舟渡(ふなど)は、東京都板橋区の町名。現行行政地名は舟渡一丁目〜四丁目。全域で住居表示が実施されている。板橋区北部(最北端を含む)に位置する。北端で荒川 、南端で新河岸川に接する。北で荒川を隔てて埼玉県戸田市戸田公園、東で北区浮間、南で新河岸川を隔てて坂下、蓮根および高島平、西で新河岸と隣接する。北辺をもって東京都 - 埼玉県境、東辺をもって板橋区 - 北区境を形成する。町域の中央部を国道17号(中山道)、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北新幹線および埼京線(東北本線別線)が南北に通じている。町域は工場が多く、近年は物流業・運送業の拠点施設も作られている。荒川低地の沖積層から成り、全域がほぼ平坦である。かつての荒川は川幅が狭く、各所で蛇行がみられ、現在の浮間ヶ池を通り、岩淵水門付近で現在の隅田川に合流していた。大雨による氾濫がしばしば起こり、特に1910年8月11日の荒川大洪水では、荒川中下流域は甚大な損害を受けた。これを受けて荒川の大規模改修工事が行われ、流路がほぼ直線に変更された。荒川旧流路の一部は浮間ヶ池(舟渡二丁目)や舟渡四丁目に池として残されていて、「おいてき堀」と呼ばれている。住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、舟渡2-11-3の地点で30万1000円/mとなっている。1871年の廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡蓮沼村(後に分村により上蓮沼村)および根葉村。一帯は荒川が複雑に屈曲する、葦や萱の生い茂る低湿地の原野だった。1944年の(旧)舟渡一丁目・二丁目発足以前の地名変遷については蓮根を参照。豊島郡蓮沼村の小名による。この小名の名称は戸田橋が架かる以前、戸田の渡しの渡船場が設置されていたことに由来する。渡船場の位置に関しては、現在の戸田橋の位置とは異なっていたとする説もある。舟渡地区には中学校がないため、板橋区立志村第五中学校及び板橋区立高島第一中学校の通学区域に指定されている。
出典:wikipedia
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