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赤坂5丁目ミニマラソン

赤坂5丁目ミニマラソン(あかさか5ちょうめミニマラソン)は、TBS系のテレビ番組「オールスター感謝祭」において行われるコーナー。1993年春にスタート。最初はピリオドのボーナスクイズの1つにすぎなかった。そこで走ったのは、芸能プロダクション対抗マネージャー4人の戦いだった。そこで司会の島田紳助(当時)が台本には無かった「タレントさんで走りたい方いますか?」の言葉から今の名物コーナーになった。コーナー名の「赤坂5丁目」は、現TBS放送センター(及び現TBS-HD総本社)の所在地であることに由来。通常他の企画ではアンケートを行った後、希望者から出場者を選考するが、この企画はアンケートで「走りたい」と押した人全員が参加できる企画である(1997年春より。1996年までは他コーナー同様マッチメイクを行っていた)。難関はTBS放送センター正面玄関横からAスタジオに入れる大道具搬入口へ続く、傾斜のきつい二段坂となっている「心臓破りの坂」(別名はTBS・赤坂ハートブレイクヒル)である。2005年春からは、地元の商店街やTBSなどが主催する「赤坂春まつり・赤坂秋まつり」のイベントの一つとして位置づけられ、当日は一ツ木通り自体が終日歩行者天国になることから大がかりな交通規制が可能となり、2005年秋からは放送当日の日中には一般からの参加者を募り、ほぼ同じコース(TBS社屋内を除くエリア)を使って市民マラソン大会(赤坂チャリティマラソン)が開催されるなど(東京シティロードレース・東京マラソンの参加申し込み当選者にとっては、秋季大会は東京マラソンの前哨戦(2005年秋は東京シティロードレース明けに開催)として位置づけられている。春季大会は東京マラソン明け(2006年春は東京シティロードレースの前哨戦として位置づけられている)に開催される)、赤坂五丁目ミニマラソンは地域ぐるみの一大イベントとなっている。その一方で、近年は上位入賞者が固定されている(プロのランナー、森脇健児、水内猛、猫ひろし、宇野けんたろう、初参戦のためハンデを受けなかった俊足ランナー等)。記念すべき第1回は15分の休憩後に行われ、ピリオドが始まる前にランナーが一斉にスタートし(当時はハンデなし)、ランナーが帰ってくるまでにスタジオではチャンピオンを決定しておくということで、ランナーが走っている姿はスタート・ゴールぐらいしか無かった。旧社屋時代は当時の収録スタジオであるGスタジオまでのコースの途中に一人ほどしか通れない廊下や通常の階段、らせん階段もあった(Gスタジオの場所が旧社屋の1階ではなかったため)。スタッフ十数名が発光棒を持って警備・コース指示をするくらいで、マイクやカメラを持ったスタッフが並走していた。回を重ねることにカメラの台数・スタッフの数が増加していった。マラソン中継は熟練性が必要なことから、近年はJNN各局から技術スタッフを招集し、国際マラソン大会並みの体制で放送されている。1993年秋までは芸能人ではなく芸能人のマネージャーが走っており、太ったマネージャーには「エレベーター使用可」などの特別ルールが与えられていた(1993年秋は2周目のみ芸能人が走った)。以前はキーパットアンケートで走りたい人の中から4人選ぶ形をとっていたが、1997年春の大会から「走りたい」を押した人は原則全員参加することになった(原則というのは、例えば年齢的に走るのが難しい人などが間違えて押した場合には除外される。後述のデヴィ夫人の例などがある)。そのため、出演者全員に参加する可能性があるため、明らかにマラソンに不向き・健康面やドラマ収録中などの理由でマラソンNGと思われる参加者を含め、毎回出演者全員分のゼッケンが用意される(後述するように、全員分のゼッケンが用意されていることを利用して笑いをとる出演者もいる)。1998年春は、「春のデビュー戦」と題し、ミニマラソン未経験者のみ参加権を与えるという新たな試みがなされた。男女以外でのハンデを設けなかったため、上位を全日本男子バレーボール代表をはじめとするアスリートが占める結果となった。同年秋は理由は不明だがミニマラソンを開催していない(1993年以降の回では唯一のことである)。なおこの年は、常連選手(谷川、東など)は新企画「赤坂5丁目ミニバイアスロン」(後述)に参加した。2007年秋の大会では「オールスター200人知名度調査」で名前を答えてもらえなかった芸能人がミニマラソンに強制的に参加(名前を覚えてもらうため、ゼッケンも少し大きめのものが用意された)となり、2008年春では「スターではない」ということで番組スタッフとして沿道の給水所および警備(これは逆に混乱するので中止)要員として強制参加となった。開始当初は1周2.5kmのコースを走っていたが、現在の社屋になってから1996年秋までは2周、1997年春から2008年秋までは3周(1998年春と1999年春は2周)、2009年春からは4周(2009年秋と2010年春は3周)で行われる。また、当初はスタジオ内からの発走であったが、1997年春から参加希望者全員出走に伴い、現在のスタート地点にあるゲートからの発走となった。開始当初から原則としてTBS敷地外の公道上は歩道を走る事が原則となっていたが、2004年春から警視庁赤坂警察署の協力により公道が交通規制され車道を走ることが可能になった。2005年秋からはTBS赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)の工事に伴い、コース上に通行止め箇所が多く出てきたことから、TBS放送センター移転、「ジミー大西狙撃事件」以来3回目となる大がかりなコース変更が行われた。その後、2008年3月20日の赤坂サカスのグランドオープン(これにより同敷地内の工事に伴う交通規制がすべて解除された)をはさんで2009年春まで、ほぼ毎回コースが変更されている。2009年春から現在まで、サカス坂(赤坂サカス敷地内の、赤坂ACTシアター・赤坂BLITZと赤坂Bizタワーの間の通り)を通り、公道(一ツ木通りなど)には一切出ないコースに固定されている。また、同地域が新しい観光名所となった事からレース中は警察およびTBSの警備員・スタッフ、計数百名によりコース全域に厳重な警備態勢がしかれる様になった。2009年春、谷川真理指導の下、芸能人ランナー強化プロジェクトが実施された。参加者は藤森慎吾、本山華子、ギャル曽根、高橋光臣、ノッチの5人。一般枠で出場し(ただし高橋だけハンデつき)この中から誰かしら表彰台に立つ(3位以内に入る)という目標で行われ、ノッチが見事に準優勝、その後の活躍のきっかけとなった。2010年春のミニマラソンは、TBSラジオにて放送された「夜もキラ☆キラ~TBSラジオオールスター感謝祭」の中でも同時放送した。この番組でパーソナリティーの小島慶子が語ったところによると、TBSは新社屋建設を含む地域の再開発の際、赤坂5丁目ミニマラソンを実施することを想定して設計したという。ちなみに、オールスター感謝祭初代プロデューサーの加藤嘉一はTBSラジオ&コミュニケーションズ社長を務めている。また、同年秋にも「朝から晩まで外山惠理 TBSラジオも感謝祭!」の中でミニマラソンを同時放送した。開始当初は番組最初のメインコーナーとして放送され、1999年春から2000年春は、番組終盤に放送。2000年秋以降は前半戦最後のメインコーナーであり、このコーナーの前までに一気にCMを消化して中継中は一切CMを入れずに放送している。例年マラソン終了後は休憩タイムになるため参加しない芸能人も少なくない。例年21時を跨ぐように放送されるが、2012年春は休憩タイムと時間が入れ替わったため21時10分頃に後半戦一発目として、2014年春、2015年秋は21時23分頃に放送されるなど例外もある。レースは1998年以降現在まで、男女混合によるハンデ戦となっている。当初は上岡龍太郎がハンデを決める役割を担っていたが、2015春までは「ハンディキャップ委員会」と称すスタッフの打ち合わせおよび、コンピュータがはじき出したデータによって決められていた。2015年秋では瀬古利彦監修のハンデ戦となった。2015年秋2013年秋から2015年春までは、概ね以下の順番でスタートする。2003年春までは画面右下のタイムは1/10秒単位で計測されていたが、2003年秋より通常のマラソンと同じく1秒単位の計測となった。また、この時から地点毎の通過順位とタイム差が画面に表示されるようになった(コンピュータでの計測が開始されたことによる)。2013年秋からは画面右下のタイムが表示されなくなった。時々スタッフのミスなどが原因で、コースを間違えた状態でそのまま走り続けてしまうアクシデントがあり、そのまま気づかずに走り続けると失格になるルールがある。実際に2000年春に後述する木下がこのアクシデントに見舞われている(このときは後述する回避により難を逃れている)。2009年秋ににしおかすみこがそのルール(心臓破りの坂を上りきった後スタジオに入らずに2周目に入った)で失格になっているが、これは誘導員の誘導ミスによるもので、2010年春の実況の中で誘導員のミスを認めている。なお、にしおかは後述する裏番組出演のため、後に番組自体に出演しなくなった。矢野以外はTBSアナウンサー(当時含む)。このマラソンの知名度が上がるにつれて、国内外から陸上選手を招待したり、芸能人の中でも、このマラソンに備えて、数ヶ月前から練習したり、東京マラソンなどの大会に多く出場する者も少なくない。また、ミニマラソンをきっかけに芸能人マラソンランナーとしての活動の幅を広げた芸能人も多い。近年では、元箱根駅伝ランナーや、マラソンで3時間前後の記録を持つタレントランナーが出演することが多い。逆に、記録云々は度外視で、明らかにテレビに映る機会を狙って参加する芸能人もいる。ただし、クロちゃん・松村についてはフルマラソンへの参加経験がある。このほか、団長・キンタロー。・あかつ同様に、自身のネタ時の格好で走る芸人も見受けられる。桜塚やっくん、波田陽区、井上マー、ムーディ勝山(マイクも所持)、髭男爵、ツネ(2700)などである。感謝祭では、1997年と2000年春以降、国内外からプロのランナーを招待している。ミニマラソン・ミニ駅伝に参加している。初出場のランナーは過去のデータがない場合が多いため、一般女子ないし一般男子の中に入れられる。このため、ノーマークの一般男子の芸能人が優勝する波乱も少なくない。波乱となった回は以下のとおり(2013年春の森・2013年秋の猫を除き、一般男子枠での出場)。一般女子で優勝したのは、女性限定レースで優勝した橋本志穂のみである。1998年以降現在までの男女混合戦では一般女子の優勝はなく、大抵は一般女子しか上位にいない数分だけが見せ場で、早々に後からスタートした一般男子などに抜かれ、上位入賞すらできないのが実情である。一方、2005年秋の大会でバンデルレイ・デ・リマが優勝した時、正解者は過去最多人数116人、配当は1万円を切ってしまい、8,620円となった。2015年春までと2016年春は山分けクイズ(2008年秋までは100万円、2009年春 - 2014年春・2016年春は50万円、2014年秋は30万円、2015年春は25万円)、2015年秋は正解したチームに5ポイント(5問分の正解ポイント)が与えられる方式で優勝選手を当てる形式であり、出場選手全員がキーパッドの液晶画面に表示されるので、画面に表示されている選手の名前を1人タッチして選択した後「決定」キーを押す(毎回島崎和歌子が念押しで「決定キーを押して下さい」と言っている)。出場選手が4人の頃はボーナスクイズの一つで出場選手4人の順位を順序良く当てるものだった(駅伝も同じ形式)。希望者全員参加制になった最初の回はキーパットが4択固定であったので、優勝選手の名前をフリップに書いて回収したり(1問目)、「一般男子」「一般女子」などのグループに分けて4択にしたり(2問目)もしていた。正解ポイントは2015年秋のもの。2015年春では、下記の賞金と正解ポイントが与えられた。芸名及び所属コンビ・劇団名等は優勝当時のもの(そのまんま東は現在の東国原英夫、木下明水のジョビジョバは現在解散)。また、タイムはハンデを含む時間であり、実際の走破タイムとは異なる。2013年秋以降はタイムの表示がなく、番組ホームページにもタイムの記載がない。マラソンコースを使って行う駅伝大会。1996年春にスタートし、現在まで断続的に行われている。選手は基本的にコースを半周ないし1周走って襷を繋ぐ。1996年秋に2人1組の4番組の対抗戦となり、1998年秋では、「イメージアップチーム」と「クリーンチーム」による、5人1組の2チームの対抗戦。2000年秋からは3人1組(2000年秋は4人1組)のAからDチームの対抗戦(各チームのキャプテンをマラソンの上位4名が務めた)、2003年秋から年齢別駅伝となり、年齢構成は毎回異なる(10代20代が混合チームになる。30代がA・Bの2チーム制になるなど)。2007年春は出身地別駅伝となり、「東日本A」「東日本B」「西日本」「九州・沖縄」の4チームとなった。2006年までは番組終盤に行われており、大体のメンバーがマラソンに続いて参加している。ただし、マラソンで1位になった人は参加資格を得られない回もある。2007年以降は番組の序盤に行われていたが、2011年秋以降は開催されていなかったが、2015年春に4年ぶりに復活した。男子が1周/女子が半周でマラソンコースを合計3周して行なう。1998年の春・秋に開催。バイアスロンのスキーをマラソンに変えた企画。コース途中にある風船を吹き矢で割りながら、マラソンコースを3周走る。風船は、心臓破りの坂とBスタジオに設置されており、心臓破りの坂では3個、Bスタジオでは5個を割る。秋の大会では、風船のサイズが小さくなった。谷川・東・なべやかんなどの常連ランナーはこの年、ミニマラソンに出場できなかったため、こちらに参加した。優勝は春・秋ともに谷川真理。2000年春、シドニーオリンピック開催を記念して行われた特別企画。オーストラリアのシドニーの陸上競技場を貸切り、感謝祭選抜メンバー(出走順に渡嘉敷勝男、石田純一、谷川真理、野々村真、そのまんま東)が5人リレーで10000mを走り、シドニー五輪での活躍を期待されていたリディア・シモンと対決する、というものであった。ハンデは時間ではなく、シモンが620m多く走るというものだった。

出典:wikipedia

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