ハーブ・ルバーリン(Herb Lubalin, 1918年 - 1981年)は、アメリカの著名なグラフィックデザイナー、タイポグラファー(書体デザイナー)。ラルフ・ギンズバーグと共同でエロス誌(Eros)、ファクト誌(Fact)、アヴァンギャルド誌(Avant Garde)などの雑誌を手掛け、雑誌のクリエイティブ面やデザイン面を担っていた。アヴァンギャルド誌のためにITCアヴァンギャルド(ITC Avant Garde)というフォントをデザインした。この個性的なフォントはアール・デコのポストモダン的解釈であると称され、1990年代から2000年代にかけてのロゴデザインなどに影響が見受けられる。ハーブ・ルバーリンは17歳でクーパー・ユニオン("Cooper Union")に入学し、すぐにタイポグラフィーのコミュニケーション手段としての可能性に魅せられていった。ガートルード・スナイダー("Gertrude Snyder")は、この時期のルバーリンは書体を変えることによって人に与える効果の違いにひどく感銘を受けており、いつも「タイポグラフィーの効果によって、音や言葉の持つメッセージが増強するように見えることに夢中だった」と書いている。1939年の卒業後、ルバーリンは職探しに奔走する。彼は週2ドルという端金(2006年の貨幣価値で約100ドル)の賃上げ交渉をしたところディスプレイ会社を解雇されたのだった。ルバーリンは結局ライス広告社("Reiss Advertising")に拾われ、後にアートディレクターとして20年間勤めることになるサドラー・アンド・ヘネシー社("Sudler & Hennessey")で働いた。最終的に、個人事務所を開く前には副社長兼クリエイティブ・ディレクターまで登り詰めることとなった。個人事務所を手に入れたルバーリンは、ポスターや雑誌のデザインからパッケージデザイン、アイデンティティ管理まで沢山の幅広いプロジェクトを自由に抱えることができた。この頃ルバーリンは、ラルフ・ギンズバーグが発行した雑誌 エロス、ファクト、そしてアヴァンギャルドで一躍有名となった。エロスは、急成長するカウンター・カルチャーの中でセクシャリティと実験精神の向上による美を謳った雑誌であるが、アメリカ合衆国郵便公社よりわいせつ雑誌に指定され、すぐに廃刊となった。この雑誌の反体制的な感傷主義は、メインストリームメディアで活動ができない素人作家達を沸かせた。ファクト誌の編集者ウォーレン・ボロソン("Warren Boroson")は「殆どのアメリカの雑誌はリーダーズ・ダイジェスト誌("Reader's Digest")の真似で、砂糖みたいに甘ったるくて素敵なものに溺れきっている。ファクト誌だけがスパイスを独り占めしている。」と書いている。当時の雑誌の衝撃的なデザインテンプレートに習うことなく、ルバーリンはクオリティーの高いイラストとセリフの力強いタイポグラフィーのバランスから成立する、優雅でミニマルなトーンを選んだ。雑誌は限られた予算内で発行されていたので、ルバーリンはコーティングしていない紙にモノクロ印刷を余儀なくされ、タイプフェイスは1〜2種類に制限し、複数のクリエイターではなく一人のアーティストに全てのイラストを依頼することで大量購入割引をさせていた。仕上がりは、「アングラ新聞のみすぼらしい見た目やタブロイド誌のけばけばしいタイポグラフィー」ではなく、雑誌に内在するセンチメンタリズムを強調する、ミニマルで大胆なものとなった。ファクト誌は、「保守党の無意識:バリー・ゴールドウォーターのマインド特集号」と題した論文を書き、共和党の大統領候補バリー・ゴールドウォーターによる数年にも及ぶ訴訟を起こされる。ゴールドウォーターは9万ドルを勝ち取り、ファクト誌を倒産に追い込んだ。ルバーリンとギンズバーグは、1つの雑誌の終わりを新しい創造の機会ととらえ、6ヶ月後にアヴァンギャルド誌を出版した。雑誌のロゴ制作は非常に難しく、特にタイトル内の文字の形がバラバラでうまく合わないというのが理由であった。ルバーリンは、「先進的、革新的、そしてクリエイティブ」な印象というギンズバーグの要望を受け入れ、文字をぴったりと組み合わせ、未来的で個性豊かなロゴに仕上げた。デザイン業界では、このロゴの完全なタイプセットに対する需要が増大し、ルバーリンは自身が立ち上げたインターナショナル・タイプフェイス・コーポレーション社("International Typeface Corporation
出典:wikipedia
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