竹村 一義(たけむら かずよし、1949年12月19日 - )は、高知県安芸郡安田町出身の元プロ野球選手(投手)。安芸高校ではエースとして活躍。1967年春季四国大会県予選で決勝に進出し、土佐高の萩野友康と投げ合うが惜敗。夏の甲子園県予選では準々決勝で高知工に敗退、甲子園には出場できなかった。同年11月、ドラフト7位で大洋ホエールズに指名され、卒業後に入団。しかし在籍5年半で僅か2勝しかできず、1973年のシーズン途中に山口富士雄との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍した。この年は8勝を挙げて、パ・リーグのプレーオフ(対南海ホークス)にも出場し活躍している。1974年には開幕投手を務め9勝3敗、勝率.750という好成績を残して、最優秀勝率投手のタイトルも獲得。さらに1975年には、自己最多となる11勝を挙げた。1976年6月17日の日本ハムファイターズ戦(後楽園球場)では投手の竹村が打者・ウォルター・ウィリアムス、上垣内誠に連続して頭部に死球を与え、当時のファイターズ監督の大沢啓二とウィリアムスに暴力を振るわれ、両チームのベンチから選手が飛び出し殴り合うという乱闘事件があった。この時、大沢とウィリアムスの2名が退場処分になっている。阪急に在籍した約4年間は、常に先発ローテーションの一角にあり、活躍した。この間2度、日本一(日本シリーズ優勝)の経験がある。その後は1977年のシーズン開幕直前に笹本信二との交換トレードで新井良夫と共に阪神タイガースへ移籍するも、右肘の故障で十分な活躍ができず同年オフに引退した。右上手から、MAX145km/hの速球・スライダー・カーブ・シュート・チェンジアップなど、多彩な変化球を投げた。投手ながら俊足であり、代走として公式戦に出場した経験もある。打撃センスも良く、1974年には打率.244を記録している。引退後はスポーツ用品会社経営の傍ら、中学生シニア硬式野球の監督として25年間指導した。2009年1月19日付で、東京工芸大学硬式野球部(神奈川大学野球連盟所属)の監督に就任、2014年秋季2位、2016年春季2位の成績を上げて1部昇格に手が届くところ迄チーム力を上げている。
出典:wikipedia
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