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星野やすし

星野 愷(ほしの やすし、1909年6月18日 - 1986年7月25日)は、日本の電気化学者。東京工業大学名誉教授。名前の英文表記:Yasushi Hoshino群馬県勢多郡黒保根村(現・桐生市黒保根町)出身。人造偏光板・磁気録音読書機の発明者。数々の特許を申請し、特許数は日本国内で58件、海外(アメリカ、イギリス、ドイツ各国)で59件。日本最初の塗布型磁気テープを作製し磁気テープの父と呼ばれた。永年にわたり固体電気化学、エレクトロニクス材料化学の教育に従事し、科学技術者の養成と学術・技術の発展に努めた。研究領域は、人造偏光板(偏光フィルター)と磁気テープにより代表される磁気記録体や新型磁気記録装置の光学ならびにエレクトロニクスの二分野に大別される。前項の発明品はウラン鉱石の品質鑑別や偏光立体映写装置、蛍光管、磁気録音読書機(シートレコーダー)の誕生につながった。またいち早くステルス性の研究に取り組み1943年には世界でも先駆的にフェライト(主にマグネタイト)が優れた電波吸収体であることを実証した。1934年(昭和9年)3月東京工業大学(旧制)電気化学科を卒業し、1934年(昭和9年)5月同大学で助手となり、1940年(昭和15年)7月同大学助教授を経て、1953年(昭和28年)11月同大学教授に就任した。1945年(昭和20年)11月工学博士の学位を授与されている。1970年(昭和45年)3月同大学を停年退官し、1970年(昭和45年)4月同大学名誉教授の称号を授与された。1970年(昭和45年)、京都で開催された第1回国際フェライト会議で磁気記録部会議長を務めた。1978年(昭和53年)10月、科学技術教育に貢献し、また人造偏光板の研究並びに磁気記録体の研究、磁気録音読書機の発明を行い、日本の電子工業の発展に貢献するところ大であるとの理由で加藤科学振興会より加藤記念賞を受章した。1980年(昭和55年)、第3回国際フェライト会議でも磁気記録部会議長を務めた。1981年(昭和56年)4月、勲三等旭日中綬章を授与された。1986年(昭和61年)7月25日没。同日付で正四位に叙された。2005年(平成17年)6月、群馬県勢多郡黒保根村(現桐生市黒保根町)の名誉村民に選ばれた。人造偏光板(偏光フィルター)についての研究は、星野愷がわが国でいち早く着手した研究であり、(1)人造偏光板の製造方法、(2)普通の光(自然光)を偏光板を透過させると、なぜ振動方向が一方向のみに制限されたもの(偏光)になるかという偏光機構の解明、(3)偏光板の応用方法の三部門にわたって行われた。1938年(昭和13年)に星野の研究を基にして、日本最初の偏光板製造が三菱電機(大船工場)によって行われた。航空機からの潜水艦の確認は、海面の反射眩光が邪魔となり困難であったが、偏光板を備えた偏光眼鏡を用いることにより、その障碍を除去することができたので、第二次世界大戦中、この偏光板は海軍で大量に採用された。星野は海軍技術研究所の嘱託として同工場で技術協力を行った。研究の初期においては、硫酸キニーネとヨウ素との化合物ヘラパタイト針状微結晶を合成樹脂マトリックス中に、結晶軸を一定方向にそろえて無数に配列した、多結晶型偏光板を製造して、その光学特性ならびに偏光機構の研究を行った。また、ヨウ素ならびに種々の染料を、ミセルを定方位配列させた高分子フィルムに含浸させたとき発生する偏光作用(繊維二色性)につき研究した。これは高分子型偏光板と呼ばれるもので、今日広く実用されている偏光板製造における先駆的な研究であった。研究の過程で副次的にいくつかの発見・発明も行われた。そのうちの一つは、紫外線2537オングストロームの波長のものを純粋に一本だけ取り出す性能を持つ、紫外線フィルターの製造方法を発明したこと、ならびになぜそのような作用が可能なのかの説明を与えることができた理論的研究である。この紫外線フィルターの実用面の一つは、ある種のウラン鉱石の選定・鑑別にそれが極めて有用なことであった。1945年(昭和20年)12月、GHQ経済科学局は、その製造方法を知るためその実物提出を要求し、星野の学位請求論文にその記載があったのでその全文を英訳した。偏光板の応用については、湾曲偏光板を考案し、また偏光立体映写装置の開発に努めた。フェライトは酸化鉄を主成分とする複合酸化物で、東京工業大学の加藤与五郎教授の下で研究していた武井武助教授によって1930年(昭和5年)に発見され、幅広く工業化された磁性材料である。フェライトを応用した磁気テープや磁気ディスクなどの磁気記録媒体は、星野愷により日本で初めて本格的な研究が始められた。当時、武井武の研究グループのメンバーであった星野愷は、以前から磁気記録に興味を持っていた。磁気記録は、1898年デンマークの技師ポールセンによって最初の特許が出願された。このときの記録媒体には、鋼のワイヤーが使われていたため、性能が低く実用化には遠かった。磁気記録の性能が向上して、声の記録に使われるようになったのは、フェライトの一種である磁性酸化鉄の粉末をテープに塗布した記録媒体が出現してからである。星野は、1932年(昭和7年)にはすでにフェライトの円盤を使って磁気記録の研究を行った。1948年(昭和23年)には、日本最初の塗布型磁気テープを作製し、音声の記録を行った。これは、マグネタイト粉末を硝酸セルロースのバインダーに分散し、上質紙に塗布したものであった。星野はその後、ガンマ酸化鉄磁性微粒子を使うと記録特性が著しく向上することを見いだし、1951年(昭和26年)第8回電気化学協会(現電気化学会)大会で発表した。これは、日本最初の磁気記録媒体に関する研究発表であった。(東京工業大学百年記念館展示説明より)星野愷は磁気テープの開発を終了すると、視聴覚情報の伝達に磁気記録を利用する研究を始めた。印刷物の裏面を磁気記録媒体とし、表に書かれた内容を声で説明する装置(「磁気録音読書機」シートレコーダー)の開発を1954年(昭和29年)から始め、1957年(昭和32年)に完成した。これはシンクロリーダーと名付けられ商品化された。1958年(昭和33年)ブリュッセルで開催された万国博覧会の日本館で展示されプレス報道部門の金賞を獲得した。このシートレコーダーを開発する過程で、録音済みシートを大量に複製する接触磁気転写法が考案され、そのマスターシート用の磁性体としてコバルトフェライト、バリウムフェライトなどの高保磁力材料が採用され、メッキ膜などの金属磁性薄膜の検討も行われた。これらの研究は、現在の高密度磁気記録材料開発の先駆をなすものであった。(東京工業大学百年記念館展示説明より)1909年(明治42年)6月18日、群馬県勢多郡黒保根村(現桐生市黒保根町)に、星野元治の長男(星野家13代)として生まれた。父元治(星野家12代)は元群馬県議会議員で群馬県会議長を務めた。祖父は星野長太郎(星野家11代:星野七郎右衛門朋愷)。星野長太郎の実弟で愷にとっての大叔父(叔祖父)が新井領一郎。

出典:wikipedia

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