雄武駅(おむえき)は、北海道紋別郡雄武町(おうむちょう)にあった日本国有鉄道興浜南線の駅(廃駅)である。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。雄武駅は、興部駅から北上してきた盲腸線である興浜南線の終端駅である。興浜南線が興浜線(興部駅 - 浜頓別駅)の先行開業区間として開業した経緯で、当駅は盲腸線の終端駅となった。当駅から北に向かい、枝幸郡枝幸町の興浜北線北見枝幸駅との間の未成区間が計画され、路盤や施設などは一部が建設されていた。しかし、社会情勢の変化に伴い、この未成区間は開通することなく、興浜南線とともに雄武駅は廃止された。本来興浜線の途中駅となる計画であったため、線路は駅からさらに数百メートル北上した地点まで伸びていた。駅名は「おむ」と読むが、所在する雄武町は「おうむ」と読み、駅名と地名では読み方に相違があった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、終端駅であった。ホームは線路の北東側(雄武方面に向かって右手側)に存在した。このほか貨物線、留置線、給水線など、旅客用の1番線の外側に4番線までと、興部方から駅舎側に分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた。1番線の先には1975年(昭和50年)3月時点で専用線が続いており、3番線の先には蒸気機関車時代の転車台が残っていた。線路の延長上に興浜北線北見枝幸駅までの未成線の路盤が10km以上先まで続き、駅の北側には「雄武トンネル」も完成していた。職員配置駅で、駅舎は線路の東側に位置しホーム中央部分に接していた。貨物列車は1980年(昭和55年)時点で隔日運転で、発送荷物はパルプ用丸太、到着貨物は石油、肥料、飼料が主であった。当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ム」(川尻が塞がる)より。雄武川の河口が、風や潮流に運ばれた砂で塞がれることから付けられた地名である。駅舎は取り壊され、跡地には2000年(平成12年)時点で地域交流センターが新築され、バスターミナル、「道の駅おうむ」となった。また、地域交流センター横に「歴闘五十年 興浜南線終着駅 おむ」という記念碑が設置されている。駅近辺には2010年(平成22年)時点で未成区間の「雄武トンネル」も残存している。かつて当駅から幌内川中流域の上幌内地区へ向け、簡易軌道雄武線が運行されていた。計画は雄武駅 - 上幌内地区27km、開業区間は雄武駅 - 上雄武駅間12.0km。動力は内燃。栽培されていた甜菜及び森林資源の搬出が目的であった。しかしモータリゼーションにより未完成区間の工事は1953年度(昭和28年度)限りで中止となり、開業区間も撤去された。機関車は歌登町営軌道に転用された。詳細不明とする資料もある。
出典:wikipedia
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