井戸の茶碗(いどのちゃわん)は古典落語の演目。井戸茶碗とは当時珍重された高麗茶碗の一種。講談「細川茶碗屋敷の由来」をもとにしたものといわれている。「人情噺」「武家噺」に分類される。刊年不詳の栗原東随舎『思出草紙』に収載されている噺。講談「細川茶碗屋敷の由来」では、千代田は広島藩浅野家の家来だったが同僚の讒言で浪人となるはめに陥ったが、茶碗の一件がきっかけで熊本藩主の細川家が仲介に乗り出し、その結果旧来通り仕官がかなうという筋書きになっている。また、細川候が手に入れた井戸の茶碗は将軍徳川綱吉に献上され、その礼に屋敷を賜ったため、その屋敷を誰言うとなく「茶碗屋敷」と呼ぶようになったという続きがある。落語の『井戸の茶碗』は別名『茶碗屋敷』とも称し、講談のはなしを人情噺化したもので、天保から幕末期にかけて活躍した初代春風亭柳枝などによって伝えられた。主な登場人物がすべて実直な善人という、明るい人情噺として客、演者の側から共に人気の高い古典落語の代表作の一つである。屑屋で正直者の清兵衛が、清正公様の脇を「屑ぃ、お払い」と流し歩いていると、なりは粗末なものの器量のよい上品な娘に声をかけられる。招かれて裏長屋へ行くと、その父親(千代田卜斎)から、屑の他に仏像を200文で引き取ってもらいたいと頼まれる。目利きに自信がないと清兵衛は断るが、「昼は素読の指南、夜は売卜をするも、長雨続きで商売ができず、加え病気の薬代として金がいるため、引き取ってもらいたい」と切願される。清兵衛は200文で引き取り、それ以上で売れた場合は、儲けの半分を持ってくると約束する。仏像を籠に入れ、街を流し歩いていると、目黒白金の細川屋敷の長屋下を通りかかったところで、「おい屑屋」と若い勤番(高木佐久左衛門)に声をかけられる。「カラカラと音がするから、腹籠(ごも)りの仏像だ。縁起が良い」と言い、その仏像を300文で買い上げる。高木が仏像を一生懸命磨いていると、台座の下の紙が破れ、中から50両もの小判が出てくる。中間は運がよいと喜ぶが、高木は「仏像は買ったが、中の50両まで買った覚えはない。仏像を売るくらいであるから暮らし向きも逼迫しておられよう。元の持ち主に返したい。」と言う。しかし元の持ち主が分からない。そのため、この仏像を売った屑屋を探すために、翌日から長屋下を通る屑屋に声をかけ、顔を改めていく。屑屋達の間で、高木の顔改めが話題となる。「父親の敵捜し」とまで噂が飛び交う。そこへ清兵衛が現れて、仏像を売ったことを話す。すると、「仏像を磨いていたら首が折れてしまった。縁起でもない、これを身共に売った屑屋も同じ目に遭わせてやる。」と、おまえを捜して居るんじゃないかと脅されてしまう。清兵衛は、細川屋敷の長屋下は静かに通ろうと気をつけるが、商売癖でつい「屑ぃ~」と声を出して捕まってしまう。首を切られるかと怯えた清兵衛だったが、高木から事の真相を聞き、千代田の元へ50両を持っていく。千代田は50両を前にして、「仏像を売ってしまったのだから、中から何が出てきても、私のものではない」と受け取らない。清兵衛は、「この50両があれば、お嬢様にもっとよい着物を着させることもできる」と言うが、刀に代えても受け取らないと突っ返されてしまう。清兵衛は高木へ50両を持って帰るが、こちらでも受け取るわけにはいかないと突っ返され、困り果ててしまう。裏長屋の家主が仲介役に入り、「千代田様へ20両、高木様へ20両、苦労した清兵衛へ10両でどうだろう」と提案する。しかし、千代田はこれを断り受け取らない。「20両の形に何か高木様へ渡したらどうだろうか」という提案を受け、毎日使っていた汚い茶碗を形として、20両を受け取る。この美談が細川家で話題になり、高木が細川様へ目通りを許され、茶碗も見てみたいと言われる。汚いままでは良くないと、茶碗を一生懸命磨き、細川様へ差し出した。すると、側に仕えていた目利きが「青井戸の茶碗」という逸品だと鑑定する。細川様はその茶碗を300両で買い上げた。高木は300両を前にして、もらうべき金ではないと困ってしまう。「このまま千代田様へ返しても絶対に受け取らないであろうから、半分の150両を届けて欲しい」と清兵衛に頼む。しかし清兵衛は「50両で斬られかかったのだから、150両も持っていったら大砲で撃たれてしまう」と断る。しかし高木に切願され、しぶしぶ千代田に150両を持っていく。千代田はまたも受け取るわけにはいかないと断るが、困り果てた清兵衛を見て、「今までのいきさつで高木様がどのような方かはよく分かっておる。...娘は貧しくとも女一通りの事は仕込んである。この娘を嫁にめとって下さるのであれば、支度金として受け取る」と言う。清兵衛は高木の元へ帰り経緯を伝えると、千代田氏の娘であればまずまちがいはないだろうと、嫁にもらうことを決める。そこで清兵衛が、「今は裏長屋で粗末ななりをしているが、こちらへ連れてきて一生懸命磨けば、見違えるようにおなりですよ」「いや、磨くのはよそう、また小判が出るといけない」5代目古今亭志ん生の『井戸の茶碗』が名演中の名演といわれている。元来は講釈の演目であったが、志ん生は講釈師だったこともあり、講談の口調を取り込んで楽しい一席となっている。志ん生から受け継いだ3代目古今亭志ん朝もまたテンポのよいリズムで知られる。江戸の武士の本分は武術でもなければ出世でもなく、清貧であったことを志ん朝は見事に演じている。その志ん朝から教わったといわれるのが5代目春風亭柳朝である。柳朝は、この噺について「こういうはなしは、欲を出しちゃいけないんで、あっさり演(や)ることですね」という言葉をのこしている。これまた、柳朝らしさを出しながらもテンポよく聴かせる名演である。なお、柳家喬太郎は歌入りでこの演目を演じたことがある。
出典:wikipedia
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