上道町(あがりみちちょう)は鳥取県境港市の町名。丁番を持たない単独町名である。 郵便番号684-0033。本項では同地域にかつて所在した会見郡・西伯郡上道村(あがりみちそん)についても述べる。境港市北部に位置する。北で馬場崎町・湊町元町・東本町・東雲町・花町・岬町、東で昭和町、南で中野町、西で芝町・米川町・蓮池町と接する。東南部で僅かに日本海に面する。境港市役所が置かれる境港市の行政上の中心である。昭和29年(1954年)から現在の町名である。明治44年(1911年)2月11日、全国約12000町村中の優良17町村の1村として、内務大臣より表彰され、金500円が授与された。この表彰を記念して大正14年(1925年)に上道神社境内に「選奨記念碑」(題字若槻禮次郎元首相)が建立された。昭和5年(1930年)8月、後鳥羽院駐輩記念碑が建立された。『旧上道村誌』によると、「隠岐島御選幸のとき、この浜べに御舟を寄せこの松の下で休まれ、御晝食を摂られた松の下に一軒のカヤ葺の貧家があり、ここの老人がソバを献じた。松は樹齢千年を数える弓浜部第一の名木で、高さは18ヒロ、太さ5ヒロあったが、明治30年(1897年)に枯れた。後の世の人はこの松を尊で“皇(おう)の松”と呼んだ。『鳥取県統計書』より。中嶋多蔵、松井惟一郎、松永誠一郎、佐賀仲次郎、安達仁太郎、東明、藤本政、池淵松太郎、藤本宰、角弘、杉山房雄、遠藤巌、森川信雄、遠藤元治、堀田啓二、門岡喜久江、門永信、松下新治、橋本俊吉、東昌、遠藤謙二郎、里道勝己、門永礼子、片桐和子、里見倭文子、佐賀早苗(すべて就任期間不明)。村会議員は次の通り(表中、補=補欠、死=在任中死去、辞=辞任のほか召集、取消、失格、隠居等を含む)『伯耆志』に伝える大山氏の末裔は、現在の東家といわれている。村誌『上道村』によると、「古記録に松下・足立・堀田・柏木・門永・遠藤・月谷・永田あり、その内足立家最も多し」とあり、寛政末年までの庄屋・年寄姓氏にも足立姓が最も多く、その間に堀田・松下・柏木姓が点在している。松下姓は、後鳥羽上皇が隠岐に配流されたさいに、松の下に住む翁が上皇に昼食をささげたことにちなむと伝えられている(『上道村(誌)』)。
出典:wikipedia
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