江華郡(カンファぐん)は大韓民国仁川広域市の郡。仁川西北部の京畿湾に面する。江華島、喬桐島、席毛島の3つの大きな島々と小さな付属島からなる基礎自治団体である。江華郡は仁川西北部、京畿湾上に位置する江華島を中心とする郡である。本土とは狭い江華水道を隔てており、東の対岸は京畿道金浦市である。江華島の西にも島々が展開しており、北側にある大きな島が喬桐島、その南にあるのが席毛島である。南には甕津郡北島面の島々や、仁川国際空港のある永宗島(中区)が所在する。江華島・喬桐島の北側は漢江の河口部で、対岸は朝鮮民主主義人民共和国の開豊郡である。朝鮮の歴史的な中心部である京畿地方の沖合いに浮かぶ江華島は、古来戦乱の際の避難場所として、あるいは外的に対する防衛拠点として機能してきた。江華郡には、江都(カンド)、沁州(シムジュ)などの別名がある。三国時代には、この地を百済と高句麗が争奪した。統一新羅時代には海口郡が置かれ、高麗時代には江華県となった。モンゴルの侵略に際しては、高麗の首都が開城からこの島に移り、30年にわたって臨時の首都となった(江都)。李氏朝鮮時代には江華都護府が置かれ、その後江華府・江華留守府に昇格して、重要な位置を占め続けた。19世紀後半、西洋列強は朝鮮に開国を迫るため近海に出没するようになり、首都漢城に程近い江華島はたびたび戦闘の舞台となった。1876年、この郡の沖合いでの日本軍との交戦(江華島事件)が契機となり、朝鮮は開国することになる。1895年の地方制度改編によって江華郡となり、翌1896年に江華府となった後、1906年に再び郡に戻った。1914年の郡面統合によって喬桐郡が江華郡に編入され、現在の江華郡域ができあがった。1995年に京畿道から仁川広域市に編入された。1邑12面96里(行政里)からなる。住民の約70%が農業に従事している。主作物は米。このほかに水産業と林業に一部従事している。1970年に本土と江華島の間に江華大橋が開通し、陸路で結ばれた。1997年には上流側に新しい江華大橋が開通した。珍島・済州との結縁は、高麗時代の三別抄の縁によるもの。添田町との姉妹協定は、英彦山の山岳信仰と摩尼山の檀君信仰の所縁によるものである。
出典:wikipedia
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