津末 英明(つすえ ひであき、1958年10月16日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)。東海大相模高校、東海大学ともに原辰徳と同期。原が3番、津末が4番を打っていた。高校時代はエース村中秀人を擁し甲子園に4回出場。夏の選手権は右翼手として出場。準々決勝で鹿児島実の定岡正二に抑えられ、延長15回敗退。の春の選抜では決勝に進出。杉村繁のいた高知高に延長13回の接戦の末に敗れ、準優勝にとどまる。同年夏の選手権は準々決勝で上尾高に敗退。夏の選手権は一塁手に回るが2回戦で小山高に敗れる。原らとともに強打のチームとして鮮烈な印象を残した。打球の速さは原をしのぐものがあり、津末を評価する声も高かった。他の高校同期に控え投手の岡部憲章がいた。東海大学に進み、首都大学リーグでは在学中7回優勝。の全日本大学野球選手権大会では、エース遠藤一彦の好投もあって決勝に進むが、石毛宏典のいた駒大に延長10回の末に敗れ準優勝。同年の明治神宮野球大会でも江川卓を擁する法大に敗れ準優勝。リーグ通算89試合出場、290打数90安打、打率.310、8本塁打、57打点。ベストナイン2回。のドラフト外で日本ハムファイターズに入団。当時の日本ハムの一塁手には柏原純一がおり、あまり出番に恵まれなかったが、には柏原の不調もあって94試合に先発出場。翌は新入団のパット・パットナムが一塁に入るが、主に指名打者として活躍し、初めて規定打席(19位、打率.285)に到達、19本塁打を記録した。その後は不振にあえぎ、オフに自由契約となったが、読売ジャイアンツ(巨人)の監督に就任した藤田元司が原を介して津末に声をかけ巨人への移籍が決まった。巨人では左の代打としての優勝に貢献した。シーズン途中に同僚の簑田浩二とともに現役引退し、三軍コーチに就任した。1994年にスカウトに転身。また、高校時代から現在に至るまで原とは親交が深く、原が監督に就任した2002年からは監督付広報担当(兼運転手)となった。2011年現在は読売巨人軍編成調査課長を務めている。
出典:wikipedia
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