ピンクカメオは日本の元競走馬である。2007年のNHKマイルカップを制した。馬名はシャクヤク(芍薬)の一種に由来する。2006年7月1日に後藤浩輝の騎乗でデビューする。単勝1番人気に応えて勝利。このときの6着馬は2010年の安田記念を制するショウワモダンだった。続くマリーゴールド賞からは蛯名正義が騎乗する。この競走では2着と敗れるも、次走のくるみ賞では勝利を収める。その後、阪神ジュベナイルフィリーズに挑戦するも8着に敗れ2006年を終える。明けて2007年、3歳となり菜の花賞に出走。のちの重賞ウィナーとなるショウナンタレント・イクスキューズを抑え勝利を挙げる。これにより賞金的に桜花賞への出走が可能となったため同レースに直行するローテが採られたが、菜の花賞で下した2頭にまで敗れて14着と大敗する。桜花賞の次走にはNHKマイルカップが選ばれた。のちに調教師の国枝が明らかにしたところでは、これは「金子オーナーが『NHKマイルカップはゲンのいいレースだから』とのことで出走を頼んできた」とのことで、国枝も金子の強い運に乗る目的でこれを承諾したという。桜花賞での大敗に加えて牡馬相手ということから18頭中17番人気と大きく人気を落とし、鞍上も当時地方競馬の大井競馬場所属だった内田博幸に乗り替わりとなった。レースは好スタートから道中折り合い直線で一度最後方まで下がるものの、その後外に持ち出してからは鋭い追い込みで全馬を抜き去りJpnI競走を制覇。内田と生産牧場であるパカパカファームに初めてのJRAJpnI (GI) 勝利をもたらした(パカパカファームは重賞初制覇・内田は地方競馬では統一GIに勝利している)。なお、このレースでは3着に最下位人気のムラマサノヨートーが入り、三連単は973万円を超える当時の重賞史上最高額となる高配当となった。その後、中1週の厳しいローテーションながら優駿牝馬(オークス)に出走。当日に地方所属馬の出走がないため内田が騎乗できず、ウオッカが東京優駿(日本ダービー)に出走することであいていた四位洋文に乗り替わる。レース前から距離が長すぎるという不安が囁かれていたが、内から伸びて5着に入り掲示板を確保した。次走は鞍上にふたたび内田を迎えローブデコルテとともにアメリカンオークスに出走する予定であったが、体調不良で断念し秋に備え放牧休養に出される。秋はローズステークスから始動。桜花賞馬ダイワスカーレットや優駿牝馬2着のベッラレイアなどの強豪が揃う中、4着に入った。秋華賞14着後は10月31日に行われる第7回JBCクラシックに出走登録を行ったが、補欠馬のため出走に至らなかった。結局、NHKマイルカップ以来のマイル戦となるマイルチャンピオンシップに出走も9着敗退。次走は初のダート競走となるクイーン賞に出走し5着に敗れる。2008年はキーンランドカップ後に球節を痛め秋を全休。6戦しヴィクトリアマイル6着以外はすべて2桁着順と不本意な成績に終わる。翌2009年復帰2戦目の中山牝馬ステークスではブービー人気だったがラストランとなったキストゥヘヴンの2着と好走し、波乱を演出した。その後、4月25日の福島牝馬ステークスでは2番人気で出走。レースでは3番手を追走するも逃げるブラボーデイジーを捕えることができず、また馬場の内側から伸びたアルコセニョーラにかわされ4着に敗れた。その後、ヴィクトリアマイルへ向けて調整が進められていたが5月14日に左第3中手骨剥離骨折が判明し同競走への出走を断念した。その後、2009年8月19日に調教師の国枝は「左の球節にモヤモヤしたところがあり、万全の状態でレースに持っていけない」としてオーナーとの協議の結果、現役を引退して繁殖牝馬になることを明らかにし、8月20日付で競走馬登録を抹消した。今後は北海道千歳市の社台ファームにて繋養されている。引退後は社台ファームで繁殖生活に入り、2011年2月13日に第一子となるディープインパクト産駒の鹿毛の牝馬を出産。2012年もディープインパクト産駒の鹿毛の牝馬を、2013年は同じくディープインパクト産駒も黒鹿毛の牝馬を出産。第一子ブルーロータス、第二子ピンクシャンパンは未勝利に終わった。父・フレンチデピュティは外国産馬のクロフネらの活躍もあり2001年に日本に輸入された。母・シルバーレーンは1歳下の全弟にジャパンカップにも来日したホークスターがいる。ピンクカメオの半兄であるブラックホーク(父・ヌレイエフ)の活躍を受けて日本に輸入された。
出典:wikipedia
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