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Janne Da Arc

Janne Da Arc(ジャンヌダルク)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。所属レコード会社はavex。略称は「Janne」 (ジャンヌ)。また頭文字をとって「JDA」と表記されることもある。2016年現在、解散ではなく活動休止中である。なお、メンバー表記のアルファベットは、インディーズ時は大文字だったが、メジャーデビューの際に小文字に変更された。yasuとkiyoは学生時代の愛称をそのままバンドネームに使用している。メンバーの本名はkiyoのみ非公表だが、DVD作品の副音声などでは本名で呼び合ったりすることもある。yasuはソロプロジェクト、Acid Black Cherryにおいて作詞作曲名義に本名を使用。ka-yuはソロアルバム、『Solid Beat』を本名名義でリリースした。yasu、you、ka-yuの3人は中学校の、ka-yu以外の4人は大阪府立枚方西高等学校の同級生である(ka-yuのみ大阪府立城東工業高等学校出身)。大阪府枚方市で結成。前身は同じ中学校にいたyasu、ka-yu、youの3人と他2人の同級生で結成された「結膜炎」というバンド。その後ka-yuが脱退、バンド名も「インターセクション」に改めた(「インターセクション」の由来はX JAPAN(当時はX)のXがクロスしているので「交差点」を英語にしたことから)。その後は「オキャンティーズ」と再び改名。ka-yu以外のメンバーが枚方西高校に進学、高校2年生頃にkiyoが加入。高校3年生頃にバンド名が「Janne Da Arc」になる。高校卒業後に当時のベーシストが脱退、結膜炎時代はギターだったka-yuがベースとして再加入する。1996年にはドラマーが脱退、同じ高校出身で元より親交のあったshujiに加入を依頼し、受け入れた。1996年5月9日、現在のメンバーでの活動を開始。地元のライブハウス枚方BLOW DOWNを拠点に活動していた。インディーズ時代には、X JAPANを意識したかのような派手なメイクをしていた。これは、Janne Da Arcの前身バンドの「結膜炎」がX JAPANのコピーバンドであったからという説があるが、yasu自身のインタビューによると、「バンドの恰好をヴィジュアル系っぽくすれば、ライブハウスの動員が増える」という魂胆と、もともとDEAD ENDの音楽性に大きく影響を受けていたことが理由である。youとkiyoはメイクをすることに抵抗感を持っていたため、yasuやka-yuと比べると比較的薄めのメイクで活動していたが、メジャーデビューの頃にはむしろ一番メイクにこだわるようになっていた。shujiはメイクに抵抗は無かったが、かといって好きではなかったと語っている。1998年2月22日に初のワンマンライブ。
4月に初のミニアルバム、『Dearly』をリリース。その一年後の1999年2月22日には赤坂BLITZで二千人ほど動員するまでになる。ブレイクの一因は、テレビ番組Break Outに出演したことにあるが、同番組主催のオムニバスCDへの参加を辞退した結果、交換条件として以降のインディーズ作品(『Resist』(1998年12月)及び『CHAOS MODE』(1999年3月))を「Break Out」のマーク付きで出すことになった。1999年5月19日に、シングル「RED ZONE」で、エイベックスからメジャーデビュー。デビュー当時の触れ込みは「ヴィジュアル系バンドの最終兵器」。卓越した演奏技術とメロディアスな楽曲が好評を得る。メジャーデビュー後、人気上昇と共にだんだんメイクが薄くなっていき、現在では一般的なヴィジュアル系のイメージはあまりない(yasuは自身のソロでやや派手なファッションに回帰した)。本人達は、DVDの副音声等で「他の人に何言われようがずっと自分達はヴィジュアル系って言おう」と言っている。デビュー当時はファンの大半が女性だったが、「2002 tour GAIA」の頃から男性ファンが増え始め、「tour 2003 ANOTHER STORY」でさらに増え、ついには男性限定ライブ「男尻Night」を行う様になった。2008年現在では、男性ファンが5割近くを占めている(オリコンのリサーチなどの情報より)。2004年10月から、テレビアニメ『ブラック・ジャック』のオープニングテーマとして「月光花」が使用され、知名度が上昇する。累計30万枚を超える大ヒットを記録し、『ミュージックステーション』にも出演した。2005年9月14日には、韓国でアルバム『JOKER』が発売され、海外進出も果たした。 2007年1月26日に、オフィシャルサイト上で、現在のメンバーで結成10年を迎えた節目の新企画として、バンド活動と並行し、それぞれのソロ活動もしていくと発表した。2007年以降は楽曲の制作やライブは行われておらず、2016年現在にわたり活動計画についての具体的な公式発表も一切ない状態が続いている。解散を明確に表明した事はないが、yasuがAcid Black Cherryとしてのライブで「Janne Da Arcの活動が停まって…」やka-yuがDAMIJAWのBSフジの特番内において「2007年にJanne Da Arcが活動休止になって…」などと発言している。曲調は、ロックをベースに、ポップス系のメロディが主流。作る曲は、メタルの要素を入れた激しいロックナンバーや、バラードまで幅広い音楽性を持つ。yasuが、大半のシングル曲の作詞・作曲を担当する。他のメンバーも、カップリング曲やアルバム曲の作詞・作曲を担当している。スキャンダラスでエロティックな歌詞やラブソング等、恋愛モノの歌詞が主流だが、「child vision 〜絵本の中の綺麗な魔女〜」では幼児虐待や不倫、「GUILTY PAIN」では戦争における少年兵の存在、「suicide note」ではいじめによる自殺、「風にのって」ではスマトラ島沖地震について歌うなど、社会風刺や批判、時節の出来事などが織り込まれた、テーマを持った歌詞も存在する。また、「EDEN 〜君がいない〜」「ring」「Mr.Trouble Maker」「Rainy 〜愛の調べ〜」など、メンバーの実話を元にした曲も製作されている。また、「Deja-vu」や「ATHENS」などの各メンバーの演奏力を生かした、インストゥルメンタルもある。ライブでも、各メンバーのソロ演奏やセッションなどを行っている時もある。大半の曲のコーラスをyasuが担当する。低音コーラスをka-yuが担当している他、全員でコーラスを担当する場合もある。ライブでは主にka-yuとyouの2人が担当する。シングル曲の「seed」からアルバムの『ANOTHER STORY』まで岡野ハジメがプロデュースを担当していたが、17thシングル「FREEDOM」以降の楽曲は、セルフプロデュースである。バンド名は歴史上のフランスの英雄ジャンヌ・ダルクからの引用と思われがちであるが、実は漫画『新デビルマン』に登場したジャンヌ・ダルクが直接の由来である。実在したジャンヌ・ダルクのスペルはエリジオンして[Jeanne d'Arc]であり、バンド名とは表記が異なる。後に彼女を題材とした曲『-救世主 メシア-』も発表している。理由は、yasu曰く「かわいそうだった」から。また、ライブをドタキャンした際にバンド名を変更することを計画した時『デビルマン』を読んでいたyasuが「すぐ変えるだろう」と考え、キャラクターの名前を使った。これにちなんで、『デビルマン』の作者永井豪が『Janne Da Arc 10th Anniversary INDIES COMPLETE BOX』のBOXのデザインを手がけている。いずれもインディーズでの作品。

出典:wikipedia

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