フアン・カルロス・ロメロ(Juan Carlos Romero, 1976年6月4日 - )は、プエルトリコ出身のプロ野球選手(投手)。左投両打。現在は独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスに所属。に、ドラフト21巡目でミネソタ・ツインズから指名を受け、プロ入り。9月15日にテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビュー(結果は1.1回を投げて被安打1、無失点)。2年目のと翌は先発もしたが、2年とも負け越し、防御率6点台オーバーなどと、結果は思わしくなかった。そのためからはリリーフに転向。するとどうしたことか投球が冴えに冴え、アメリカンリーグ2位、ナショナルリーグを合わせても4位となる81試合に登板した。それでいて防御率1.89の好成績。一躍球界トップレベルの投手となった。この年のオフ、日米野球のMLB選抜で来日した。は、ロメロの本来の役割である左打者封じはしっかりとやっていたが、コントロールが定まらず、防御率は5.00まで跳ね上がってしまった。それでも73試合登板はアメリカンリーグ6位の好記録。翌は、6月12日にマイナー落ちの屈辱を味わうが、6月26日にメジャー復帰を果たすと、その後は2002年の再現のようなピッチングを見せ、マイナー落ちの時点で5.70だった防御率が、9月22日の時点では2.69という素晴らしい数字に戻ってきていた。あと僅かでシーズン終了という場面だったが、最後の最後で連打を浴び、防御率3.51でシーズンを終えた。74試合登板はリーグ7位の好成績。はツインズで68試合に登板。はワールド・ベースボール・クラシックにプエルトリコ代表として出場。レギュラーシーズンではロサンゼルス・エンゼルスで65試合に登板。はボストン・レッドソックス、6月22日からはフィラデルフィア・フィリーズで合計74試合に登板し、防御率1.92の好成績を残した。四球がやや多く、2006年のように冴えない結果に終わることもあるが、それでも2002年からの2007年6年間で年平均72.5試合に投げている。は自己最多タイの81試合に登板、自身初体験のワールドシリーズで2勝を挙げ、チームの世界一に貢献。しかし、薬物検査で陽性反応が出たため、翌年の開幕から50試合の出場停止処分が科され、年俸が125万ドル削減された。は第2回ワールド・ベースボール・クラシックにプエルトリコ代表として出場。レギュラーシーズンでは出場停止明け後も故障に苦しみ、例年得意としていた左打者にも被打率.308と打ち込まれた。は与四球率7.12と制球難に苦しんだが、主に対左のワンポイントとして対左を被打率.214に抑え、60試合に登板した。も24試合で与四球率6.61と制球難に陥り、6月24日に解雇される。2011年6月29日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだが7月14日に再び解雇され、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶ。8月9日に解雇され、13日にコロラド・ロッキーズと契約した。12月15日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶ。、開幕ロースター入りするが、11試合の登板で5月14日にカージナルスを解雇となり、23日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約。7月10日に解雇となり、21日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結ぶ。8月13日にトレードで再びオリオールズに移籍しメジャーで5試合に登板するが、27日に解雇となる。に第3回WBCプエルトリコ代表に選ばれた。3月22日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。6月1日に自由契約となり、7日にインディアンスとマイナー契約を結ぶ。は所属球団がなく、はメキシカンリーグのプエブラ・パロッツと契約。5試合に登板後、4月15日に出場登録を外れ、6月30日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。