マリーンズファンとは、日本のプロ野球球団千葉ロッテマリーンズのファンのことである。千葉マリンスタジアム(2011年よりQVCマリンフィールド)のライト側外野席でのサッカーサポーターを参考にした応援パフォーマンスはマリーンズファンの最も大きな特徴の一つであり、しばしばマスコミでも取り上げられた。中でもライトスタンドのほぼ全てを覆い隠せるほどに大きな「26 MARINES IS MY LIFE」の横断幕(ビッグフラッグ)は千葉マリンスタジアムの名物となっていた。ライトスタンドに座るためには早めに並ばなくてはならず、週末の試合ではレフトスタンドのセンター寄りもマリーンズファンの白で一杯になる。その際には試合開始前に、警備員がビジターのファンにレフトスタンドのセンター寄りに座ることを控えさせていた。からは、レフトスタンドのセンター寄りもあらかじめホーム応援席として定義されるようになった(阪神戦を除く)。この他にも一塁側の内野指定席では平日でもほぼ満員、さらに三塁側でも阪神戦などを除き、ほぼ大半がマリーンズファンで占められるなど(三塁側のマリーンズファンは一塁側のチケットが取れなかった人がほとんどであり、一塁側のチケットは前売りでないと購入が難しかった)、かつての低迷期には考えられなかったことが起きた。2008年には球団記録となる160万人以上の観客動員を記録している。ただし2012年以降は観客動員が130万人を切っている。ビジターにおいては、に甲子園の阪神戦(交流戦)において、レフトスタンド上段をマリーンズファンの黒い集団が埋め尽くしたことで話題になった。から甲子園ではビジター応援席が設定されたが、瞬く間に完売してしまったため2007年からマリーンズファンのためにビジター応援席が増席されている。甲子園では2010年を除いて2007年以降、ロッテのビジター応援席の範囲を最も広い巨人と同じものに設定している。2009年に発生した問題(一部ファンの行動による軋轢参照)により、一部の応援団が撤退。に、までマリーンズの応援をリードしてきた元応援団員のジントシオが応援団長として復帰し、8割方の応援が変更され、2015年までに2009年以前の応援歌はほぼ変更されていたが、2016年シーズンからMVP時代に作成された一部の選手応援歌やチャンステーマなどが復活することになった。(旧福浦、旧サブロー、レイジーボーン、エリーゼ、燃えろ千葉ロッテ、スキンヘッドランニング)しかし、結局シーズン途中で使用中止となった。2009年までの彼らの応援スタイルは、ゲート横に陣取る応援グループ『Marines Victory Productions』と親交の深い『ウルトラス・ニッポン』のメンバーや、Jリーグ各チームなどのサポーターの影響を強く受けていると言われ、応援団自身も公式にサッカーやアメリカン・スポーツなどを参考にしたことを認めている。『bombonera』『Rabona』のような本来はサッカーのサポーターへ向けたファッション・ブランドからも、例外的にマリーンズ・ファンへ向けたファッション・アイテムが出回っているという側面もあり、サッカーの影響が色濃い。具体的には、以下の点が特徴として挙げられる。こうした応援スタイルは読売ジャイアンツなど他球団の応援スタイルにも影響を与えており、特にレプリカユニフォームを着ての観戦はプロ野球においてもすっかり定着している。大阪近鉄バファローズの名物応援「タオル回り」(後にオリックス・バファローズに引き継がれる)は、「タオル回しはカッコイイが、これをそのままやるとパクリになるから」という理由で始まった。近年の日本の高校野球でも、応援歌が新旧問わず頻繁に使用されている。ジェット風船については、白色の風船に統一している(これはビジターでも同様)。勝利時にも飛ばす場合あり。2009年シリーズ終盤、一部フロントの行動を「ファンに対する侮辱」と受け取ったファンによって、外野スタンドに、フロントを野次る横断幕が掲げられた。しかし、これらの横断幕の中には、フロントを名指しして「死刑」などという痛烈な言葉を使用したものもあった。これに対し、ヒーローインタビューを受けることになった西岡剛が、インタビュー中に「子供の夢を壊すような横断幕は下げていただきたい」という旨のお願いを外野スタンドに向けて行った。しかし、翌日の試合では、西岡の打席で一部外野スタンドに西岡を中傷する横断幕(内容は「今日も狙って!!」 ・「祝 110本安打達成(笑)」 ・「二日酔いで試合サボり」 ・「夢を語るスピードスター」など)が掲げられ、応援団は鳴り物応援を行わなかった。ボイコットされた応援の代わりに、多くのファンから自発的に「剛」コールが湧き上がり、監督のボビー・バレンタインも剛コールに合わせて手を振る姿がテレビ中継で映し出された。ところが、試合が終盤にさしかかるとこれらのコールも応援団のトランペットの無関係な演奏に妨害されるようになった。応援団は西岡以外の選手への応援は普段通り行っていたが、終いには全ての選手を対象にファンから「○○」コールがかけられ、完全に応援団を無視しての応援が行われる事態にまで発展した。さらに、一連の妨害行為を繰り返した応援団への「帰れ」コールが出るなど、終始異様なムードが漂う試合となってしまった。9月29日の西武戦(西武ドーム)では西岡に対して通常の応援が行われ、ホームでの最終戦となる10月6日は不測の事態に備えて警備員が増員されたものの心配された騒動は起こらず、球場に詰めかけた29,000人の声援の中、退団する監督のボビー・バレンタインのセレモニーが執り行われた。この日の試合前千葉ロッテマリーンズ外野応援団は謝罪を行ったが、前述の事が引き金となり、結果的に外野応援団並びにM.V.Pは解散する結果となってしまった。そして、マリーンズサポーターと袂を分かつことになった旧外野応援団並びにM.V.Pは社会人野球チーム「東京メッツ」(漫画「野球狂の詩」に出てくる東京メッツとは無関係。元ロッテ二軍監督の古賀英彦が監督を、お笑い芸人トータルテンボスの藤田憲右が部長を務めており、またロッテの主軸選手であった愛甲猛の長男も在籍している)の応援団として活動している。2000年代の初期には試合後のスタンドで身の回りの清掃を自発的に率先して行うなどし、地元からの表彰歴もあった。こうした動きは、ごみの分別収集処理をスタジアム運営側が主導するようになるまで継続されていた。2000年代初頭を前後して、サッカーの影響を受けていることだけではなく、野球や選手に対する真剣な態度やマナーのよさから「応援するだけではなく、チームを支えている存在である(サポーター)」であるとされ、マスコミなどでは「マリーンズサポーター」と呼称したことがあった(現在でもこの呼称は一般的になっている)。日テレの対巨人戦で実況がレフトスタンド応援席のロッテファンのことを「ロッテサポーター」と呼んでいたこともある。かつては敵味方を問わず、好プレーには賛辞の拍手を送っていたが、応援団を主導する『Marines Victory Productions』(以下M.V.P.と略)の「敵のプレーに拍手をする暇があるなら、味方の選手のプレーに拍手を送ろう」という方針から2009年までは自粛傾向にあった。相手ピッチャーが牽制球をした場合にはかまわずブーイングをすることが、2005年の優勝時前後を皮切りに徐々に問題になっていた。かつては敵味方を問わず問題のあるプレーに対して行われた行為だったが、「ロッテファンは敵の牽制にブーイングするのが流儀」という誤解が広まり、緊迫した場面でのたった1球の牽制球であっても内野席のファンまでもが反応するような事態になっているという状況が起きた。こうした動きを受けて、2007年の「MARINES MATCH CARD PROGRAM」(=マッチデープログラム)には応援団からのお願いとして「牽制時のブーイングをやめよう」との呼びかけが掲載されるようになった。この他、完全優勝記念碑でも「日本シリーズにおける34人目のプレイヤー」として扱われ、レリーフがはめ込まれている。
出典:wikipedia
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