗作や盗用を示唆する発言をしたことや、「ロコローション」のようにクレジットが実際にカバー曲扱いにまで変更されるということが切掛けとなり、問題となった「ロコローション」以外のORANGE RANGEの楽曲も、メロディや歌詞が別の曲と非常に似ているものがあると報じられた。

出典:wikipedia

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